表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

お久しぶりです、龍神様。どうぞ私を食べてください! 〜前世は白兎のアルビノ娘、村を追われ再会した恩人の『白龍様』に最高の捧げ物として溺愛される〜

作者: okazato.
掲載日:2026/04/17

 私の最期はひどく残酷だった。けれども、死の間際に映ったわずかな景色は、息を呑むほどに美しかったのだ。


 それは、人間として生まれるよりも少しだけ前のこと。前世の私は、一羽の小さな白ウサギだった。


 柔らかな陽の光を浴びて、萌ゆる草の匂いを全身で受け止める。木漏れ日のなかで、緑とたわむれるその時間が、あの頃の私の全てだった。


 私が暮らしていたのは、龍神様のおわす神聖な山だ。そこに、人間の出入りは許されていない。

 人智の及ばぬ安息の地では、誰からも脅かされない穏やかな時が流れていた。


 毎日好きなだけ眠り、気の向くままに森じゅうを跳ね回る日々。

 色とりどりの花は、甘い香りを振り撒きながら、私と踊るように身を揺らしていた。


 けれども幸せな時間は、すぐに終わりを迎える。


 あの日の私は血まみれになりながら、森のなかを必死に駆け抜けていた。後ろを追いかけてくるのは、まだ幼い龍神族の子どもたち。


「逃げんなよぉ!?」


 なにか恨みを買っていたわけではない。暇を持て余した彼らは、退屈しのぎに子ウサギを捕まえ、蹴鞠けまりのようにもてあそんでいただけなのだから。


「よーいしょっとお!」


 激しい追撃で、小さな体が宙を舞う。


 すでに内臓は弾けていた。地獄のような苦しみを感じながらも、なんとか逃げ出そうと必死に身を起こす。


 狩猟本能がうずくのか、子どもらは鋭い眼光をきらめかせながら、こちらを見下ろしていた。


 もはやここまでだろうか。薄れゆく意識のなか、最後に目にしたのは、空から舞い降りた白龍の姿だった。


 その龍はとても小さくて、けれども目を逸らせないほどに、神々しく輝いてみえた。


「“白トカゲ”がなんの用だよ?」


 子どもらの嘲笑が響く。


 白き龍がなんと答えたか、私の耳には届かなかった。その代わりに、鼓膜こまくを突き破らんほどの雷鳴が、すさまじくとどろいたのを覚えている。


「……守ってやれなくて、すまない」


 次に聞こえてきたのは、今にも泣き出しそうなか細い声だった。


 あたたかな手が、私をすくい上げる。躊躇ためらいがちに、それでいて慈しむような、ほんのわずかの触れ合い。


 しばらくすると、柔らかな土の感触とともに、花香かこうが漂ってきた。どうやら私の死に場所には、花畑を選んでもらえたらしい。


 薄く目を開けると、視界を埋め尽くすほどの花びらが舞っていた。涙をこらえようとしている優しい龍の声が、どこからか聞こえている。


《白龍様。どうか、気に病まないでください。あなたのおかげで、穏やかな最期を迎えられるのですから》


 けれども、ウサギの言葉が通じるはずもない。


《ああ、神様。どうかこの私に、恩返しをさせてください……》


 そう願ったはずなのに、私の命はあっけなく尽きてしまった。


 花びらが少しずつ積み重なり、子ウサギの亡骸なきがらを埋め尽くしていく。なんとも贅沢ぜいたくなこの世との別れだったと、今では思う。


 次に目を覚ますと、私は人間になっていた。どうやらこれが、“生まれ変わり”というやつなのだろう。


 幸いなことに、赤い目と雪のような髪は前世のままだった。


 この見た目であれば、私があのウサギだと、白龍様も思い出してくださるかもしれない。物心がついた私は、そう喜んだものだった。


 代わりに村じゅうからは、異端な忌み子として嫌われたけれども、そんなことはどうだってよかった。


 この赤すぎる瞳だって、いくら不吉だとののしられようと、産後間もなく命を落とした母からは、「野山の木苺マリーナみたいに可愛い」と言われていたのだから。


