第3話 そのまかない、廃棄予定です
壁のモニターに、白い表示が出た。
【配信終了】
その一行で、氷室玲奈の顔から笑顔が落ちる。
さっきまでカメラに振られていた手が、机の紙コップを取った。水面が細かく揺れ、玲奈はコップを静かに戻して、その手を膝の下に隠す。
黎明の剣の帰還後処理エリア。
床には回収済みの廃棄袋が並び、机には開封して半分残った携行食が置かれている。流しには血の混じった水が残り、その縁に薄い白い膜が貼りついていた。壁際では処分待ちのカートが順番を待っている。
温かいものが、何もない部屋だった。
俺は入口の端に立っている。呼ばれた側の定位置で、ちょうど廃棄袋の隣だ。
「依頼内容は、届いてますね」
クランのマネージャーが端末から顔を上げる。
「戦闘後残滓の再仕分け。配信アーカイブの確認。それから、先日の件の追加調査。以上です」
「承ります」
配信アーカイブの確認も、追加調査もある。
ただ、先に目が行くのは壁際の処分待ちカートだった。
奥から、玲奈がこっちを見る。
「あの映像を保全したのは、私です」
配信より、二段低い声だった。
「お礼が言いたくて呼んだわけじゃありません。あなたの【仕分け】を、直接確認したかったので」
「はい。それで結構です」
俺は処分待ちカートの前に膝をつき、支援端末をかざした。
【汚染混合物】
【廃棄可】
その上に【仕分け】を重ねる。
『廃棄』
『売却・下』
『処理保留』
途中で、札の向きが変わった。
机の上だ。
残った携行食、処分前の魔物素材、使いかけの出汁パック、冷めた紙コップ。廃棄予定のものばかりが、別の行き先を出している。
『少量可食』
『帰還後補助』
『温食推奨』
顔を上げる。
玲奈の指が、端末の縁を叩いていた。止まらない。
マネージャーがそれに気づいて、軽く言う。
「配信疲れですよ。端末も異常なしって出てますから」
玲奈の腕の端末には、たしかに表示が並んでいる。
【生体異常なし】
【疲労蓄積】
【休息推奨】
端末が拾っているのは、玲奈の体の数字だ。
俺の札に出ているのは、部屋に残ったものの行き先だった。
この部屋には温かいものがひとつもない。
「すみません。隅の加熱器、借りていいですか」
「は?」
「その机の素材、仕分け直します。廃棄予定の分です」
マネージャーが眉を寄せる。
「それ、廃棄予定ですよね」
「はい。だから、まだ使えます」
「駄目です。廃棄予定素材を所属探索者に提供する許可は出せません」
マネージャーが加熱器の前に立った。
「医療行為ですか。食事提供ですか。どちらにしても契約外です」
「どちらでもないです」
俺は廃棄袋を指す。
「後始末です」
「後始末で、氷室に何かを食べさせると?」
「食べられる部分と捨てる部分を、出す前に分けます」
玲奈の指が、端末の縁で一度止まった。
「いりません」
その声は、配信中の明るさよりずっと硬い。
「配信後に食べると、顔がむくむので」
そう言って、玲奈はまた端末の縁を叩く。
「じゃあ、顔じゃなくて手の分だけです」
玲奈の指が止まりかけて、また動いた。
料理と呼べるほどのものじゃない。後始末の続きだ。
魔物素材の黒ずんだ断面は廃棄へ。白く残った内側は少量だけ食用に回す。冷えた携行食は単独では出せないが、出汁に落とせばまだ使える。
黒ずんだ断面は迷わず廃棄袋へ入れた。根菜は傷んだ半分を捨て、残り半分だけを使う。ひび割れた保存容器は廃棄し、無事な器だけ湯で流す。
加熱器が低く唸る。
出汁の匂いが、血の混じった水の匂いを少しだけ押し返した。出汁パックを落とした湯に、ほぐした携行食と可食部を少し入れる。乾いていた携行食が湯の中でほどけ、表面に薄く脂が浮いた。
玲奈は途中から、俺の手元だけを見ている。
器に移して、湯気ごと玲奈の前に置いた。
「まかないです。正式な処理じゃないので、暫定ですけど」
器の上には、札が並んでいる。
『帰還後補助』
『少量摂取』
『温食推奨』
玲奈は器と俺を、順番に見た。
「……端末は、異常なしでしたよ」
「はい。端末は正しいです」
俺は器ではなく、廃棄袋の横に置かれた素材を見る。
「俺は、こっちの処理先を見てます。捨てる前のやつです」
玲奈は、すぐには匙を取らなかった。
廃棄予定の素材。ゴミ拾いが作った、正式処理でもないまかない。
マネージャーの視線も、まだ器の上に落ちている。
それでも玲奈は、震える指で匙を取った。
一口。
空調の音だけが、部屋に残る。
玲奈の喉が小さく動いた。
もう一口。
それから玲奈は、机の紙コップに手を伸ばした。
水面は揺れなかった。
玲奈が自分の手を見る。
「……手が、止まった」
「治してはいないです」
器の縁を布で拭いながら、俺は言う。
「廃棄予定の分を、今いる場所へ回しただけなので」
支援端末が短く鳴った。
【帰還後補助処理:記録】
【廃棄予定素材再利用:一件】
【指名依頼継続:要確認】
【追加報酬:査定中】
「……また査定中か」
通知の隅に、関連ログの新着が一行だけ見えた。
【ゴミ拾いが飯作ってて草】
そっと閉じる。
マネージャーが口を開きかけた。
「氷室さん、これは正式な――」
玲奈が片手で、それを止める。
彼女はまだ器を見ていた。それから、俺の手袋を見る。
「次も、呼んでいいですか」
「廃棄前なら、指名料つきで」
玲奈が少しだけ笑った。配信のやつじゃない、小さいほうの笑いだった。
端末が鳴る。
【指名依頼継続:氷室玲奈】
【内容:次回探索後残滓処理・帰還後補助】
【備考:配信継続予定/前回未確認残滓と同系統反応あり】
【指名料:前払い処理済】
【追加報酬:査定中】
査定中ではない行が、一つだけある。
指名料。
前払い処理済。
氷室玲奈。
その名前の横に、指名依頼の札がついた。
缶コーヒーで済ませた夜が、少しだけ遠くなる。
「……肉、いけるかもしれませんね」
机の上には、湯気の残る器。その横に、震えの止まった手。
青白い通知の光が、俺の汚れた作業手袋を照らしていた。




