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七尾工房、本日も開店休業中。  作者: 七尾 拓哉


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第9話 遠回りくらい、どうってことないよ(特別編)

  そのギターが完成したのは、九月の終わりだった。


 秋の入口の、からりと乾いた陽射しが斜めに差し込む作業室。俺は、組み上げたばかりの楽器を作業台の上に置き、三歩ほど後ろに下がって、腕を組んだままじっとそれを見つめていた。


 距離を取るのは、ギター職人の身体に染みついた古い習慣だ。


 完成したその瞬間こそ、一度下がって距離を置かなければならない。そうしないと、目の前に佇む「本物の木」ではなく、自分が頭の中で夢見ていた「作りたかった幻」を重ねて見てしまうからだ。


 メイプルトップに、マホガニーバック。ネックもマホガニー。ボディの縁を飾るバインディングには、アバロンのインレイを施した。


 製作には、丸三ヶ月かかった。


 中標津に工房を構えてから、これほど時間をかけた一本は他になかった。急ごうとしても、急げる気がしなかった。ノミを動かし、鉋を引くたびに、マホガニーの湿った低い声と、メイプルの明るい声が、一本のネックの中でゆっくりと混ざっていく。


 ふたつの川が合流するまでに、二十年かかった。


「できたよ。待たせたね」


 俺は、作業台の脇に置いたスマートフォンを拾い上げ、電話の向こうの相手に、ただそれだけを告げた。


『受け取りに行っていいの?』


 漏れてきたのは、驚くほど芯の通った、少しハスキーな懐かしい声だった。スピーカーを通して聞こえるその響きには、言葉の端々に不思議な生命力が満ちていた。


「来ていいよ」


『じゃあ……来週の金曜に行く』


「わかった」


 それだけだった。十数年ぶりに声を聞いたというのに、話すことはそれだけだった。


 電話を切ってから、俺はアメリカンスピリットに火をつけ、小さく笑った。奈緒美の声の芯は、昔と少しも変わっていなかった。腹の底から響く、豊かな声。楽器をその体内に持っている人間の声。


 その声を衰えさせていないことに、俺は驚き、そしてどこかホッとしていた。


 会話のテンポも昔のままだった。用件だけを簡潔に告げて、余計な社交辞令は一切言わない。挨拶もなく唐突に始まり、挨拶もなく唐突に終わる。その省略の仕方が、昔から俺には、どうしようもなく心地よかった。


 作業台の上のギターに視線を戻す。アバロンのインレイが、工房の蛍光灯の光を浴びて、静かに白く光っていた。


 うまく説明できない人。


 二十年の歳月をかけても、言葉にできなかった。言葉にならないものは、形にする。それが、職人としての俺の、唯一のやり方だった。


     


 奈緒美と出会ったのは、池袋のダーツバーだった。


 当時、俺は二十歳。昼間は目白にあるギター製作の専門学校に通い、夜は生活費を稼ぐために、その店でアルバイトをしていた。


 あの頃の俺は、昼間は学校で教科書通りの技術を学び、夜は池袋西口の、日当たりの悪い四畳半のアパートに帰ってから、学校では教わらない自分なりのやり方を黙々と試していた。


 まともな材料を買う金なんてなかった。専門学校の端材置き場や、近くの材木所の裏から、使えそうなものを拾ってきた。道具だって足りなかったから、身の回りにある古い鑿や鉋を工夫して使い回した。


 四畳半の畳の上には、いつもメイプルやマホガニーの細かな木屑が散らかっていて、隣の住人から壁を激しく叩かれたことも一度や二度じゃない。それでも、俺は手を止めなかった。


 木に関わる仕事がしたい。自分の手で本物のギターを作りたい。


 その硬くて真っ直ぐな気持ちだけが、当時の俺を動かしていた。それは派手な情熱ではなかったけれど、一度火がついたら二度と消えない、静かな炭火のような熱だった。


 奈緒美が初めて店に来たのは、よく晴れた木曜日の夜だった。


 彼女は、所属しているバンドの仲間と思われる男二人を引き連れて、大声で笑いながら店に入ってきた。


 最初に俺の目に飛び込んできたのは、彼女の「声」だった。


 声が目に入る、というのはいささか奇妙な表現かもしれない。けれど、本当にそういう感覚だった。黒いショートカットの小柄な女が、カウンターから最も遠いダーツマシンの前に立って、矢を投げるたびに、大げさなほど豊かな声を上げていた。


 一緒の男たちより頭一つ分は背が低い。なのに、彼女の笑い声だけが、騒がしい店の中で一番大きく、そして澄んだ響きを持って届いた。


 腹から出ている声。


 ボイストレーニングで無理やり鍛えた声というより、もともとそういう豊かな「鳴り」を持つ身体を授かって生まれてきた、本物のボーカリストの声だった。


 注文をするために彼女がカウンターへ歩いてきたとき、俺は初めて、その顔を正面から見た。黒い大きな瞳が印象的で、目が合うと、人見知りすることなくふっと悪戯っぽく笑う、そんな人だった。


「ここ、何時まで開いてるの?」


 彼女はカウンターに両肘を乗せ、身を乗り出すようにして聞いた。


「二時です」


 俺がぶっきらぼうに答えると、彼女は嬉しそうに目を細めた。


「来週も、来ていい?」


「どうぞ」


 それが、俺たちの最初の会話だった。


     


 奈緒美は、自分の宣言通り、毎週木曜日の夜になると必ず店にやってきた。


 バンドの仲間と一緒のこともあれば、リュックをひとつ背負って、ふらりと一人で来ることもあった。一人のときは、必ずカウンターの端に座り、冷たいビールを美味しそうに飲みながら、俺に話しかけてきた。


 音楽の話。椎名林檎のコピーバンドの話。東京の街の窮屈さ。最近観た古い映画の話。好きな食べ物の話。


 奈緒美は、実によく喋る奴だった。けれどそれは、沈黙が怖くて言葉を埋めようとするお喋りではなかった。自分の中に感じたことが次々に溢れてくるから、それをそのまま外に出しているだけなのだと、聞いていてよくわかった。


 彼女は、俺がかなりの本好きであることを見抜くのも早かった。


 当時、世間はちょっとしたミステリーブームで、俺は店長とカウンター越しに、東野圭吾の『容疑者Xの献身』についてよく話していた。天才数学者が、愛した人のために全てを賭けて完璧なアリバイを組み立てる話だ。


「七尾、その本、そんなに面白いの?」


 カウンターでビールを飲みながら、奈緒美が身を乗り出してきた。


「面白いよ。ただのトリックの謎解きじゃない。人間が人間を想うことの、一番深いところにあるロジックが書かれてる」


 俺が珍しく熱を込めて勧めると、彼女は翌週、本当にその本をリュックに入れてやってきた。


「読んだよ。凄すぎる。あの数学者の不器用さ、ちょっと七尾に似てるかもね。自分の人生を全部使って、相手には何も求めない感じがさ」


「俺はあんな天才じゃないし、あそこまで重くもないよ」


 俺が苦笑いすると、奈緒美は「どうだか」と悪戯っぽく笑った。


 その日、彼女はリュックから一冊の、少し表紙の擦れた本を取り出してカウンターに置いた。梨木香歩の『西の魔女が死んだ』だった。


「私はこれが大好きなの。七尾、読みなさい。納期は来週ね」


 不登校になった少女が、森に住む英国人の祖母――西の魔女から、魔女修行として「自分で決めること」の大切さを学ぶ物語だった。


 読んでみると、奈緒美がこれを好きな理由が痛いほどよくわかった。誰の意見にも左右されず、自らの直感で生きている潔いおばあちゃんの姿は、百五十センチの小さな体で堂々と新宿を歩く奈緒美そのものだった。