 母が遺してくれた、マリーナという名とともに生まれ変わった私は、変わらずに『白龍様へ恩返しがしたい』と願っていた。


 とはいえ、あの森に人間が入ることは禁じられている。


 あの龍はすぐそばにいるかもしれないのに、会いにいくことさえできない。もどかしさを抱えたまま、あっという間に十五年が過ぎた。


 そして今。白い簡素な服だけをまとった私は、龍神様の森の前で、一人たたずんでいる。


『ここまで育ててやったんだ。せめて、立派な“贄”として恩を返すんだな!』


 私を置き去りにした村人たちは、憎々しげにそう言い捨てた。


 彼らの言う“贄”とは、龍神様に捧げる生娘のことを指している。


 かつて龍神様は、人間たちの横暴な振る舞いに怒り狂い、人里を滅ぼそうとした過去があるらしい。


 その時はなんとかゆるしを得ることができたそうだが、私たちは反省の念を示すために、今でも五十年に一度、龍神様に供物を捧げることとしている。


 そして今回の捧げ物に選ばれたのが、私だったのだ。


 当然、役目を逃れることはできない。この儀式は、龍神様のお膝元で暮らす私たちにとって、なによりも大切なしきたりの一つなのだから。


 みんなは厄介払いができて、清々している様子だった。もちろん、親代わりの人々からそのように扱われ、悲しくないわけではない。


 けれどもそれ以上に、私の胸は高鳴っていた。


 あの山に入れば、また彼と出会えるかもしれないのだ。そう考えると、生贄になるのも案外悪くない気がしたから。


『もうすぐ死ぬっていうのに、笑ってるわよ!? 相変わらず気味の悪い子ね……』


 それが養母の漏らした、最後の言葉だった。


 そうして“捧げ物”となった私は、十五年ぶりに森へ足を踏み入れる。


 久しぶりに訪れた龍神様の山は、あの頃となにも変わっていない。豊かな木々が広がり、鳥たちは嬉しそうに歌い合っている。


 ここにはもう、悪態をつく隣人はいないのだ。見た目を理由に、仲間外れにされることもない。


 広大な森のなかで、私はちっぽけな存在にすぎなかった。そう思うと、次第に心が弾んでくる。


「もう、こんなのもいらないわよね?」


 靴を脱ぎ捨て、裸足になった。枯枝も落ちているが、問題はない。


 森の歩き方なら、他のどの動物たちよりも、詳しく知っている自信があるのだから。


 軽快にステップを踏みながら、爽やかな緑の香りを吸い込む。人間になってから、初めてと言っていいほどの開放感を覚えていた。


「気持ちいい……!」


 心地よい葉擦はずれを聞きながら、伸びをしていると。


「今回の供物は、そなたか?」


 後ろから届いたのは、低く落ち着いた男性の声だった。


「はっ、はい!」


 慌ててその場にひざをつく。すっかり気を抜いていたが、今の私は、龍神様に捧げられた人柱なのだ。


 役目を果たさねば、故郷にどのような影響があるか分からない。ああ、でも。


 龍神様に食べられてしまう前に、あのお方に会うことはできないかしら。前世の私を助けてくれた、あの白い龍に。


 身を固くする私に向かって、その男性は言葉を選ぶように、ゆっくりと話を続ける。


「……顔を上げなさい。ここは、怯えるような場所ではないのだから」


 少し後ろめたそうな、自分に言い聞かせるような言い回し。ふと、その話し方に既視感を覚えた。


 その淡い予感は、すぐに確信へと変わる。


「……白龍様」


 真っ先に視界に飛び込んできたのは、真っ白に輝く、長い頭髪だった。


 線は細くありながらも、たくましく鍛えられた体躯たいくに、金色こんじきの瞳。

 縦長の瞳孔は、地面に座した私の姿をまっすぐに捉えていた。


 体が細かく震えだす。人の形をとってはいるが、この方こそ、私を抱き上げた白い龍に違いない。


 やっと、やっとお会いできたわ! 


