第9話 帰還済みにしたのは誰ですか
暗い画面に、操作履歴が一行ずつ浮かんでいく。
古い共有端末のガラスには、画面を囲む手が薄く映り込んでいた。端には、俺の汚れた手袋も混じっている。
配信外区画に隣り合う、狭い共有端末室だった。四、五人も入れば肩が触れる。低い冷却ファンの音に、消毒液と機械熱の匂いが混ざっていた。
出入口の脇では、カードリーダーが緑の待機灯を点している。
中央の端末を操作しているのは、救護局の有馬千尋さん。俺はその隣に立ち、扉側には運営管理の真壁慎吾さんがいる。
壁際に処理責任者の佐伯直人さん。入口の近くでは、氷室玲奈が読み込み画面を見つめていた。
処理状況を示す帯が、ゆっくり伸びていく。
横から、温かい缶コーヒーが差し出された。
「食事、まだですよね」
玲奈だった。
「肉まん一個なら、途中で入りました」
「それ、食事に数えるんですか」
「手当が確定した日は数えます」
玲奈は息だけで短く笑って、元の位置へ戻った。缶は手袋越しでも温かい。
端末が鳴り、履歴が開いた。
【操作アカウント:探索後処理班・共通】
【処理区分:例外帰還】
【管理者承認:あり】
「共有アカウントです」
有馬さんが表示を拡大した。
「班の共用機なので、操作した個人までは特定できません」
「……処理表に、帰還済みと出ていました」
佐伯さんの声は低かった。
「だから、そういう処理だと思って運びました。本人は見ていません。確認もしませんでした。表を信じたので」
「操作者が特定できない以上、現場の確認不足です」
真壁さんが静かに言った。
「確認工程の不備として処理し、再発防止案をまとめます。佐伯、報告書は今日中に」
佐伯さんの手が、作業手袋の甲を握った。
俺は画面の三行目を見ていた。
視界に、白い札が二枚下がる。
『承認者照合』
『処理保留』
「共通アカウントなら、押した手は替えられます」
一拍置いて、三行目を指す。
「承認した人は、替えられません」
有馬さんが顔を上げた。
「管理者承認の記録なら、救護局権限で開けます」
「待ってください」
真壁さんだった。声の温度は変わらない。
「灰崎さん。今回の調査協力手当は上乗せします。今後も継続指名を出しましょう。あなたの仕事は、うちとして評価しています」
継続指名。
缶の縁で、指が止まった。
直近の指名料の数字は、まだ覚えている。来月、空いた現場を拾い歩く日が減って、夕飯に肉がつく回数も変わる。
「……惜しいですね」
声に出てしまった。
「でも、佐伯さんの確認不足に回す札は下がってません」
「開けます」
有馬さんの指が動く。
【管理者承認:真壁慎吾】
冷却ファンの音だけが回っていた。
真壁さんは、画面から目を逸らさない。
「……私が承認しました」
「正式な隔離にしなかった理由を聞いてもいいですか」
「正式隔離は区画封鎖です。探索も配信も救護契約も止まる。スポンサーの資金が止まれば、治療中の隊員の費用も止まります」
真壁さんは、佐伯さんではなく俺を見た。
「うちは、あの子一人の隊じゃない」
言葉を切ってから、続ける。
「捨てたわけではありません。治療を続けるための、一時処理です」
「その処置は、どこで続いてるんですか」
真壁さんは答えなかった。
答えは、別の場所から来た。
「――あります」
玲奈だった。
自分の端末を胸の前で握っている。
「配信停止指示の内部ログ。配信担当の私宛てに来たものです」
俺は先に、それだけ確認した。
「出したら、戻れませんよ」
「切ったら、また残らないので」
玲奈は自分の手で、端末を中央機へ接続した。
【配信停止指示】
【送信者:運営管理・真壁慎吾】
【理由:救護処置中】
【対象区画:旧第三除染区画】
有馬さんが受理の操作を終える。
内部ログの外部提出が記録された直後、玲奈の端末が硬い音を立てた。
【配信担当権限:停止】
【内部アーカイブ閲覧権限:失効】
出入口のカードリーダーが、緑から赤へ変わる。
玲奈は確かめるようにIDカードをかざした。
【認証拒否】
彼女は失効したカードを一度見て、捨てずにポケットへ戻した。
俺は何も言わなかった。
玲奈も、こちらを見なかった。
「灰崎さん」
真壁さんの声は、最後まで静かだった。
「今後、黎明の剣があなたへ仕事を出すことはありません」
支援端末が鳴る。
【委託元都合による指名停止】
通知の下には、前回の指名依頼がまだ残っていた。画面を閉じる指が、わずかに遅れる。
「搬送記録を正式照合します」
有馬さんは手を止めなかった。
【搬送区分:救護搬送から転送】
【搬送先:旧第三除染区画】
【救護局登録:なし】
【設備状態:停止準備中】
続けて、照合結果が二行増える。
【救命タグ番号:未回収者発見補助記録と一致】
【支給品照合:保全手袋と同一支給セット】
瓦礫の下から出てきた、小さな手袋。
ロッカーの奥に残されていた、もう片方。
二つの番号は、同じ支給セットを指していた。
黒い袋を止めて拾い上げた命が、書類の上で、もう一度捨てられていた。
佐伯さんが壁際で目を閉じた。
真壁さんはもう、画面を見ていなかった。
「救護局権限で、現地確認に入ります」
有馬さんが立ち上がる。
「灰崎さん、同行依頼を出します。手当の精算は後日になりますが」
「珍しく、後でいいです」
缶コーヒーを飲み干して、俺も立った。
端末の地図で、旧第三除染区画は使用停止を示す灰色に塗られている。
その中心に、橙色の点がひとつ。
灰色の建物の中で、搬送記録だけがまだ消えていなかった。