 ただ、物語の最後に遺されたメッセージの切なさに、四畳半のアパートで一人、胸を締め付けられたことは、彼女には秘密にしていた。


     


「ねえ、七尾って、北海道に彼女がいるんだって?」


 奈緒美がそう言ったのは、出会ってから三ヶ月ほど経った、少し蒸し暑い夏の夜だった。


「……どこで聞いたんだよ」


「バイトの女の子。みんな言ってるよ。目白に住んでる真面目な男の子には、北の国に大切な人がいるって」


「まあ、そうだけど」


「遠距離、きつくないの?」


「きついよ」俺は、正直に答えた。「でも、好きだから」


「好きなのに、なんで東京にいるの?」


「ギターを作る専門学校が、東京にしかないから。技術を身につけないと、帰っても何もできないから」


 奈緒美は、ビールのグラスを見つめたまま少し考え、それからふっと笑った。


「かっこいいじゃん」


 それが褒めているのか、呆れているのかはわからなかった。けれど俺には、そのどちらでも構わなかった。


 奈緒美が目の前で楽しそうに笑っていたから。


 その、胸の奥にある小さくて温かい気持ちに、当時の若い俺は、まだ名前をつけていなかった。


     


 千夏とは、高校二年の夏に、札幌駅前のマクドナルドで知り合った。


 俺は厨房、千夏はカウンター。最初に交わした言葉は「ポテトのL、揚がりました」だった気がする。


 その日の閉店後、店長が「七尾、千夏ちゃんを地下鉄まで送ってやれ」と気軽に言いつけて、俺たちは並んで南北線の駅まで歩いた。


 札幌の夏の夜は、東京と違って湿気がなく、星まで近い。


 千夏は、ポテトを揚げる油の匂いが髪についているのを気にして、何度も毛先を引っ張って嗅いでいた。


「七尾くんは、気にならないの?」


「俺、慣れちゃってるから」


「いいなあ、慣れるって」


 その横顔を見て、俺は、ああ、この子のことを、たぶん好きになるんだろうなと思った。予感ではなく、確信に近かった。


 それから二年間、俺たちは札幌のあちこちを、本当によく歩いた。


 大通公園のとうきびワゴン、円山動物園の古い熊舎、真駒内の雪まつりの帰り道。


 千夏は、口数が少ない子だった。奈緒美のような豊かな声も、突拍子もないロジックも持っていなかった。けれど、隣を歩いているときの、あの安定した呼吸のリズムが、俺にはどうしようもなく心地よかった。


 俺が東京の専門学校に行くと決めたとき、千夏は反対しなかった。


「七尾くんが決めたなら、それでいい」


 そう言って、俺の願書の宛名を、自分の綺麗な字で書いてくれた。


 千夏は、新千歳空港まで一人で見送りに来た。手には、空港の売店で買ったらしい、白い小さな紙袋を持っていた。


「これ、機内で食べて」


 中には、ロイズのチョコレートが入っていた。


「二年で帰ってくるんでしょ」


「二年で帰る」


「待ってるから」


 千夏は、それだけ言った。


 ゲートを通る直前、振り返ると、彼女はガラスの向こうで、両手を体の前で組んで、まっすぐに立っていた。手を振るでもなく、泣くでもなく、ただ、俺がちゃんと飛行機に乗るのを見届けるために、そこに立っていた。


 その立ち方を、俺はその後の五年間、何度も思い出すことになる。


     


 奈緒美と二人で出かけたことは、それから何度もあった。


 けれど、俺たちは一度も「デート」という言葉を使わなかった。俺に彼女がいるという事実が、その言葉を口にすることを互いに禁じているようだった。


 それでも、実態はデートそのものだった。


 そのことに気づいていて、気づいていないふりをして、俺たちは池袋や新宿、時には少し遠い街まで出かけていった。


 最初に二人で行ったのは、池袋にある古いパフェ屋だった。


 奈緒美が「七尾って甘いもの好き?」と聞くので、俺が「嫌いじゃない」と答えたら、翌週にはその店の前に連れて行かれていた。


 天井に星座をモチーフにしたきらきらとした内装が施された、若いカップルだらけの店だった。扉を開けた瞬間、バニラエッセンスといちごの混ざった濃厚な匂いが立ち込めていた。


 俺は、ノミや鉋で傷だらけの手や、木屑のついた小汚い格好が恥ずかしくて、すぐにでも帰りたくなった。けれど、奈緒美はもうスタスタとカウンター席へ向かっていたので、仕方なくついていくしかなかった。


 俺はマンゴーのパフェを頼み、奈緒美はいちごのパフェを頼んだ。


「……これ、どこから崩せばいいんだ?」


「どこからって、上から素直に食べればいいんだよ。難しく考えないの」


「いや、構造的にさ、上から無計画に食べ進めると、全体のバランスが崩れて、下のコーンフレークの層が一気に崩落する気がするんだけど」


「パフェに構造計算を求めないでよ」


 奈緒美はあきれたように笑い、自分のいちごのパフェを、迷いなく、けれど本当に綺麗に口へ運んでいった。


 俺も覚悟を決めて一口食べた。マンゴーの果肉が冷たく、驚くほど濃密に甘かった。甘さに強い芯があって、食べた後も舌の上に確かな余韻が残った。


「私、男の人とパフェ食べに来たの、初めてかも」


 奈緒美は、スプーンを咥えたまま、大きな目で俺を見て言った。


「そうか。普通はみんな、喜んでついてくるだろ」


「ううん。普通の男の人はさ、こういう可愛いお店に来るのを恥ずかしがるもん。でも、七尾は『嫌だ』って言わないで、ブツブツ言いながらもちゃんと付き合ってくれる。そういうとこだよね、七尾って」


「そういうとこ」が何を指しているのか、俺には最後までよくわからなかった。


 その日を境に、パフェ屋は二人の定番になった。


 季節が変わるたびにメニューが新しくなり、奈緒美から「新しいやつ、出てるよ」と携帯メールが届く。俺は毎回、メロンや巨峰など違うものを頼んでその構造に頭を悩ませ、奈緒美は頑なにいちごのパフェへ戻っていった。


「いちごが一番美味しいんだから、しょうがないじゃん」


「他のも食べてみればいいのに」


「食べなくてもわかるの。いちごが一番だって。これは食わず嫌いじゃなくて、いちごに対する純粋な愛って言うの」


 俺は、その極端な偏愛にいつも笑わされていた。


     