 なんで気づけなかったのだろう。そこらの龍神族とは格の違う、圧倒的な気高さで彼は君臨していた。


 神秘的なほどに、凛としたたたずまいが私の心をも震わせる。


 村人たちのおそれてきた龍神様が、まさに私の探していた人だったなんて。


 もう迷うことはない。なすべきことは、たった一つだけだ。


 私は作法もなにもかもを無視して、仰向けに寝転がった。そうして、喉元とお腹を無防備にさらけ出す。


「お久しぶりです、龍神様! さあ、遠慮なく私を食べてください!」

「……えっ?」


 白龍様はなぜか、ぎこちなく頬を引きつらせた。


 固まっている彼に追いうちをかけるように、喉元を強く突きあげる。


「ほら! 私を食べれば、儀式も無事に終わりますし。遠慮はいらないですよ!」


「いや……ちょっと待ってくれないか? 色々と誤解があるようだ」


 白龍様は片手で顔を覆いながら、ため息を吐き出した。その悩ましげな仕草すらも、絵画に描かれた天使様のように美しい。


「あ、もしかして生はお嫌いですかね!? 焼いても茹でても、なんでもいいですよ。龍神様の好きなように食べてくださいっ!」


 仰向けのまま叫ぶ私を見ながら、白龍様は諦めたように肩を落とした。


「……とりあえず、場を改めよう。私についてきてくれないか」

「ハイッ!」


 私は威勢よく飛び起き、土も払うことなく、彼の後ろにぴったりと張りつく。


 それから案内されたのは、森の奥深くにある大きな穴ぐらだった。


 ここが、白龍様のお住まいかしら?


 暗い場所を想像していたが、そこにはきらびやかで広大な空間が広がっていた。


 壁面は滑らかな白陶のように、つやつやと輝いており、光の反射で所々が虹色に揺らめいて見える。


 なんて素敵な場所なの! 私は感嘆の息を漏らした。


 最期に、こんなに綺麗なお住まいを見られるだなんて。死地へと向かう緊張感よりも、白龍様の住処すみかに招待された喜びのほうが、完全にまさってしまっていた。


 白龍様は時折こちらを振り返りながら、なんとも気まずそうに歩みを進めていく。


「心配しなくても、逃げ出したりなんかしませんよ?」


「怖くはないのか。供物として、人間たちから差し出されたのだろう?」


 肩越しに彼は問いかけてくる。


「白龍様がおそばにいてくださるのに、怖くなるわけがないじゃないですか!」


 満面の笑みで返すと、白龍様は驚いたように目を見開いてから、顔を背けてしまった。


 なにかご不快な思いをさせてしまったかしら? 私は早足になった白龍様を必死に追いかけながら、先ほどのやり取りを思い返す。


 この儀式を完成させることが、龍にとっても人間にとっても、最善のはずなのに。


 彼は難しい顔で、つかつかと歩みを進めている。


 なんだかよく分からないけれど、とにかく今は、大人しくしておこう。龍神様に楽しく食事をしていただくのが、前世からの夢なんだから!


 やがて私たちがたどり着いたのは、宮殿のようにしつらえられた『玉座の間』だった。


 そうか。この方は、誇り高き神様なのだ。


 獣のように、屋外で野蛮に人を食べたりはしないのだろう。


 きっとここで、静かに食事をなさっているに違いない。ということは、ようやく私のことを食べていただけるのね!


