第5話 廃棄済みのログ、開けます
隔離処理手当で買った肉まんは、まだ一口も食べていなかった。
救護局の受付で紙袋を預けると、油の匂いだけが作業手袋に残る。そのまま通された照合室には、三枚のモニターが並んでいた。
別々の日付の処理ログが開かれている。
どの画面にも、同じ灰色の判が押されていた。
【処理済み】
【確認済み】
【廃棄完了】
部屋は暗い。
光っているのは、正面のモニター三枚と、机の上の隔離ケースだけだ。黄色い警告ランプが、中の白い膜のサンプルを規則的に照らしている。
その横に、俺の作業手袋が置かれていた。
洗っても落ちない汚れごと、この部屋では場違いに見える。
左に救護局の職員。右には、黎明の剣で探索後処理を取りまとめる運営マネージャー。少し後ろに、氷室玲奈。
俺は机の端に立っていた。
呼ばれた側の定位置だ。
「照合を始めます。対象は、黎明の剣の過去三回分の探索後処理ログ」
救護局の職員がそう言うと、運営マネージャーが手元の端末を少し持ち上げた。
「その前に。過去三回分まで開く必要がありますか。今回の件とは別処理です。すべて端末基準内で閉じています」
「閉じてるなら、開いても困らないですよね」
「……配信に関係ない、内部のログです」
「処理済みのままでいいなら、確認もすぐ終わります」
運営マネージャーは、机の上の隔離ケースを見なかった。
「そのログは、クラン内部の処理記録です。外部委託のサルベージャーに見せる範囲ではありません」
「なら、俺の仕分けログも外してください」
「……は?」
「俺のログだけ照合に使って、そっちの処理ログだけ閉じるのは、扱いが変です」
職員は端末の記録番号を見直し、運営マネージャーは開いた規定画面を閉じられずにいた。
玲奈が俺を見る。
それから、モニターへ視線を戻した。
「照合範囲に含めます」
職員が隔離ケースの管理番号を読み上げる。
三枚のモニターで、別々の日付の映像が動き出した。どれも探索後の通路だ。処分カートが通り、廃棄袋が積まれ、判定が重なる。
【処理済み】
【汚染値基準内】
【廃棄完了】
【未回収者なし】
一見、どこにも問題はない。
三件とも、きれいに閉じている。
俺は判定の欄を見なかった。
見るのは、処理時刻、カートの通過記録、白い影が映った数秒。それから、排水ラインの系統図。
映像だけなら、白い影で終わる。
机の上のサンプル、処理番号、隔離ケースの管理番号、排水系統図。それらを、同じ現場の残りものとして重ねて見る。
その上に【仕分け】を重ねる。
『再照合』
『証拠保全』
『処理保留』
……全部、閉じ直しだ。
職員がサンプルの画像を、映像の隅の白い影に重ねた。
反射の具合が同じだった。
「排水ラインを出します」
三件の映像に赤い線が引かれていく。
一本目の赤線が、系統図の左端に刺さる。二本目が、その下から同じ管へ入る。三本目が、少し遅れて同じ合流点に重なった。
三つの【廃棄完了】が、同じ排水口へ落ちている。
運営マネージャーの指が、端末の端を叩いた。
「別処理です。今回の件とは関係ありません」
「別処理じゃないです」
俺はモニターを見たまま言った。
「捨てた先が、同じです」
職員が、今度は時刻欄に赤枠を足していく。
三件とも、同じ時間帯に処理記録の空白があった。カートは通っている。なのに、その十数分だけ記録が飛んでいる。
「偶然にしては、揃いすぎですね」
職員が言った。
運営マネージャーは、手元の規定画面をスクロールするだけだった。
「その日、配信アーカイブも途中で切れています」
玲奈が低く言った。
クリック音が止まる。
「氷室さん、それは今ここで――」
「残っている範囲では、そこまでしか確認できません」
玲奈は、モニターから目を逸らさなかった。画面に【黎明の剣】の文字が出るたび、袖をつまむ指が少しだけ動く。
排水溝の現場で、彼女は配信を切らなかった。
今も袖をつまんだまま、モニターを見ている。
灰色の判が押されると、現場は片づく。
片づいたことになったものは、請求書にも報告書にも戻ってこない。
だから、袋もログも、閉じる前に見る。
支援端末が短く鳴った。
【過去処理ログ:再調査対象】
【排水系統照合:記録】
【ログ照合手当:確定】
「……ログを見るだけでも、手当つくんですね」
誰も笑わない。
まあ、そういう部屋だ。
受付に預けた肉まんは、たぶんもう冷め始めている。
職員が、二件目の映像を拡大した。
空白時間の前後を、コマ送りで確認していく。画面は灰色ばかりだった。判も、通路も、積まれた袋も。
その隅に、小さな赤が点く。
【タグ反応:微弱】
【処理分類:廃棄残滓内】
【対象者状態:帰還済み】
職員の手が止まった。
運営マネージャーが何か言いかけて、飲み込む。玲奈が一歩、モニターに寄った。
帰還済み。
その文字だけが、妙に明るく見えた。
帰還済みの探索者タグは、本人の端末と一緒に地上へ戻る。廃棄残滓の中に、微弱でも残る分類じゃない。
タグだけが捨てられたのか。
帰還記録の方が間違っているのか。
それとも、帰ってきたものを誰も確認していないのか。
どれでも、処理済みの一言で閉じていい話じゃない。
俺の視界で、札が一枚増えた。
『救護局提出』
「……帰ってる人間のタグが、なんで廃棄ログにいるんですか」
職員は記録を続けた。
玲奈はモニターの赤い表示を見ている。
運営マネージャーだけが、端末の規定画面を開いたまま動かなかった。
端末が硬い音を立てる。
【照合範囲拡大】
【対象:帰還済み探索者タグ履歴】
「帰還者タグ履歴は個人情報です。外部委託者に開示できません」
運営マネージャーが、ようやく言った。
声は小さい。
「なら、俺のログも個人情報ですよ」
「あなたは提出者です」
「じゃあ、そっちの提出者だけ見ましょう」
職員が端末を操作する。
短い電子音。
【帰還済み探索者タグ履歴:救護局照合】
【外部閲覧制限】
【提出者照合のみ許可】
「灰崎さんには、照合結果のみ共有します」
「十分です」
三枚のモニターには、灰色の【処理済み】が並んでいる。
その隅で、赤い【タグ反応:微弱】だけが点り続けていた。
机の上では、隔離ケースの黄色いランプが点滅を繰り返している。
まだ終わっていないものは、いつも端に残る。