 新宿のホテルのデザートビュッフェに行ったのは、奈緒美の誕生日の少し後だった。


「どうしても行きたいところがある」と言うので、大人しくついていくと、目の前には豪華な高層ロビーが広がっていた。


 俺は穴の開いたジーンズに色褪せたTシャツ姿だった。周りは着飾った人々やスーツ姿の大人ばかりで、自分の傷だらけの手が急に恥ずかしく思えた。


「……なあ、奈緒美。さすがに俺たち、ここじゃ浮きすぎだろ」


「気にしすぎ。こういうのはね、気持ちで食べるの」


 奈緒美はそう言うと、ケーキが山盛りに乗った皿を両手で抱え、堂々とした足取りで戻ってきた。その様子は少し滑稽で、けれど誰よりも誇らしげに見えた。


「気持ちで食べる、ってどういうことだよ」


「おいしいって、心から信じて食べると、本当に全部美味しくなるの。それが、一番贅沢なロジックなんだから」


 俺は促されるままにチョコレートケーキを一口食べた。


 驚くほど濃厚で、深みのある苦味が口の中に広がった。確かに美味しかった。彼女の言う通り、ロジックは破綻していなかった。


 ビュッフェを終え、二人で夜の新宿を歩き、適当なビルの隙間で並んで煙草に火をつけた。


 俺はマルボロ、奈緒美はハイライト。


 ホテルの外に出ると、新宿の喧騒が激しい波のように押し寄せてきた。タクシーのクラクション、居酒屋の呼び込み、酔っ払いたちの笑い声。


 けれど、二人で紫煙を燻らせていると、その騒がしさが、まるでガラス一枚を隔てた向こう側にあるかのように遠く感じられた。


「七尾ってさ、実は甘いもの大好きだよね」


「嫌いじゃない、って言っただろ」


「嫌いじゃない、と、好き、は全然違うよ。七尾は完全に好き寄り。好きって言えばいいのに」


 俺は、少しだけ気恥ずかしくなって頭を掻いた。


「……好きだよ。パフェも、ケーキも」


 奈緒美は、それを聞いて「今の、なんかすごくよかった」と、少女のように笑った。


 何がよかったのか、俺にはわからなかった。


 けれど、その笑顔を見つめながら、俺は急に、この夜がいつか終わってしまうこと、そして自分がいずれ東京を去ることを考えていた。


     


 テレビ版『ルパン三世』のオールナイト上映会を観に行ったのは、風が冷たくなり始めた秋の夜だった。


 六本木の映画館で、深夜から翌朝にかけての特集上映があり、奈緒美が「絶対に観る」と言い出したとき、彼女の選択肢の中に「一人で行く」という文字は最初からなかった。


「私は、次元が一番かっこいいと思うな。あの、いつも帽子を目深に被って、世界を斜めから見てる感じがさ」


 開演前、ロビーで大きなポップコーンの箱を抱えながら、奈緒美が熱っぽく語っていた。


「次元の、あの口にくわえたクタクタの煙草はいいよな。職人っぽくて」


「七尾はルパン派?」


「いや、俺はどっちかって言えば、五ェ門かな」


「五ェ門! わかる。無口だし、刀だし」


「そういう理由かよ」


「七尾は斬鉄剣で木を削るタイプ」


 奈緒美は嬉しそうにポップコーンを口に放り込んだ。


 深夜の上映は長かった。


 三時を過ぎた頃、隣に座っていた奈緒美が、ゆっくりと俺の肩に頭をもたせかけてきた。


 最初は、電車の揺れで偶然触れてしまったかのような、遠慮がちな重みだった。けれど気がつけば彼女は完全に力を抜き、小さな体全体の温もりを、俺の左肩に預けて眠っていた。


 スクリーンの中では、ルパンが何かを盗み、パトカーの群れをすり抜けて、夜のハイウェイを疾走していた。


 俺の肩口から、奈緒美の髪の匂いが漂ってきた。柑橘系の、からりと乾いた、清潔なシャンプーの匂い。


 肩を動かして、彼女を起こすべきではない。頭ではそう思っていた。


 けれど、本当の理由は違っていた。


 ただ、この静かな時間を、一秒でも長く終わらせたくなかったのだ。


 エンドロールが流れ、館内の照明がうっすら灯る頃、奈緒美はふにゃふにゃとした動きで目を覚ました。


「……私、寝てた?」


「少しだけね」


「ごめん」


 奈緒美はマフラーに顔を埋めながら言ったが、その表情に謝っている様子は少しもなかった。


 それで十分だった。


     


 鎌倉へ行ったのは、風がナイフのように冷たい、冬のよく晴れた日だった。


 奈緒美が突然、「どうしても分厚いパンケーキが食べたい。鎌倉に、そういう古いお店があるの」と言い出したのがきっかけだった。


「池袋のいつものパフェ屋じゃダメなのか?」


「パフェとパンケーキは、全然別ジャンルだよ。七尾はまだ、そこがわかってないな」


「どう違うんだよ」


「パフェは、日常の句読点。パンケーキは、小さな冒険。だから、小旅行に行かなきゃダメなの」


 俺は、彼女の独自の分類法をいつも不思議に思っていたが、反論する気にはならなかった。彼女の中では、パフェとパンケーキは、きっとまったく別の心象風景と結びついているのだろう。


 池袋から電車に乗り、一時間ちょっと。藤沢で江ノ電に乗り換えた。


 緑色をした、おもちゃのように小さな車両。窓が大きくて、ガタゴトと民家の軒先をかすめるように走る。


 やがて視界が開けると、目の前に冬の湘南の海が広がった。


 冬の海は、人の姿がほとんどなく、鈍い銀色をした光の膜のように平坦だった。白い波だけが、繰り返しのロジックで砂浜へ打ち寄せては、引いていく。


 奈緒美は窓ガラスに額を押し当てるようにして海を見つめ、ぽつりと「海だ」と言った。


 歓声を上げるでもなく、ただそこに海が存在しているという事実を、自分の心に確認するような言い方だった。


 極寒の海沿いの道を、二人で並んで歩いた。


 冬の潮風は驚くほど冷たく、奈緒美はマフラーを鼻先まで引き上げながら「寒いね」と呟いたが、歩みを止めようとはしなかった。


 正面から強い風が吹き抜けるとき、俺は無言で、少しだけ彼女の前に身体をずらし、風除けの壁になった。


 奈緒美は何も言わなかった。俺も、その行動の意味を深く考えないことにした。考えれば、この危ういバランスで成り立っている関係が、一気に崩れてしまう気がしたからだ。


 パンケーキの店は、鎌倉の路地裏にある、古い一軒家を改装した静かな場所だった。


 店に入ると、店員から「ご注文をいただいてから、一枚ずつ丁寧に焼き上げますので、四十分ほどお時間をいただきますが、よろしいでしょうか」と告げられた。


「四十分、か……」


 俺が少し怯んだように呟くと、奈緒美は隣でクスッと笑った。


「待てるでしょ。七尾は、待つのが得意じゃん」


「得意ってわけじゃないけど」


「得意だよ。だって、北海道にいる彼女のことを、何年も、こうしてじっと待ち続けてるんだから」


 その言葉の端に、ほんの少しだけ棘が混ざっているのを、俺は聞き逃さなかった。


 二人は店の前の縁台に並んで座り、四十分の時間を待った。


 冬の弱い陽射しが、二人の足元をうっすら照らしていた。会話はほとんどなかった。けれど、その静寂は少しも息苦しくなかった。


 運ばれてきたパンケーキは、分厚く、三段に重ねられた生地の上に、とろけるようなバターが乗り、黄金色のメイプルシロップがたっぷりとかかっていた。


 俺は一口食べて「美味しい」と言った。


「でしょ?」


「確かに、パフェとは全然違う。ずっしりとしていて、食べた実感がちゃんとある」


「そう。パフェはするするっと喉を通るけど、パンケーキは、お腹の底にどっしりと時間を残すの」


「食べ物の質感で人生を分類してるのかよ」


「当たり前じゃん。食べ物は、生きることそのものなんだから」


 帰りの江ノ電の車内で、奈緒美は窓の外に流れる暗い海を見つめながら、「今日、楽しかったね」と静かに言った。


「楽しかったね」


 俺は答えた。


 楽しかった。それは、一ミリの嘘もない、本当のことだった。


     