 慌てて身なりを整え直していると、部屋の奥からゆったりとした声が響いた。


「戻ったんだね、ヴィート君」


 声の主は、空のように透き通った青い髪と瞳を持つ男性だった。


 驚くべきことに、その人物は部屋の中央にある豪華な玉座に、さも当然といった様子で腰掛けている。


 そこは白龍様のものなのに! 私の頭に、一気に血がのぼった。


「あなたは何者ですか。なぜ、白龍様のために用意された椅子に、堂々と腰掛けているのです!?」


「うん?」


 激しい剣幕に、青髪の男性は目を丸くしている。


「すぐにそこを退きなさい。そこは、偉大なる龍神様──つまり、このお方がお座りになる場所ですよ!?」


 白龍様に手を向けると、玉座の間がしん、と静まり返った。


「あー……少しいいだろうか」

「はいっ! なんでしょうか、龍神様!?」


 白髪の青年に笑顔を振りまくと、彼は複雑な面持ちでひたいを押さえる。


「訂正させてくれ。まず、私は神ではない。そしてそなたの話した通り、玉座に腰を下ろすことができるのは、龍神様ただお一人だ」


「と、いうことは」


 玉座に目を移すと、本物の“龍神様”がなんとも満足げに微笑んでいた。


「さあ、君の話を聞かせてもらおうか。白い娘さん?」


 それから私は、青き龍神に全てを打ち明けた。


 自分が儀式の供物であること。さらに前世の記憶があり、白龍様──いや、ヴィート様に大恩があることを。


 なにも知らない私に、龍神様はこうも教えてくれた。

 再会を願っていた相手は、龍神族を支える宰相であり、龍神様とも近しい存在であると。


 やっぱり、高貴な身分のお方だったのね。うっとりと白龍を見つめていると、彼は慌てながら顔を隠してしまった。


 ようやく巡り会えたのだ。儀式が始まってしまう前に、念願を果たさねば、死んでも死に切れないだろう。


「龍神様。もう少しだけ、儀式を行うのを待ってはいただけないでしょうか!? 私はどうしても、ヴィート様に恩返しがしたいんです!」


「……だそうけど。君は覚えているの? その白ウサギちゃんを」


 揶揄からかうような龍神様の呼びかけに、白龍は首を振る。


「まさか、知りませんよ。それに前世がウサギだなんて。おおかた夢で見た出来事を、現実だと思い込んでいるのでしょう」


「ちっ違いますよ!? ほら、よく見てください! 白い毛に、赤い目。なにか思い出せませんか!?」


「こら、近づくのはやめなさい。初めて会った時から感じていたのだが、少し、距離が近すぎるんじゃないだろうか」


 ぐぐいと顔を寄せられた白龍は、戸惑ったように私を引き離してしまう。


 二人のやりとりを見守っていた龍神様は、嬉しそうにニヤつきながら、口を開いた。


「ははは、面白い! では、こうしよう。ヴィート君! 彼女の処遇は君に任せよう。愛でるもよし、喰らうもよし。好きなようにするんだね」


「はぁ!? ご冗談はおやめください。私は、人間を食べたりなんてしませんよ」


「ええっ! そんなの困ります。ヴィート様に食べてもらうために、今日まで生きてきたっていうのに!」


 慌てて胸元にしがみつくと、彼は助けを求めるかのように、天を仰いだ。


 龍神様は笑ってしまいそうになるのを必死に堪えながら、私にこう尋ねた。


「それで、君のお名前は?」


「マリーナです。ヴィート様に出会うために、人間として生まれ変わった、ちっぽけな白ウサギです!」


 それから、“捧げ物”としての生活が始まった。


 とはいえ、ヴィート様が私を食べようとしない限り、恩返しをすることはできない。


 だから私は、私室の前で待ち構えたり、宮殿の廊下で、ひたすら彼を追いかけ回す日々を送っていたのだが。


「もういい。止めないから、せめて大人しくしておいてくれないか……」


 ヴィート様は諦めたように、私を執務室へ招き入れる。そこは整理整頓の行き届いた、落ち着いた部屋だった。


「わぁっ……!」


 陽だまりの香りが、ふわりと鼻をつく。芝の上で日向ぼっこをした時に漂ってくる、温かなあのにおい。


 そうか。ヴィート様のそばにいるとほっとするのは、この香りのせいかもしれないわ。


 私は細く息を吐いてから、部屋にそっと足を踏み入れた。


 磨き上げられたデスクの上には、一切の無駄がない。大量の書類も、きちんと揃った状態で重ねられており、使い古されたはずの羽ペンさえも、新品と見紛うほどの輝きを保ったまま、机の隅で出番を待っているようだった。


