第7話 そのタグ、誰が外しました?
ルーペの下で、帰還済みタグの留め具だけが新しく光っていた。
作業台には細い作業ライトとピンセット、ネジ皿が並んでいる。端には、透明な証拠袋に入った片方だけの新人用手袋が置かれていた。
ここは、救護局に出入りしている小さなタグ修理工房だった。
棚には、焦げたタグ、割れた液晶、切れた留め具が番号順に並んでいる。壁際では古い換気扇が低く回り、油と金属粉と、洗っても落ちない焦げ跡の匂いをかき混ぜていた。
油染みのエプロンをつけたタグ修理屋の倉橋誠は、ルーペから顔を上げずに言う。
「……雑に扱われてるな、こいつは」
壊れたタグを見ると機嫌が悪くなるらしい。
いい修理屋だと思う。
俺は作業台の横に立っていた。後ろに救護局の有馬千尋。入口側には、黎明の剣の運営マネージャー、真壁慎吾。
氷室玲奈は壁際で、証拠袋の中の手袋を見ている。
倉橋はタグから目を離さないまま、顎だけ俺のほうへ向けた。
「あんたが、現物を見るほうのゴミ拾いか」
「はい。処理先を決める係です」
「なら話が早い」
真壁が一歩、作業台に近づく。
「修理履歴まで確認する必要がありますか。それは、タグの通常損耗では」
倉橋のピンセットが止まった。
「通常損耗なら、こっちが削れる」
留め具の縁を、ピンセットの先で軽く叩く。
ルーペの下では、古い傷と新しい傷が並んでいた。片側だけ、金属の色が違う。
「本人が胸元につけて動いてたなら、こっちが削れる。装備の金具と当たるからな」
ピンセットが逆側を示す。
「でも削れてるのは、こっちだ」
細かい金属粉が、ネジ皿に落ちた。
チリ、と小さい音がする。
「胸元の傷じゃない。机の上で締め直した傷だ」
倉橋はタグの端をピンセットで持ち上げる。
「タグを生かすためじゃない。提出する形に戻すための締め方だ」
真壁の口元が動く。
「現場で応急処置をした可能性もあります」
「応急処置なら、古い留め具の破断跡が残る」
倉橋が、留め具の根元を指した。
「こいつは違う。外して、替えて、締め直してる」
換気扇の低い音だけが残った。
俺の視界では、札がタグではなく証拠袋のほうへ下がっている。
『付着物照合』
『本人確認材料』
『証拠保全』
俺はタグより先に、袋の中の手袋を見た。
「その粉、手袋にも付いてませんか」
倉橋が証拠袋を、袋越しにルーペへ回す。
白い繊維の間に、細かい金属粉が散っていた。作業ライトを当てると、粉だけが鈍く光る。
「……同じだな。留め具を替えたとき、すぐ近くにあった」
有馬が、タグ外装の端に残った白い跡を端末で照合する。
【付着物照合:隔離サンプル同系統】
排水溝の手前で掬った、白い膜と同じ跡だ。
このタグは、廃棄残滓の中にいた。
帰還口で本人から外されたタグなら、まずここにこの跡はつかない。
視界に、白い札が並ぶ。
『本人確認材料不足』
『提出者照合』
『証拠保全』
「本人確認に使うには、足りないです」
真壁が端末を握り直した。
「留め具の交換だけで、不正と決めつけるのは早い」
「不正かどうかは、まだ分けてません」
俺はタグの留め具を見る。
「今は、本人確認に使えるかどうかを見ています」
「……代理提出自体は、規約違反ではありません」
「代理提出なら、代理した人を見れば終わります」
壁際で、玲奈が言った。
「代理提出の説明は、私は聞いていません」
真壁は、玲奈のほうを見なかった。
倉橋がタグをケースに戻す。小さな金属音が鳴った。
「タグは、だいたい正直だ。雑に扱った跡も、外した跡も残る」
倉橋はそこで初めて、真壁を見る。
「嘘をつくなら、タグじゃなくて持ってきた奴のほうだな」
「じゃあ、持ってきた人を見ましょう」
有馬が端末を操作し、提出者欄が一段開いた。
【タグ提出者:黎明の剣・探索後処理責任者 佐伯直人】
【提出時刻:帰還処理後 十七分】
【提出方法:代理提出】
【本人確認添付:なし】
表示された名は、入口側に立つ真壁のものではなかった。
ただ、真壁が取りまとめている処理班の責任者名だった。
真壁の指が、端末の縁で止まる。強く握りすぎて、指先だけ白い。
通知が重なった。
【留め具交換痕:記録】
【本人確認材料:不足】
【帰還済み根拠:保留】
【提出者照合:開始】
【代理提出記録:確認】
俺は表示を上から順に見る。
帰還処理。
十七分後。
代理提出。
本人確認添付なし。
「本人が帰って、本人確認して、十七分後に代理提出」
表示を見たまま、続ける。
「順番、変ですね」
赤い枠が、【本人確認添付:なし】に重なった。
真壁が何か言おうとする。
「これは、その……代理提出の手順上、やむを得ず」
言葉は最後まで続かなかった。
端末を握る指だけが白い。
その画面には、まだ【本人確認添付:なし】が残っている。閉じようとすれば操作ログが残る。開いたままでも表示は消えない。
倉橋がピンセットを置いた。
「少なくとも、こいつは本人が帰還口で外したタグじゃない」
ネジ皿の中で、金属粉が作業ライトを拾って光る。
「誰かが、あとから提出できる形に戻したタグだ」
それで十分だった。
犯人を指す札は、まだ下がらない。
生死の札も、ここでは出ない。
ただ、このタグを【帰還済み】の箱に戻すのは、もう無理だった。
処理済み。
確認済み。
帰還済み。
そういう灰色の判が剥がれていくたび、俺の名前もログに残る。
誰にも拾われなかった新人の記録を、俺が拾った記録として。
それでいい。
拾ったものが大きければ、ログも遠くまで届く。
作業台の上には、留め具を外されたタグ。
ネジ皿の金属粉。
袋の中の、片方だけの手袋。
端末には、赤枠の【本人確認添付:なし】
「その十七分、誰がそのタグを持ってたんですか」
真壁の指は、端末の縁で止まったままだった。
赤枠の下で、ネジ皿の金属粉だけが光っていた。