「七尾ってさ、なんでいつも、私と出かけてくれるの?」


 ある夜、池袋のジャズバーで、奈緒美がビールのグラスを弄びながら、唐突に聞いた。


「なんでって……」


「だって、北海道に大好きな彼女がいるんでしょ。私とこうして二人で会うの、不誠実じゃない?」


「遊んでるだけだから」


「遊んでるだけなら、なんで私なの? 他の子でもいいじゃん」


 俺は、答えられなかった。


「彼女のことが、好きだから」


 俺は、自分に言い聞かせるように言った。


「彼女のことは、心から大切だと思っている。でも、奈緒美といる時間も、同じくらい、好きだ」


「……そういうずるいこと、はっきり言う人なんだね、七尾って」


「嘘をつく方が、もっと失礼だと思うから」


 奈緒美は、冷めたビールを一気に飲み干した。


「彼女には言ってるの? 私とパフェ食べたり、鎌倉に行ったりしてること」


「言わないよ。言う必要がないから。俺は、何もしてないし」


「何もしてない、ね」


 奈緒美は、哀しそうに、けれど綺麗に笑った。


「まあ、確かにそうだけど。本当に、何もしてくれないもんね、七尾は」


 その夜、二人は終電を乗り過ごし、池袋からタクシーに乗った。


 西荻窪の彼女のアパートの前まで送り届け、「また、木曜日のダーツバーで」とだけ言って、俺は別れた。彼女の部屋の敷居をまたぐことは、最後までなかった。


 タクシーのドアが閉まり、彼女の住む古いアパートの影が遠ざかっていく。夜の東京の街が、ネオンの光が、コンビニの看板が、冷たい速度で後ろへ流れて消えていく。


     


 奈緒美が、バンドのギタリストと付き合い始めたと告げたのは、桜の花が散り急ぐ、不機嫌な春の夜だった。


 彼女は木曜日でもないのに一人でダーツバーに来て、カウンターの端に座り、ビールを二杯、驚くほどの速さで飲み干した。そして帰り際に、ボソッと言った。


「七尾、ちょっと報告があるんだけど」


「どした?」


「私、バンドのギタリストと付き合うことになった」


 俺は、カウンターのガラス天板を拭いていた。


 持っていたダスターを、まるで細いペン軸を磨き上げるかのように、一本ずつ丁寧に動かし続けた。彼女の方を向くことも、視線を上げることもせず、ただ手を動かすことで、自分の表情が崩れるのを食い止めようとしていた。


「そうか。よかったじゃん」


「七尾、それだけ? 他に何も言わないの?」


「おめでとう。……本当に、おめでとう」


「それだけなんだ。もっと、別のこと言うかと思ったのに」


「他に、何を言えばいいんだよ。奈緒美に好きな人ができて、俺も本当に嬉しいよ」


 それは半分は本当で、半分は自分を納得させるための嘘だった。


 言葉そのものに、間違いはひとつもなかった。けれど俺の胸の奥では、その正しい言葉とはまったく別の、重くて冷たい何かが、ゴトッと鈍い音を立てて崩れ落ちていた。


 奈緒美のバンドのヘルプで、俺は何度かステージでベースを弾いたことがあった。


 あの頃、俺が抱えていたのは、G&Lの`L-2000`という、派手な赤ラメのエレキベースだった。


 アクティブ回路を搭載した`L-2000`は、厳ついトグルスイッチが並び、怪物のような重低音を吐き出すベースだ。赤ラメの塗装がステージのスポットライトを浴びると、きらきらと毒々しく光り、小柄な奈緒美の横で異様な存在感を放っていた。


「七尾、そのベースさ、ちょっと音が厳つすぎるよ。私の椎名林檎の曲と、合わないじゃん」


 スタジオで、奈緒美はよく耳を塞ぐ真似をして俺をからかった。


「何言ってるんだよ。この重低音があってこそ、お前の腹の底から出るボーカルが、さらに引き立つんだから」


 俺は、赤ラメのボディをポンと叩いて、いつもそう言い返していた。


 三ヶ月後、奈緒美は再び一人でダーツバーにやってきて、ビールを飲みながら「別れた」とあっさり告げた。


「どうして? 仲良さそうだったのに」


「合わなかった。それだけ」


 詳しい理由は、最後まで教えてくれなかった。俺も、それ以上は追求しなかった。


 そして俺たちは再び、何事もなかったかのように、元の名前のない時間へ戻っていった。


     


 俺が東京を離れて長野へ行くことを決めたのは、二十二歳の春だった。


 専門学校を卒業し、このまま東京でバイトを続けながらダラダラと過ごすわけにはいかない。長野の高名なギター工房「九鬼楽器」の社長・九鬼源蔵が、見習いとして受け入れてくれるという話が決まったとき、俺は迷わなかった。


 奈緒美にそのことを告げたのは、出発の一週間前だった。


 ダーツバーのラストオーダーが終わり、閉店作業を進めているとき、俺はカウンターのグラスを磨きながら、なるべく軽い調子を装って言った。


「俺、来月、長野に行くんだ」


 カウンターの椅子に座っていた奈緒美は、しばらく何も言わなかった。


 静まり返った店内に、グラスの中の氷が、チリンと小さな音を立てて溶ける音だけが響いていた。


「……長野?」


「うん。長野に、九鬼楽器っていう凄いギター工房があるんだ。そこで、一から修行させてもらうことになった」


「北海道に帰るんじゃないんだ」


「まだ、独立できるような腕はないから。もう少し、本物の職人の下で学んでからじゃないと、帰れない」


 奈緒美は、ビールのグラスを両手で包み込んだ。


 俺は、その手元を見つめた。


 爪が、驚くほど短く、綺麗に切り揃えられていた。ギターの指板を正確に押さえるための、音楽をやる人間の爪だった。


「そっか。……頑張ってね、七尾」


「うん」


「彼女とは、これからも続けるの?」


「もちろん。長野からなら、東京にいるよりは、少しだけ物理的にも近くなるしね」


「……東京よりは、ね」


 奈緒美は、ゆっくりと立ち上がった。


「じゃあさ。いつか、七尾が一人前の職人になったら、私にギターを作ってよ。世界で一番、私の声に合う、最高のギターをさ」


「いつか、なんて言う奴の依頼は、俺は絶対に受けないよ。いつにするか、今ここでちゃんと納期を決めなさいって」


 俺がからかうと、奈緒美はふっと、本当に嬉しそうに笑った。


「決めてないけどさ。でも、絶対に頼むから。約束だよ」


「わかった。待ってるよ」


 その夜、彼女はダーツバーの扉を出るとき、一度も振り返らなかった。俺も、彼女の背中を追うことはしなかった。


 重い扉が閉まり、彼女の足音が、夜の池袋の喧騒の中へ吸い込まれて消えていった。


     