 私はデスクの前に置かれた椅子に腰を下ろし、まっすぐに彼を見つめる。


 熱心にお仕事をされている姿は、抜群に格好いい。でもヴィート様は、少し根を詰めすぎているのではないだろうか?


 こうやって見守っている間も、彼は一切姿勢を崩さず、ただ黙々と仕事をこなしている。


 その様子が、なんとなく自分を追い込んでいるように見えて、気づけば口を開いてしまっていた。


「あの、お散歩でもしませんか!? ほら、私も食べられる前に、ヴィート様の暮らしていた場所を見納めしておきたいですし」


 急に立ち上がった私を見て、彼はビクリと肩を揺らす。


「……食べないと言っているだろう。大人しくしていなさい」


 白龍はこめかみを抑えると、まるで子どもに言い聞かせるように、ゆっくりと続けた。


「いいですか。ここは人間には危険すぎます。私の目が届かぬところには、勝手に出ていかないでくださいね」


「でもヴィート様。このお城で殴ってくる人はいませんし、消えてしまえと言う人すらいないですよ? みなさんお優しいですから」


「……ちょっと待て。人里では、そんなことをされていたのか?」


 白龍は不愉快そうに眉をひそめる。


「いやっ、ほら! 私は白ウサギの時と同じ色で生まれたじゃないですか? みんなは気味が悪かったみたいで。……あれ?」


 いつのまにか彼は立ち上がり、扉の前まで移動していた。


「ヴィート様!?」


 呼びかけられた白龍は、一度足を止め、背中越しに語りかけてくる。


「少し席を外す。大人しくこの部屋にいるんだぞ」


「えっ。ちょ、待ってくださいよ!?」


 慌てて追いかけるが、私が廊下に出た時には、ヴィート様の姿は見えなくなってしまっていた。


「あれ、珍しい。置いてけぼりにされちゃったの?」


 振り返ると、すぐ後ろで龍神様がひらひらと手を振っていた。


「……そうか。そんなことがあったんだねー」


 話を聞いた龍神様は、なにかを思い出したように深くうなずく。


 彼は私の前を歩きながら、ぽつぽつと話し始めた。


「ヴィート君は昔、“白トカゲ”とさげすまれていたことがあってね」


 その言葉には聞き覚えがある。私が白ウサギとして最期の時を迎えた、あの日。確かに彼は、同族からそのように呼ばれていた。


「当時の彼は、うまく龍化が扱えず、からかいの対象になっていたんだ。そのうえ、珍しい純白の身体を持っていたものだから、そんなあだ名までつけられてしまって。だから今も、同じ『白』を持つマリーナちゃんを、放っておけないのかもしれないね」


