■第59話 単細胞の海と、ポーションを乞う魔物
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暗黒の第4層を抜け、さらに深く開いた大穴の奥底へと潜っていく。
やがて視界に広がったのは、これまでとは全く異質な、薄気味悪い半透明の海域――第5層だった。
「うわっ……なんだここ。海の水が、なんかドロドロしてるぞ」
ランタンの光をかざすと、海中に漂っているのは無数の『巨大な単細胞生物』だった。
スライムやアメーバのように不定形で、透き通ったゼリー状の体をうねらせながら、フワフワと海中を漂っている。
「剣で斬っても手応えがなさそうだな。それに、あの体の中に漂ってる骨……」
よく見ると、巨大なアメーバたちの体内には、消化されかかった魔物や魚の骨がプカプカと浮いていた。どうやらあれに捕まると、強力な消化液でドロドロに溶かされてしまうらしい。
「物理攻撃が効きにくいうえに、捕まったら即消化か。冗談じゃない、関わらないのが一番だな」
僕は『アクア・ブーストのブーツ』の推進力を微調整し、アメーバたちの隙間を縫うようにして慎重に先へと進んだ。剣を振るうよりも、とにかく触れられないように回避に専念するのだ。
そんなドロドロの海域を抜け、少し開けた海底の岩場に差し掛かった時のことだ。
「……た、助けて……」
どこからか、微かに声をかけられた気がした。
最初は幻聴かと思ったが、『水棲ポーション』の音声変換効果を通して、確かに僕の耳に言葉として届いている。
警戒しながら声のする方へランタンを向けると、岩陰に一体の魔物が倒れ込んでいた。
上半身は美しい人間だが、下半身は青い鱗に覆われた魚の尾びれを持っている。槍を握りしめた、人魚の騎士のような魔物だ。
しかし、その鱗は所々が焼け焦げたように爛れ、呼吸も浅く、今にも消え入りそうに弱っていた。あの単細胞生物の消化液から、命からがら逃げてきたのだろう。
「おい、大丈夫か!?」
「あ、あぁ……。見ない顔だが、お前もこの深淵の者か……? 頼む、何か……ポーションのような回復薬を持っていたら、少しだけ分けてくれないか……」
人魚の魔物は、僕の銀の鎧を見ても敵対する気力すらないのか、すがるような目でそう訴えかけてきた。
普通なら、ここは迷宮の中だ。相手は魔物であり、油断させて背後から刺してくる罠かもしれない。
しかし、あの痛々しい火傷のような傷跡と、苦しげな声を見過ごせるほど、僕はドライな性格ではなかった。
「……ちょっと待ってろ」
僕はポーチを探り、少し考えた。
「回復薬」と言われたが、僕が持っているのは気楽な寺院で貰った『上級バフポーション』と『水棲ポーション』だけだ。純粋な治癒ポーションなど、最初から一本も持ち歩いていない。
「ええと、純粋な回復薬じゃないんだけど……これ、すっごく元気になる薬だから。騙されたと思って飲んでみてよ」
僕は『上級バフポーション』のコルク栓をポンと抜き、弱っている人魚の口元に持っていき、とろりとした赤い液体を流し込んだ。
「ごくっ……こ、これは……?」
人魚が飲み込んだ、次の瞬間だった。
バキバキバキッ!! カッ!!!
「う、おおおおおおおおっ!!?」
人魚の魔物の体が劇的に発光し、全身の筋肉が異様なほどにパンプアップを始めた。爛れていた鱗の傷跡も、バフポーションの強烈な『基礎代謝の異常な底上げ(自然治癒力の暴走)』によって、みるみるうちに新しいピカピカの鱗へと再生していく。
「な、なんだこの力は!? 体の底から、無限の活力が湧き上がってくるぞ!!」
先ほどまで死に体だった人魚の騎士は、まるで闘神のように目を血走らせ、握りしめていた槍をビュンビュンと凄まじい風切り音(水切り音)を立てて振り回し始めた。
「よしよし、ちゃんと効いてるみたいだな」
「お前、命の恩人よ! この恩は決して忘れない! 私の力が必要な時は、いつでも呼んでくれ!!」
元気になりすぎた人魚の騎士は、僕の手をガシッと力強く握りしめ、そのまま凄まじいスピードでドロドロの海域へと泳ぎ去っていった。
単細胞生物たちをその槍で八つ裂きにしながら進んでいく頼もしい背中を見送り、僕はほっと胸をなでおろした。
「まあ、元気になってよかったよ。売るほどあるポーションだし、たまには人助け(魔物助け?)も悪くないな」
予期せぬ出会いと人助けを経て、僕は再び気を取り直した。
単細胞生物の住処を抜けた先には、いよいよこの階層の最深部らしき巨大な扉が見え始めている。
「さあ、この奥に何が待ってるか……行ってやろうじゃないか」
僕は純銀の剣を構え直し、海溝の迷宮のさらに深い謎へと向かって泳ぎ進んでいった。
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