 長野に行ってからも、奈緒美とは年に何度か連絡を取り合っていた。


 当時はまだスマートフォンなんて便利なものはなく、二つ折りの携帯電話で、慣れないボタンをポチポチ叩いて短いメールをやり取りするのが主だった。


『池袋のパフェ屋、新メニューの桃パフェが出てたよ』


 長野の厳しい冬の日、工房の休憩室で、俺はその短いメールを読んだ。


『美味しかった?』


『食べてないけど、いちごの方が絶対に美味しい。確信してる』


 画面に映し出された、相変わらずの結論に、俺はストーブの前でふっと声を上げて笑ってしまった。


 場所がどれほど離れても、俺たちの間に流れる言葉のテンポだけは変わっていなかった。


 長野での修業時代、俺は何度か、先輩から譲り受けた古いワゴン車を運転して、東京へ往復した。


 「新しいノミを仕入れるため」「ギターの展示会に行くため」


 そんな、もっともらしい理由を先に頭の中で組み立ててから、俺は古いワゴン車のキーを回し、中央道をひたすら走った。


 ある秋の夜。奈緒美のバンドの練習スタジオが渋谷にあり、その帰りに合流して新宿で飯を食べた。


 気づけば終電の時間を大幅に過ぎており、彼女が「タクシー、呼ぼうか」と言いかけたとき、俺は「送るよ」と、自分でも驚くほど自然に口にしていた。


 助手席に、彼女が乗った。


 シートベルトを固定するカチャリという音が、狭い車内に小さく響く。それだけで、ワゴン車の空気が、一気に奈緒美のものへ塗り替えられていくのがわかった。


「七尾が、車なんて運転するの、なんだか不思議な感じがするな」


「長野じゃ、車がないと生活できないからね。先輩から安く譲ってもらったんだ」


「東京まで、何時間かかるの?」


「中央道を使って、三時間ちょっとかな」


「……三時間もかけて、わざわざ東京に来たの?」


「用事があったからね」


「ふーん。用事ねえ」


 奈緒美は、窓の外を流れる新宿の夜景を見つめたまま、それ以上は何も追求してこなかった。


 西荻窪の彼女のアパートの前に車を停めた。


 街灯が一本だけ立っている、狭い路地だった。


「送ってくれて、ありがとう」


 奈緒美は微笑み、助手席のドアを開けた。


「長野、遠いね」


「まあね。でも、高速を使えばすぐさ」


「うん。……でも、本当にありがとう、七尾」


 バタン、とドアが閉まった。


 俺はすぐにエンジンをかけなかった。


 フロントガラスの向こう、街灯の薄い光の下を、小さな体をさらに小さくして歩いていく彼女の背中を、ただじっと見つめていた。


     


 長野に移り住んで二年が経った、初夏の頃だった。


 奈緒美から、一枚のチラシのコピーが同封された手紙が届いた。


『西の魔女が死んだ、映画化だって。長野の清里に、あのおばあちゃんの家がロケセットとして本当に建てられたらしいよ。七尾、観に行くしかないでしょ』


 その週末、奈緒美は本当に長野までやってきた。


 小さなリュックを背負って茅野の駅に降り立った彼女を、俺はあの古いワゴン車で迎えた。


 高原の澄んだ映画館の暗闇で、俺たちは並んでスクリーンを見つめた。映像になった「西の魔女の家」は、瑞々しい緑の光に溢れていて、おばあちゃんが作るワイルドストロベリーのジャムの匂いが、こちらまで漂ってくるようだった。


 エンドロールが流れ、館内に薄暗い照明が灯ったとき、奈緒美は少し目を潤ませながら、ふにゃふにゃとした動きで伸びをした。


「……よかった。本当におばあちゃんが生きてた」


「うん、いい映画だったな」


 俺がそう言って立ち上がろうとしたとき、奈緒美がクスッと笑った。


「ねえ、七尾。今の感じ、もの凄くデジャヴなんだけど」


「デジャヴ?」


「ほら、六本木でルパン三世のオールナイト上映会に行ったとき。あの時も、映画が終わって照明ついたとき、私、こんな風にふにゃふにゃになって起きたじゃん」


「……あったな、そんなことも。あの時はお前、俺の肩を枕にして爆睡してたろ」


「爆睡は失礼でしょ! あれは、次元がかっこよすぎて安心しちゃったの」


 映画館のロビーへ歩きながら、俺たちは声を合わせて笑った。


 長野のからりと乾いた夏の空気の中に、二人の笑い声が吸い込まれていく。


「今度は、秋に東京でね」


 駅の改札でそう言って別れた彼女の言葉が、その年の秋、もう一つの答え合わせへと繋がることになる。


 同じ年の十月。俺は「道具の仕入れ」というもっともらしい理由を抱えて、古いワゴン車を走らせて東京へ向かった。


 奈緒美と待ち合わせたのは、六本木の、あの映画館のロビーだった。


「あの日、深夜のルパンを観た場所で、今度は『容疑者X』を観るとは思わなかったな」


 俺が言うと、奈緒美は少し大人びた横顔でふっと笑った。


「答え合わせみたいだね」


 上映中の二時間は、静まり返っていた。


 ルパンの時のように、彼女が俺の肩にもたれかかってくることはなかった。けれど、天才数学者が仕掛けた悲しいロジックの全貌が明かされ、石神が慟哭するラストシーンでは、暗闇の中で、奈緒美が何度も目元を拭っている気配が伝わってきた。


 照明が灯ってからも、奈緒美はしばらく座席を立たなかった。


「……ずるいよ、あの映画」


 それだけ言って、彼女は立ち上がった。石神のことも、俺のことも、口には出さなかった。


 けれど、ロビーへ続くスロープを歩きながら、奈緒美が一度だけ、俺の方を見上げた。


 その視線の意味を、俺は二十年経った今でも、正確には言葉にできない。


     


