第6話 帰還済み、本人確認します
【対象者状態:帰還済み】
その文字だけが、まだモニターの隅で赤く点っていた。
救護局の照合室。
三枚のモニターには、灰色の【処理済み】が並んだままだ。その中で、赤だけが消えない。
【タグ反応:微弱】
【処理分類:廃棄残滓内】
机の上では、隔離ケースの黄色いランプが点滅を続けている。その横に、俺の作業手袋が置かれていた。
「帰還済み探索者タグ履歴を照合します」
救護局職員、有馬千尋が端末を操作した。
画面が切り替わる。
【対象者状態:帰還済み】
【所属:臨時同行】
【装備区分:新人支給品】
【親族照会:なし】
【帰還時本人確認:簡易】
【帰還後救護記録:未入力】
【タグ提出者:黎明の剣・探索後処理担当】
俺の指が、一瞬だけ端末の上で止まった。
【親族照会:なし】
……次だ。
後ろで、玲奈の衣擦れがした。
俺は画面に戻る。
帰還済みなのに、帰還後の救護記録が空欄。本人確認は簡易で、タグを出したのは本人ではなく、黎明の剣の探索後処理担当だった。
「簡易で閉じるには、空欄が多いですね」
視界に、白い札が下がる。
『本人確認』
『タグ現物確認』
『処理保留』
「有馬さん。タグ現物、見せてもらえますか」
有馬が端末から顔を上げる前に、右側の男が口を挟んだ。
黎明の剣の運営マネージャー、真壁慎吾だった。泥ひとつないスーツと、閉じられない規定画面。探索後処理を取りまとめる側の人間だ。
「帰還者情報は個人情報です。外部委託者に開示する範囲ではありません」
「個人情報はいりません。タグが本人確認に使える状態かだけ見ます」
「タグは提出済みです。確認も済んでいます」
「確認済みなら、もう一度、確認に回しても問題ないですよね」
真壁の視線が、有馬へ移る。
有馬は端末に目を落とした。
【タグ現物確認:救護局照合】
【個人情報欄:非表示】
【損傷状態のみ共有】
「灰崎さんには、損傷状態と照合結果のみ共有します」
「十分です」
有馬が立ち上がった。
「保管庫へ移動します」
タグ保管庫は、冷たい白の照明だった。
壁一面の透明ケースには、番号札と一緒に焦げたタグや割れた液晶、留め具の千切れたものが並んでいる。提出済みの札が付いた棚は、他の棚より少しだけ清潔に見えた。
ここにあるのは、全部「終わった」タグだ。
有馬が棚から一つ、ケースを抜く。
カチ、とロックが外れ、中でタグが小さく揺れた。
【提出済みタグ】
【再使用不可】
【帰還済み処理】
ケース越しに目を近づける。
留め具の一部だけが新しい。周りの傷と、そこだけ色が合っていない。
外装の端には、排水溝で見た膜によく似た白い跡があった。
本人の胸元から外されたタグなら、留め具まわりに汗の曇りが残る。装備と擦れた癖もつく。外された瞬間の、生きた汚れ方がある。
これには、それがない。
『現物確認』
『提出者照合』
『処理保留』
「これ、本人と一緒に戻ったタグの汚れ方じゃないです」
有馬は無言でケースに保全札を付けた。
【タグ現物確認:記録】
【帰還済み根拠:要再確認】
真壁は棚の白い光の中で、端末だけを見ていた。
「タグは損傷します。探索後に留め具だけ交換することもある」
「交換したなら、その記録を見ます」
「現場では、そこまで細かく残せないこともあります」
「なら、本人の方を見ます」
俺はタグケースから目を離した。
「帰還後に本人がいたなら、本人の跡が残ってます」
最後に向かったのは、黎明の剣の帰還後処理エリアだった。
蛍光灯の下に、壁際の仮置き棚と新人用ロッカーの列が並んでいる。隣のロッカーには、濡れたタオルや空の栄養ゼリー袋、外された膝当て、泥のついた替え靴が押し込まれていた。
帰ってきた人間が、ここで装備を外した跡だ。
対象者番号のロッカーだけが、やけに軽く見える。
「新人の私物まで確認する必要がありますか」
真壁の声に、俺は端末を見せた。
「私物じゃなくて、本人確認材料です」
「そこから先は、本人または親族の同意が必要です」
俺は画面の一行を見る。
【親族照会:なし】
「親族照会、なしですよね」
「だから何だと言うんですか」
「だから、本人確認できる相手がここにいません。残っている物を見ます」
有馬が対象者番号のロッカーを開けた。
薄い金属音がする。
ロッカーの中は空だった。
装備も私物もなく、床の隅に乾いた泥だけが少し残っている。扉の内側では、剥がしかけの名前札が途中で止まっていた。
濡れたタオルも、外した膝当ても、空になったゼリー袋も、隣のロッカーにだけある。
「……帰還後の顔合わせにも、いなかったと思います」
玲奈がロッカーの奥を見たまま言った。
「私は、見ていません」
玲奈の声は、配信のときよりずっと低い。
仮置き棚の奥に、布の塊があった。
引き出す。
新人用の手袋が、片方だけ。
支給品の、安いやつ。
黒い廃棄袋の奥で見つけた新人用と、同じ型番だった。
支援端末をかざす。
【支給品手袋】
【汚染軽微】
【廃棄可】
端末は正しい。
物としては、そうだ。
俺の札は違う。
『廃棄不可』
『本人確認』
『救護局提出』
手袋を透明な証拠袋に入れ、封を押す。粘着面が細く鳴った。
有馬が証拠袋の番号を読み上げる。
【本人確認材料:保全】
【帰還済み処理:保留】
【対象者所在:未確認】
空のロッカー。
剥がしかけの名前札。
袋の中の、片方だけの手袋。
証拠袋の向こうで、赤い【対象者所在:未確認】が、手袋の汚れに重なって見えた。
「帰還済み、でしたよね」
真壁は答えなかった。
有馬は記録を続けている。
玲奈は、空のロッカーから目を逸らさなかった。




