第13話 その籠手、返すのは起きてからです
白いテーブルの中央に、保全袋入りの銀色の左籠手が置かれている。
ガラス一枚を隔てた病室のベッドでは、瀬尾湊の左手が布団の上に出ていた。点滴の管が甲を横切っている。籠手が収まるはずの手には、今は何もはめられていない。
救護局治療棟の家族面談室には、午後の日がよく入った。空調の低い音の底へ、隣室の生命維持装置が規則正しい電子音を重ねている。
俺はいつもの表示を確認してから、支援端末を伏せて置いた。
【サルベージャー登録:一時停止】
【事実確認協力費:審査中】
「協力費、まだ審査中でした」
「今日出るとは、私も言ってません」
隣の有馬千尋さんが返す。
「プリン、一個どうぞ。冷えてるうちに」
テーブルの端から、瀬尾凪が売店の袋を押してきた。
中には安いプリンが六つ。面談室にいる五人分と、ガラスの向こうの兄の分らしい。
凪の側には、黄色い糸で直したモグラ付きの新人用手袋が置かれている。七瀬美和さんの側には右籠手。テーブルの中央には、保全袋に入った左籠手。
持ち主の違う三つが、少し距離を置いて並んでいた。
凪が左籠手へ目を落とす。
「兄が、高い物を借りたままにして、それで、こんな騒ぎにして」
「借りたのは、お兄さんでしょ」
美和さんが静かに遮った。
「あなたが謝る物じゃないわ」
「……起きたら、本人に返させます」
「初任給でね」
美和さんの口元が、わずかに動いた。凪はプリンの蓋の縁を、指で押さえている。
有馬さんがフォルダを開いた。
「左籠手が瀬尾湊さんへの貸与品だったことは、確認できました。七瀬家へ返却すること自体はできます」
有馬さんは、保全袋の左籠手を示す。
「ただ、夏帆さんが瀬尾さんへ貸した状態をここで終わらせるか、目を覚ますまで続けるかは別の話です。貸与を続ける場合は、返却完了にも贈与にもせず、救護局で保全します」
俺の視界に、白い札が二枚下がった。
『保全継続』
『本人意思確認』
「本人が眠ってるうちに、貸した話まで終わったことにはできませんね」
俺が言うと、有馬さんが頷いた。
凪は籠手を見て、それからガラスの向こうにある兄の左手を見る。
「貸したままにするなら、どこへ置くんですか」
「それも、今日決めます」
有馬さんは端末を操作し、二つの通知を表示した。
【瀬尾家・治療費充当:停止予定】
【七瀬家・損耗補償:返還審査】
「籠手の返却記録が再照合に入ったため、関連する支払いが一括で止められています。瀬尾さんの治療費への充当も、七瀬さんへの補償もです」
「止まるって……治療費もですか」
凪の声が硬くなる。
美和さんも、右籠手の上に置いていた手を少し握った。
俺は伏せていた端末を返し、二つの通知を見比べる。
視界に下がった札は、また二枚だった。
『別件分離』
『処理責任者照合』
「これ、同じ箱に入ってただけで、同じ支払いじゃないですよね」
有馬さんが顔を上げた。
「治療費は、湊さんが今どういう状態かを根拠に動くものです。籠手の所有関係とは、別の処理ですよね」
「損耗補償はどうしますか」
「そちらは、左籠手を回収不能と認定した処理を先に照合すべきだと思います。ご遺族への返還を先に決める順番ではないはずです」
俺は端末を有馬さんの方へ向けた。
「俺が決める話ではないので、確認をお願いします」
有馬さんは規定を開き、数分かけて項目をたどった。
やがて端末へ入力を始める。
【治療費充当:再開】
【補償返還請求:保留】
【損失認定責任者:再照合】
「治療費の充当は再開します。七瀬さんへの返還請求は、責任照合が済むまで保留です。今日この場で、どちらのご家族にもすぐの負担は生じません」
凪が短く息を吐いた。
礼は言わず、自分の前に置いていたプリンを一つ、有馬さんの方へ黙って寄せる。
有馬さんは一度プリンを見てから、受け取らずに凪の側へ戻した。
「これは、瀬尾さんの分にしてください」
「兄のは別にあります」
「では、あなたが食べてください」
凪は少しだけ眉を寄せたが、プリンを引き戻した。
美和さんは右籠手をしばらく見ていた。
「左は、湊くんが起きるまで、借りたままにしておいてもらえますか」
「贈与ではなく、貸与の継続ですね」
「あの子が貸した物です。返すか、そのまま使ってもらうかは、湊くん本人が決めることでしょう」
美和さんは、ガラスの向こうへ視線を移す。
「眠っている人の代わりに、私が決めることじゃありません」
有馬さんが端末へ入力した。
【物品区分:未返却貸与品】
【貸与状態:継続】
【保全先:救護局治療棟】
【本人意思確認:覚醒後】
「保全袋は開けません。置き場所だけを、湊さんの治療棟へ移します」
凪と美和さんが立ち上がり、有馬さんが病室の扉を開けた。
俺と氷室玲奈は、面談室に残る。
ガラス越しに、二人がベッド脇の棚へ物を並べていくのが見えた。
黄色い糸で直したモグラ付きの手袋。保全袋に入った銀色の左籠手。安いプリンが一つ。
美和さんは右籠手を胸に抱え直し、病室へは持ち込まなかった。
ベッド脇の棚に残ったのは、湊へ貸した物と、湊自身の物。それから、目を覚ました後に食べるには少し安すぎるプリンだけだった。
二人が病室を出ると、有馬さんは面談室へ戻り、別の画面を俺へ向けた。
「これまでの照合記録と、資格審査中の協力実績を基に、救護局内で限定区分が通りました」
端末に新しい項目が並んでいる。
【救護局臨時照合協力員:登録】
【対象業務:返却・保全・処理照合補助】
【初回事実確認協力費:確定】
「灰崎さんへ、限定登録を打診します。通常のサルベージャー登録は、審査が終わるまで停止したままです。ただし、返却や保全の照合に限り、協力員として案件を受けられます」
俺は真ん中の一行を先に見た。
協力費、確定。
審査中の三文字が、ようやく消えている。
「……初回分、確定してますね」
「湊さんの治療費より、そっちを先に見るんですね」
玲奈が横から言う。
「治療費は有馬さんが確認しました。俺の方は、俺しか確認しませんので」
「そこだけ合理的ですね」
俺は限定登録の署名欄へ名前を入れた。
通常の現場へ戻れるわけではない。それでも、止まっていた端末に、一行だけ受注可能の表示が戻る。
【受注可能案件:返却・保全・照合補助 一件】
案件の中身は、まだ開かなかった。
ガラスの向こうの棚では、モグラ付きの手袋と保全袋の籠手が並んでいる。
返却期限は、瀬尾湊が目を覚まし、自分の手で返す日まで延びた。