 千夏とは、長野に移って五年目の冬に別れた。


 あの日は、工房の薪ストーブの調子が悪く、煙が逆流してきていた。俺は煤で汚れた顔のまま、携帯電話を耳に当てていた。


「七尾くん。私さ、もう、待つのやめていい?」


 千夏の声は、責める調子ではなかった。


 札幌のマクドナルドで初めて会った日と同じ、静かな呼吸のリズムのままだった。


「……うん」


 俺は、それだけ答えた。


 本当は、もっと言うべきことがあった。ごめん、とか、ありがとう、とか、もう少しだけ待ってほしい、とか。


 けれど、ひとつも言えなかった。


 千夏が「待つのやめていい?」と聞いた時点で、彼女の中ではもう答えが出ていることを、俺は彼女の声のリズムから、はっきりと聞き取ってしまっていたからだ。


「七尾くん、いいギター作ってね」


「うん」


「じゃあ」


 電話は、それで切れた。


 俺はしばらく、煙の逆流する工房の中で、煤の匂いを吸い込みながら立ち尽くしていた。


 千夏は翌年、結婚したと母から聞いた。


 相手は、札幌のあのマクドナルドで、俺と千夏と同じシフトに入っていた男だった。当時から、千夏のことを好きだったのは、店の全員が知っていた。


 ちゃんとした男だった。


 俺がなれなかった種類の、ちゃんとした男だった。


 千夏は、ちゃんと幸せになる場所を、自分で選んだのだと思った。


     


 奈緒美が結婚するという報せが届いたのは、俺が二十八歳の、桜の花が散りかけた春の日のことだった。


 久しぶりの、彼女からの電話だった。


「私、結婚することになったんだ」


 電話の向こうの声は、昔と変わらず真っ直ぐに芯が通っていた。けれど、その端には、これまで聴いたことのない、静かな覚悟の重さが宿っていた。


「おめでとう。よかったじゃん」


「……結婚式、来てほしいんだけどな。池袋の仲間も、みんな来るよ」


 俺は、携帯電話を握りしめたまま、しばらく沈黙した。


 工房の窓の外には、長野の山々が聳えていた。頂上付近には、まだ冬の名残である白い雪が残っており、その冷たい稜線が、春の青い空に静かに溶け込んでいた。


「……行けない。ごめん、奈緒美。その日は、どうしても外せない大事な仕事が入っちゃってさ」


 嘘だった。


「そっか」


 電話の向こうで、奈緒美は静かに言った。


「残念だけど、仕事ならしょうがないね。頑張って、七尾」


「うん。ごめんな、奈緒美」


「いいよ。気にしないで」


 電話は、静かに切れた。


     


 奈緒美が離婚したという事実を知ったのは、それから二年が経った、秋の終わりのことだった。


 池袋のダーツバー時代の古いバイト仲間から、風の噂として流れてきた。


「奈緒美ちゃん、こないだ離婚したらしいよ。なんか、いろいろあったみたいだけどね」


 俺は、それを聞いて「そうか」とだけ答えた。


 驚きは、不思議となかった。


 奈緒美という人間は、一度「この関係は違う」と判断したら、誤魔化しながらダラダラ続けるような真似はしない。その潔さと、決断の速度を、俺はよく知っていたからだ。


 半年ほどが経った、ある雪の夜。


 中標津の、まだストーブが激しく燃え盛る古い作業室で、俺のスマートフォンが震えた。


『元気?』


 画面に表示された、たった三文字。


 その三文字が、半年間の重い沈黙を、一瞬で切り裂いた。


『元気だよ。そっちは?』


『まあまあ。いろいろあったよ』


『聞いたよ、風の噂で』


『あー、やっぱり。みんなに言われちゃうんだよね。でもさ、すっきりしたよ』


『そっちは? 彼女とは、どうなったの?』


 奈緒美からの質問に、俺は画面を見つめたまま、少しだけ指を止めた。


『別れたよ。もう五年以上前になるかな』


『え、知らなかった。なんで言ってくれなかったの』


『言う必要も、なかったからね』


『……七尾。それさ、ずっと前から、ちゃんと言えなかっただけじゃない?』


 俺は、その画面を見つめたまま、何も返せなかった。


 奈緒美の言う通りだった。


     


 そして、歳月が流れた現在。


 俺は、ボロボロになった昔の思い出の引き出しをゆっくり閉じるようにして、ビートルのハンドルを握り直した。


 中標津空港の到着口。


 東京からの飛行機が滑走路に滑り込んできて、タラップから、乗客たちが直接、風の吹き抜ける屋外へ歩いてくる。


 喫煙所を出たばかりの指先には、まだアメリカンスピリットの匂いが残っていた。俺は到着口の前に立ち、所在なさげに手を動かしながら、出てくる人々を見つめていた。


 やがて、人混みの奥から、白いTシャツに色褪せたジーンズを履き、小さなリュックをひとつだけ背負った人影が現れた。


 彼女は真っ直ぐに俺を見つけ、ふっと、昔と少しも変わらない、いたずらっぽい笑顔を浮かべた。


 十数年ぶりに会う奈緒美は、確かに歳を重ねていた。けれど、その本質は一ミクロンも変わっていなかった。


 黒いショートカット。百五十センチの小さな体。そして何より、周囲の空気を一瞬で自分の色に染め上げてしまうような、あの存在感。


「北海道、本当に広いね。空が、どこまでも真っ直ぐに続いてる」


 ビートルの助手席に滑り込み、窓の外を見つめながら、奈緒美が言った。


「道が、真っ直ぐだからね」


 俺は、ハンドルを握りしめ、少し照れくさそうに答えた。


「あのさ。昔、東京から長野まで、ワゴン車で三時間もかけて、わざわざ来てくれたよね」


「……用事のついでだよ」


 奈緒美は、声を上げて笑った。


 あの夜の、西荻窪のアパートの前と同じ、澄んだ、腹の底から響く美しい笑い声だった。


 ビートルが砂利道を走り、七尾工房の前に止まった。


「七尾工房、か。すごいね。橋本工房?」


「中は木屑だらけだよ。去年から弟子の橋本アユムさんって人と一緒にやってるんだ。」


「七尾、師匠じゃん!」


「まぁ、師匠だけど、弟子の方がしっかりしてるわ」


「いい弟子で良かったね」


 扉を開けて中に入った奈緒美は、まず、目を閉じて深く息を吸い込み、工房に満ちる木の匂いを全身で味わった。


 そして壁にかけられた、赤ラメのエレキベースを見つけると、驚いたように目を見開いた。


「懐かしい! 赤ラメベース、まだ持ってたんだ」


「昨日、久々に弾いたよ。懐かしくなって物置から出してきたんだ」


「信じられない。そのベースさ、私のバンドのヘルプで弾いてくれたとき、私の声と全然合わなくて、いつも喧嘩してたじゃん」


「そうか? 俺は、すごくいい音だと思ってたけどな。奈緒美の太い声に、一番負けない強さがあったから」


「そっちの白いベースの方が可愛いじゃん」


「そっちは毎日弾いてる」


 昔と同じ、他愛のない掛け合い。


 奈緒美は、工房の中をゆっくり歩き回り、壁に並んだ工具や、乾燥室の木肌に、指先で優しく触れていった。


「すごいね、七尾。本当に、立派な工房を持ったんだね。……あの、池袋のダーツバーにいた子がさ」


「二十年も経てばね、少しは成長するよ」


「違うよ。あの頃の七尾を知ってるから、本当にすごいと思う。誇らしいよ、私」


 俺は、少し照れくさそうにそっぽを向いた。


 奈緒美は、作業台の上に置かれた、完成したばかりのメイプルトップのギターの前に立った。


 彼女はゆっくりと手を伸ばし、アバロンのインレイが施されたボディの木目を、指先で静かになぞった。


 ボーカリストの、綺麗に短く切り揃えられた爪。


 あの夜、カウンター越しに見た爪と、同じだった。


 彼女はギターを抱え、右手の指先で弦を軽く弾いた。


 ポロン、と、マホガニーの深い響きと、メイプルの明るい響きが混ざり合った音が、静かな作業室に広がった。


「……これ、今の私の声に、合うかも」


 彼女は、嬉しそうに目を細めて笑った。


「ちょっと、歌ってみるか。弾いてよ」


「お、何弾く?椎名林檎か?」


「とりあえず『丸の内サディスティック』だろ?」

 