「ヴィート様も、見た目でご苦労をなさっていたのですか……」


 あのように美しいお方が、そんな差別を受けていたなんて。龍神様の言葉を聞いても、信じられない気持ちでいっぱいだった。


 けれども私は知っている。外見が違うというだけで、人はどれだけ恐れを抱くのかを。


 安心を得るために、相手を蔑み、痛めつける存在がどれほどいるか。人間に生まれ変わってから、私も嫌というほど思い知らされてきたのだから。


「ヴィート君はそれを見返すために、死に物狂いで鍛錬を重ね、今の地位を築いた。だから、もう大丈夫。マリーナちゃんが心を痛める必要はないよ」


 龍神様は、険しい顔をしている私に微笑みかける。


「ですが私のせいで、辛い記憶を思い出させてしまったかもしれません」


 机を立った時の、ヴィート様のあの表情。金色の瞳に悲しみの影が宿っていたのを、私は見逃さなかった。


「だけど、マリーナちゃんがヴィート君に害をなしたわけではないじゃないか」

「でも」


 私は立ち止まり、強く手を握りしめる。


「私は白龍様に、幸せな思いだけを抱えて、生きていてほしいんです!」


「あ。ちょっと待ちなよ!?」


 龍神様に呼び止められながらも、私は王宮の外を目指し、駆け出していった。


「あーあ、いなくなっちゃったや……。本当に、ウサギのようにすばしっこい子なんだから」


 置き去りにされた青年は、あごに手を添えながら、感心したように漏らす。


「外へ行っちゃいそうだけど、仕方ないよね? あの子を放っておいたのは、ヴィート君自身なんだから」


 からからと笑いながら、神は玉座の間へと戻っていったのだった。


 一方で私は、ヴィート様の姿を探しながら、洞窟の外へと飛び出していく。


「やっと出られた。ヴィート様はどこ……!?」


 久しぶりに訪れた森は、なんだか薄暗く陰っている。もしかすると、通り雨でもあるのかもしれない。


 重い足取りで森を進みながら、私は頭を悩ませていた。


 あの方にも悲しい過去があったなんて。どうしたら、その気持ちを和らげることができるのかしら?


「辛い時には、やっぱり……美味しいご飯を食べてもらうのが一番よね!」


 ならば、自分が最高の食材になればいいのだ。


 私は地面に生えていた香草をむしり、無邪気に頬張る。その時だった。


「うわっ、なんだよコイツ。草なんか食ってるぞ!?」


 振り返ると、そこにいたのはまだ幼い、龍神族の子どもたちだった。


「驚かせてごめんね。でもこれ、食べられる草なんだよ?」


 握りしめた野草を突き出すと、子どもらはこちらから目を逸らすことなく、ただただ後退あとずさりする。


「あれっ。こいつ、人間たちから供えられた“捧げ物”だぞ!?」

「白色だ、気色悪い! まるであの宰相様みたいじゃないか!」


「なによ、失礼ね。ヴィート様はあなたたちの国を支える、立派な宰相様なのでしょう?」


 咀嚼そしゃくを続けながら、私は答える。


 彼らはまだ子どもだ。仕方なく許してあげることにするが、相手が大人だったら、私も容赦なく掴みかかっていただろう。


「はぁ? 知らないのかよ。宰相様は龍神様のお気に入りってだけで、あの職についたんだぞ。実力なんかじゃないのさ」


 心にざわつきを覚える。聞き間違いでなければ、この少年は今、ヴィート様を侮辱したのでは?


