三の花 望まぬ婚礼への誘い
幸いにも、リサーはこちらの様子が変わったことには気がついていないらしい。
緩んだ髪紐を彼女が結び直しているところを、私が黙って見つめていると、一人の臣下が部屋にやってきた。
「龍神様、謁見を求める者が参っております。狐族の使者と名乗っているようですが、いかがいたしましょう」
その一言で、リサーの尻尾や耳の毛が逆立ったのが、すぐに分かった。
狐族の長候補であるリサーを、宮殿に留め置いてから今日まで、彼らはなんの反応も示してこなかった。私に苦言を呈するつもりで、ここを訪れたのだろうか。
ほどなくしてヴィート君が連れてきたのは、二人の青年だった。彼らの背後には、それぞれ二つの尾が揺れている。
一人は少々ふくよかな体型で、キツネというよりも、たぬきのような愛くるしいシルエットだ。顔立ちはまだ幼く、穏やかな表情を浮かべている。
もう一人は鋭い目つきと、狼のような野生味のある外見をしていた。彼の頬には、まだ赤みのある引っ掻き傷が残っている。
リサーは彼らのもとへ歩み寄ってから、玉座に向き直った。
「龍神様、二人を紹介いたします。まずこちらが、私の弟レムートです」
「お目にかかれて光栄です、龍神様! 狐族のレムートと申します」
リサーの弟は、丸い体が半分に折れそうなくらいに、深いお辞儀をしてくれた。
人懐っこい笑顔がこちらを見上げる。輝く瞳は、リサーと同じ色をしている。
「そしてこちらが、私たちの幼馴染でもあるウゥルです」
「お会いできて嬉しい限りです」
素早く頭を下げたウゥルは、物言いたげな表情を浮かべながらも、姿勢を正す。細い目は、隣に立つリサーに向けられていた。
蔑むような視線を、彼女は気にも留めていないようだが。……見ているこっちは不快になるよね。
私が不機嫌であることに気づいているヴィート君が、こちらの様子をちらちらとうかがってくる。
まったく、信用がないね。そんなに心配しなくても、いきなり怒鳴り散らしたりなんかしないってのに。
「それで、どういった用件かな?」
苛立ちを抑えながら、きわめて穏やかに問いかける。
「本日は、許嫁を迎えに参りました」
「はぁ!?」
リサーの甲高い声が、玉座の間に響く。
「あんなことしておいて、まだ結婚できると思ってるの?」
ウゥルの頬傷を睨みつけながら、彼女は叫んだ。
「うるせぇな。女は黙ってろよ」
「なんですって!?」
「やめなよ二人とも! 龍神様の御前だっていうのに」
わたわたと狼狽えながら、レムートは頭を下げる。
「次期族長のリサーを里へ帰していただきたく、狐族の代表として参上いたしました。先代が存命であるとはいえ、長の仕事は口伝で引き継がれるもの。準備を始めるのが、早いに越したことはありませんから」
それから彼は、遠慮がちに姉へ語りかけた。
「姉上が剣士になりたいと願ってきたことは、理解しているつもりです。ですが、これまで頑張ってこられた姉上だからこそ、一族の長に相応しいのだと思っておりますよ、僕は」
澄んだ瞳を向けられ、さすがのリサーもたじろいでいる。どうやらまっすぐな性格も、姉によく似ているようだ。
「ご安心ください、龍神様。長とはいえ、お飾りの女帝ですよ。番に選ばれた俺が、狐族を正しく導いていきますから」
「ちょっと、ウゥル! 婚約の話は、父さんたちが勝手に決めたことでしょう!? しかも、生まれたばっかりの頃に!」
リサーが幼馴染に掴みかかる。やはりこの男が、彼女の番なのか。
筋肉質でたくましい体つき。よく焼けた肌が、彼をより頑強に見せている。
鍛え上げているリサーの隣に立っても、なんら不自然はない。
「龍神様。落ち着いてください」
ヴィート君がこそりと耳打ちしてくる。どうやら、足を小刻みに鳴らしているのが気にかかったようだ。
「……落ち着いているとも」
そう。いくら私が、細身で白い肌をしているからといって、心を乱されたわけではない。……本当に!
ヴィート君から疑いの目を向けられている間も、リサー達は口論を続けていた。
「俺だって、色気のない女は好みじゃねぇよ! とはいえ、若い世代で二尾を持っているのは、俺とレムートだけだし。俺が嫁さんにしてやるしかねぇだろ?」
ウゥルは眉間にしわを寄せながら、リサーの手首を掴む。
「とにかく、里へ戻ってくるんだ! 祝言をあげさえすれば、あとは好きなだけ剣でも振るっていればいい」
「なっ……!?」
言葉を失った彼女を見つめながら、私は静かに震えていた。
立派な女剣士になるというのは、彼女の崇高な夢なのに。その道を断とうとしている奴らが、言うに事欠いて、剣遊びをすればいいだと?
筋張った手が、今も彼女に触れていることさえ、不快で仕方がなかった。
「……お前、いい加減に」
「恐れ入りますが、ウゥル様!」
不穏な空気を察したのか、ヴィート君が口を挟んでくる。
「女帝の座を確約するのは時期尚早だと、龍神様は考えておられます。今は龍神族の山で、いろいろと学びを得ていますし、今日のところはお帰りいただけないでしょうか?」
ウゥルは納得のいかない様子だったが、頭を下げ続けるレムートに連れられ、しぶしぶ玉座の間を後にしたのだった。