 そう言うと、奈緒美は、しばらく俺を見つめ、それから小さく笑った。


「七尾がそれ言うの、なんか変な感じ」


「昔、散々やっただろ」


「あの頃は赤ラメベースだったじゃん。しかも音が厳つすぎて、毎回喧嘩してたし」


「喧嘩じゃないよ。支えてたんだよ」


「はいはい。じゃあ、今日はちゃんと支えてください、職人さん」


 奈緒美はそう言って、ギターをそっと俺に渡した。


 俺は椅子に腰掛け、膝の上にギターを抱えた。新品のラッカーの匂いと、磨き上げた木肌の匂いが、ふわりと鼻先に立ち上がる。ネックを握ると、まだ誰の手癖も染み込んでいない滑らかな感触が、左手の指の腹に静かに吸いついた。


 チューニングは、さっき合わせたばかりだった。


 俺は軽く六弦を鳴らし、それから、あの曲のイントロに似たコードの形を探るように、ゆっくりと指を置いた。


 最初の一音を弾いた瞬間、作業室の空気が少し変わった。


 赤ラメのG&L L-2000で弾いていた頃の、太く、硬く、前へ前へと出ていく音ではなかった。今、膝の上で鳴っているこのギターの音は、もっと柔らかく、けれど芯があった。マホガニーの低い粘りが音の底を支え、メイプルの明るい輪郭が、その上に薄く光を載せている。


 俺は、少しだけテンポを落として弾いた。


 二十年前のように、勢いだけで突っ走る必要はなかった。今の俺たちには、音と音の間にある沈黙を、無理に埋めなくてもいいだけの時間があった。


 奈緒美が、息を吸った。


 そして、歌い出した。


 最初の声が工房の中に響いた瞬間、俺は思わず右手を止めそうになった。


 昔の奈緒美の声ではなかった。


 いや、芯は同じだった。腹の底からまっすぐに立ち上がってくる、あの豊かな鳴り。小さな体のどこにそんな容量の大きな楽器が入っているのか、いまだにわからないような、あの声。


 けれど、そこに二十年分の陰影が加わっていた。


 若い頃の奈緒美の声は、何も怖くないと言い切るように真っ直ぐだった。自分の直感だけで世界を押し切っていけると信じている、明るくて、強くて、少しだけ乱暴な声だった。


 今の声は違った。


 少し掠れていた。けれど、その掠れが不思議なほど美しかった。結婚したこと。別れたこと。東京で生き続けてきたこと。笑ってごまかしてきたこと。言えなかったことを、言えないまま大事に抱えてきたこと。その全部が、声の奥に沈殿していた。


 俺は、なるべく彼女の声を邪魔しないように弾いた。


 強く出すぎれば、二十年前の赤ラメベースと同じになる。弱すぎれば、彼女の声を支えられない。


 ほんの少しだけ後ろに立つ。


 けれど、倒れそうになったら、すぐに背中を支えられる距離にいる。


 そんな音を探しながら、俺は右手を動かした。


 奈緒美は、途中で一度だけ目を閉じた。


 その横顔を見た瞬間、池袋のダーツバーのステージが、渋谷の狭い練習スタジオが、六本木の映画館の暗闇が、鎌倉の冬の海が、いっせいに胸の奥で立ち上がった。


 二十年前、俺は彼女の隣で赤ラメのベースを弾いていた。


 そして今、俺は自分で作ったギターを抱え、彼女の声を支えている。


 遠回りにもほどがある。


 そう思って、少しだけ笑いそうになった。


 曲が終わると、最後のコードの響きが、作業室の天井へゆっくりと昇っていった。木材の束、壁に並んだ工具、赤ラメのベース、窓の外の防風林。その全部に薄く触れてから、音は静かに消えた。


 奈緒美は、しばらく何も言わなかった。


 俺も、何も言わなかった。


 外では、秋の乾いた風が吹き抜け、カラマツの防風林がサワサワと大きな音を立てて揺れていた。


 やがて奈緒美が、照れ隠しのように小さく咳払いをした。


「……どう?」


 俺は、ギターの弦に右手を置いたまま、少し考えるふりをした。


「いいんじゃないか?」


「それだけ?」


「いや、かなりいい」


「かなり、ってどのくらい?」


「少なくとも、赤ラメベースよりは喧嘩してない」


 奈緒美は、ふっと吹き出した。


「そこ基準なんだ」


「大事な基準だよ」


 俺は、もう一度、軽くコードを鳴らした。


 今度は、さっきよりも短く、柔らかく響いた。


「ちゃんと、今の奈緒美の声に合ってる。二十年前の声じゃなくて、今の声に」


 そう言うと、奈緒美は少しだけ目を伏せた。


 それから、ギターのボディにそっと手を添え、アバロンのインレイを指先でなぞった。


「そっか」


 彼女は、嬉しそうに、けれど少し泣きそうな顔で笑った。


「ちゃんと、届いたんだね」


「ああ」


 俺は、ギターを彼女に返しながら言った。


「待たせたね」


 奈緒美は、ギターを胸に抱えた。


「ううん。待った甲斐があった」


 

「あのさ、七尾」


 奈緒美は、ギターのネックを抱えたまま言った。


「バンドのギタリストと別れた後、また二人で何度もパフェ食べに行ったり、鎌倉に行ったりしたじゃん?」


「ああ」


「あの頃、私、七尾のこと、本当に好きだったんだよ」


 俺は、視線を落としたまま、静かに言った。


「……知ってたよ」


「知ってたなら、なんで、何もしてくれなかったの?」


「何もしないのが、俺のやり方だったからね」


 それは、言い訳ではなかった。


 始めることも、終わらせることも、当時の若い俺にとっては重すぎて、背負いきれなかったのだ。


「結婚式も、仕事なんて言って来なかったよね」


「……ああ」


「知ってたよ、嘘だってことくらい。でもね、怒ってない。来なくてよかったって、今なら本当に思える。もし来てたらさ、私たち、もっとややこしいことになって、こうして十数年後に笑顔で会えなかったかもしれないから」


 俺は、何も言わなかった。


「離婚したときも、全然連絡くれなかったし。七尾って、本当に昔から、変な人だよね」


「そうかもね」


「今も変わってなくて、本当に安心した」


 彼女は、ギターを愛おしそうに抱えながら、本当に嬉しそうに笑った。


     


 その日の夜、俺は奈緒美を、近くにあるカウンター席しかない小さな居酒屋に連れて行った。


 二人で並んで酒を飲んだ。


 主人は寡黙な人で、聞かれたことだけを答え、余計な干渉は一切してこない。その静かな距離感が、今夜の俺たちにはこの上なく心地よかった。


「七尾、あの赤ラメのベース、今でも音出るの?」


 奈緒美はビールのグラスを傾けながら、楽しそうに聞いた。


「そりゃ出るよ。木の反り具合もそんなに悪くなかった」


「あの赤ラメのベースの音さ、本当に職人っぽくて、すごくいい音だったんだよ。私の拙いボーカルを、後ろからちゃんと支えてくれてた」


 俺は、焼き鳥を黙々と口に運びながら、何も言わずに聞いていた。


 自分のベースの音が「職人っぽかった」と、二十年前に彼女から評価されていたなんて、今夜初めて知った。当時の奈緒美は、そんなことを口にしなかった。


 二十年という歳月は、言えなかった本音を、お互いに笑顔で分かち合えるための、優しい時間へと熟成させてくれていた。


「七尾、北海道の彼女とはさ、結局どうなったの?」


 奈緒美は、焼き鳥の串を皿に置きながら、二十年越しの問いを世間話のような調子で投げてきた。


「別れたよ。長野で五年目のときに」


「……七尾から、切り出したの?」


「いや。千夏の方から」


 奈緒美は、ふっと笑った。


「やっぱりね」


「やっぱり?」


「七尾は、切り出せない人だもん」


 俺は、何も言わなかった。


「私もさ、二十年前、七尾が切り出してくれるのを、ちょっとだけ待ってた時期があったんだよ。でも、ある日気づいたの。この人は、絶対に切り出さない人なんだなって」


「……」


「だから、私から、バンドのギタリストのところに行った。あの人と付き合ったのは、七尾への当てつけ半分。本当に半分は、自分を前に進ませるためだった」


 俺は、グラスの底に残ったビールを見つめていた。


 二十年経ってようやく、彼女があの春の夜に告げた「付き合うことになった」の本当の意味を知った。


「ごめん」


「謝らないでよ。私も、千夏さんに、ちょっとごめんだなって、今になって思うけど」


 奈緒美は、串をもう一本取って、こちらを見ずに言った。


「七尾の中で、ずっと一番だったのは、たぶん私じゃなかったんでしょ」


 俺は、答えなかった。


 答えられなかった、というのが正確だった。二十年経っても、その問いの答えだけは、まだ自分の中で形になっていなかった。


「七尾って、実は甘いもの、すごく好きだよね」


 しばらくの沈黙の後、奈緒美が、カウンターに置かれた甘味メニューを指差しながら、軽い調子で話題を変えた。


「嫌いじゃないだけだよ」


「ううん、七尾は完全に好き寄り。パフェを食べるときなんてさ、まるでプラモデルを組み立てるみたいに、真剣な顔して食べてたんだから」


「そういうお前こそ、『容疑者X』観に行った時なんて、号泣してたじゃないか」


「それを言うなら、七尾だって、黙って耳たぶだけ真っ赤にしてるとき、一番わかりやすいんだから」


 奈緒美がすかさず突っ込むと、俺は降参した。


 帰り道、中標津の満天の星空の下を、二人で煙草を吸いながら並んで歩いた。


「私さ、中標津まで来て、本当に本当によかった」


 奈緒美は、大きく伸びをしながら言った。


「ギターを受け取るためだけじゃない。私の中に残ってた、あの時間が、ちゃんと綺麗に、いい形で終わってるかどうかを、確かめたかったんだよね」


「……終わってたか?」


 静かに聞いた。


 奈緒美は、少しだけ間を置いて、真っ直ぐに俺の目を見つめた。


「うん。完璧に。いい終わり方してた。パフェ屋の思い出も、鎌倉のパンケーキの寒さも、ルパンのオールナイトの肩の温もりも。全部、私の人生の、最高に綺麗な思い出になってる」


 彼女は、夜空を見上げた。


「だから、ありがとう、七尾。私に、いいギターを作ってくれて」


「……どういたしまして。待たせたね」


「ううん。次はさ、また新しいオーダーを考えにくるから」


「もう次の話か。今度は、何を頼むんだよ」


「まだ決めてない。鎌倉のパンケーキでも食べながら、ゆっくり考えるよ」


「北海道に来るのに、鎌倉に寄るのは、ずいぶんと遠回りだろ」


 俺が呆れたように言うと、奈緒美は、星空に向かって、あの芯のある美しい声で笑った。


「いいじゃん、遠回りくらい。私たちなんて、最初から遠回りばかりなんだからさ」


     


 翌朝、俺は彼女を中標津空港まで、静かに車で送り届けた。


 行きと同じ、防風林の間の真っ直ぐな道を走りながら、二人はほとんど言葉を交わさなかった。


 けれど、その沈黙は、あの鎌倉の縁台でパンケーキを待っていたときと、少しも変わらない温かさを持っていた。


 自動ドアの向こうへ消えていく彼女の後ろ姿を見届けてから、俺は一人でビートルを運転して工房へ戻った。


 戻る道、ビートルのカーラジオから、たまたま北海道のローカル局のニュースが流れていた。


 札幌の街の話題だった。


 大通公園のとうきびワゴンが、今年も出店している、と。


 俺は、ハンドルを握ったまま、少しだけ笑った。


 千夏が今、札幌のどこにいるのかは知らない。


 共通の知り合いに聞けば、たぶんすぐにわかる。けれど、聞いたことはない。これからも、聞くことはないだろう。


 奈緒美とは、二十年経っても笑って会えた。


 千夏とは、たぶん、一生会わない。


 その非対称が、俺という人間の、最後の答えなのだと思った。


     


 一週間後、俺のスマートフォンの画面が光った。


 奈緒美からの、InstagramのDMだった。


『ギター、本当に最高の音がする。弾きやすいし、二十年分の私たちの時間が、ちゃんと木の中に詰まってるのがわかるよ』


 俺は、しばらく画面を見つめ、丁寧に返信を打ち込んだ。


『よかった。いっぱい弾いてやって』


『次は、三年以内に絶対に行くから。それまでに、新しいテーマを考えておくね』


『わかった。中標津で、のんびり待ってるよ』


『七尾は、昔から、待つのが本当に上手だよね』


『上手じゃないよ。ただ、待つことしかできない、不器用な職人だからね』


『それを、上手って言うんだよ』


 少し間を置いて、また画面が光った。


『あとさ。鎌倉のあのパンケーキ屋さん、まだ同じ場所にちゃんと残ってたよ。今度、三年以内に北海道に行くとき、やっぱり鎌倉に寄ってから行こうかな』


『だから、それは遠回りが過ぎるって』


『遠回りくらい、どうってことないよ』


 俺は、スマートフォンをテーブルの上に置き、ソファの左端に深く腰掛けた。


 そして、隣に立てかけられた、赤ラメの`G&L L-2000`エレキベースを優しく抱え、右手の指先で、弦を一本、静かに弾いた。


 ポロン、と。


 アンプを通さない乾いた低音が、工房の中に短く響いて、すぐに消えた。


 俺は、もう一度、同じ弦を弾いた。


 今度は、少しだけ長く、残った。

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