 先ほど、龍神様はこう話されていた。血の滲むような鍛錬を重ねたことで、ヴィート様は今の地位を築けたのだと。


 それを、この子らは全て否定したのだ。


 前言撤回よ! 私は先頭に立つ少年に、勢いよく肘鉄砲を食らわせる。


「い……ってぇー!? なにすんだよ!」


「なにも知らないくせに、ヴィート様を悪く言わないで!」


 鼻息荒くする私に、子どもたちは鋭い目を向けた。


「お前こそ人間のくせに、生意気なんだよ!」


 飛び上がった少年の指先には、鋭い爪が輝いていた。


 駄目、避けられない! 私は身をかがめ、ぎゅっとまぶたを閉じる。


「っヴィート様あ!」


 祈るような気持ちで彼の名を叫ぶ。その瞬間、激しい雷鳴が周囲にとどろいた。


 地面の揺れがおさまってから、おそるおそる目を開くと、そこには立ったままの格好で痺れている子どもたちがいた。


 それから驚くべきことに、彼らの後ろには、美しい白の龍が君臨している。


「……ヴィートさま?」


 けれども白い龍は呼びかけにも応えることなく、こちらに背を向けてしまう。


 私はじっと、目の前の龍を見つめる。それは前世で出会った小龍の姿とは、なにもかもが違っていた。


 地面から頭のてっぺんまで、ゆうに十尺はあるだろうか。体の長さはというと、美しい尻尾を含めずとも、その倍以上はありそうだ。


 全身は、真珠のように艶やかな純白の鱗で覆われている。


 いつの間に雲が消え去ったのか、高い空から降り注ぐ陽の光は、白龍の体に淡い紫や翡翠色の虹を映し出していた。


 その美しい生物を呆然と眺めていると、背後からいきなり肩を掴まれる。


「お嬢さん! その子らに触ってはいけませんよ。感電してしまいますから」


「あ、はい。……!?」


 私は息を呑んだ。その顔には見覚えがある。


 目の前に立つ男性は、かつて前世の私を死に追いやった、龍神族の面影を宿していた。


「ご安心なさってください。我々は龍神様に仕える家臣。宰相様とともに、あなたを探しにきただけですから」


 当然のごとく、彼は私の前世が白ウサギだということには、気がついていないらしい。


 焦げついた少年らを横目で見つめながら、長いため息を吐く。


「私はあのお方……ヴィート様の恐ろしさを、身をもって体験したことがあります。同じ過ちは、二度と繰り返しません」


「というと……?」


 遠慮がちに尋ねると、彼は恥ずかしそうに頭を掻いた。


「実は私も昔、あのお方の雷に打たれたことがあるんです。白い子ウサギをいじめていた時に、誇り高き龍神族が、弱き者をしいたげるなどあってはならぬとたしなめられましてね」


 胸の音が、次第に高鳴っていく。あの時助けてくれたのも、あの場に雷を落としてくれたのも──やはりヴィート様だったのだ。


「もちろん、今はちゃんと反省してますよ! こいつらのことは、私たちがきちんと叱っておきますし、ご安心なさってください。ほら、宰相様があちらでお待ちです」


 振り返ると、なぜかヴィート様は龍の姿のまま、地面に伏している。


「背中に乗れってことですか?」


 白龍は無言で固まっている。温かい首筋に全身で抱きつくと、彼は優雅に飛び立った。


「うわぁ……!」


 眼下には広大な景色が広がっていた。


 かつて人間として暮らしていた村も、白ウサギの頃の自分が死んだ森も。


 そして自分の腕のなかには、誰よりも会いたかった大切な人がいるのだ。


「ありがとうございます、ヴィート様。あの時も、今日のことも」


 私は美しい鱗に頬を寄せた。


「本当に本当に、大好きですからね」

「……フン」


 龍からは素っ気ない、けれども愛の感じられる鼻鳴らしが返ってきた。


 穴ぐらの前に降り立つと、ヴィート様は一瞬で人間の姿へと戻る。


 やはり彼が白龍だったのだという喜びと同時に、あの美しい身体に触れられなくなってしまったことに、一抹の寂しさを覚えてしまう。


「……食事を用意させよう。なにが食べたい?」


「ではハコベで! 村では見つけるのもたいへんだったんですよぉ」


 お腹を押さえてみせると、彼は変な物でも見せつけられているかのような、怪訝けげんな表情を浮かべた。


「そなたは人間になったのだから、草以外も食べられるのだろう?」


「ええ! ですが母が亡くなってからは、私に食事を用意してくれるような人はいませんでしたし、野草を摘んで食べることのほうが多かったですね。ほら、前世の知識もありますし、食べられる草は大体分かるんですよ!?」


 誇らしげな少女を見て、白龍は頭を抱えた。


「食事も満足に与えられていなかったのか……」


 それから彼は一言も言葉を発することなく、玉座の間へと急いだ。


「ああ、よかった! 無事にマリーナちゃんが見つかったんだね。……って、なんだいヴィート君!?」


 龍神様は、目の前に迫ってきた友人から逃れるように、体を反らす。


「……龍神様。やはりあの村、一度燃やし尽くしてしまいたいのですが」


「やめときなさい。そんなことをしたら、彼女が不十分な供物だったと勘違いされるだろう」


 正論を返され、白龍はぐぅ、と苦々しい声をあげる。


「それよりもヴィート様! いつになったら、私のことを食べてくれるのですか!?」


 背後から抱きつくと、冷静沈着なはずの白龍は、私の頭を片手で思い切り掴んだ。


「あいたたたたた! 力が強すぎませんか!? でも……強引なヴィート様も、嫌いじゃないですけど」


 薄目で微笑むと、彼の頬が一気に赤く染まった。


「いいか、マリーナ」

「はい? って、もしかして。ヴィート様! 今、私の名前を初めて……!?」


 続きを遮るように、彼は私の耳元に唇を寄せた。


「……お前がもう少し、大人になったら。そうしたら考えてやらないこともない」


「は、はひ……」


 低く落ち着いた声に、私は腰を抜かしてしまう。囁くだけでも格好いいなんて、ずるいですよ、ヴィート様……!


 よたよたと立ちあがろうとしている私に手を差し伸べながら、龍神様は嬉しそうに呟く。


「はたしてヴィート君は、それまで待てるだろうかね?」

「どういうことですか?」


 すると顔を寄せながら、龍神様は楽しげに打ち明けた。


「龍が背に乗せるのは、『心を許した相手』だけってことだよ」


 ふんふん。つまりヴィート様は、私にちょっとぐらいは心を開いてくれたってことかしら?


 だとしたら、一歩前進ね!


「龍神様!? 変なことを吹き込むのはやめてください。マリーナは、その……小さくて頼りないから、私が守らねばならないだけで!」


「ふーん?」


 龍神様はニヤついた表情を隠そうともせずに、旧友の肩に手を添えた。


「マリーナちゃん、覚悟しておくんだね。その時が来たら、頭のてっぺんから足の先まで、すっかり食べ尽くされちゃうよ。これは」

「りっ、龍神様!?」


 ヴィート様は狼狽うろたえながら、悲鳴をあげる。それとは対照的に、私は龍神様の言葉に顔を輝かせていた。


丸齧まるかじりだなんて、そんな……そんなの、最高に幸せじゃないですか!」


 しばらくポカンとしていたヴィート様の顔が、まるで木苺マリーナのように真っ赤に変わっていく。


「……もう知るかっ!」

「ああっ。待ってくださいよ、ヴィート様ぁ!?」


 慌てて駆け出した私を追いかけるように、龍神様の笑い声が後ろから飛んできた。


「せいぜい頑張るんだよ。二人ともね!」


 その楽しげな声の意味を、私は正しく理解できていなかった。


 前を進むヴィート様の眼差しが、ただの捕食対象を見定めるそれとは、違った熱を帯び始めていることにも。


 『食べ尽くす』という言葉の、本当の意味を私が知ることになるのは──それからもう少しだけ、後のお話。

最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。作品が心に残りましたら、感想等いただけますと励みになります。


今作は甘さに全振りしましたが、3/28に完結したばかりの『双面の贄姫 〜身代わり令嬢はどうにかして悪役を回避したい!〜』(全137話)でも、違った形の『贄』と『龍』を物語に描いています。


「身代わり」×「タイムリープ」×「全員救済 (ハッピーエンド)」


処刑される未来を回避するため、少女は再び“偽りの令嬢”を演じる。


前世とは異なる事件をいくつもくぐり抜け、運命の修正を試みる歩みは、いつしか国を揺るがす大きな謎へと繋がっていく――。


『双面の贄姫』は、広義の謎解き(ミステリー・サスペンス)要素を含んだ、異世界恋愛ファンタジーです。


リンクはページ下部にございます。愛と救済のドラマを、ぜひお楽しみください!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