■第60話 最深部の扉と、終わっていたテスト
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ドロドロの単細胞生物の海域を抜け、ついに辿り着いた最深部。
そこには、周囲の岩肌とは明らかに異質な、重々しい装飾が施された巨大な石の扉がそびえ立っていた。
「よし、ここがボス部屋だな」
僕はバケモノ級の筋力を込めて、その巨大な扉を「ふんぬっ」と強引に押し開いた。
扉の先は、迷宮の中とは思えないほど美しく神聖な空間だった。海底でありながらその部屋だけは水が完全に排除されており、代わりに淡い光を放つサンゴや真珠で彩られた、神殿のようなホールが広がっている。
そして、その最奥にある玉座に『そいつ』はいた。
輝く青い鱗と、波のように揺らめく長い髪。手には巨大な三叉槍を持ち、全身から圧倒的な神気を放つ、威厳に満ちた『海神の使い』――人の姿をとった高位の水精霊王だ。
「……来たか、地上の戦士よ」
深く、静かな声がホールに響き渡る。
間違いない。バベルの下層にいた悪魔と同じ、この迷宮を統べる『神の使い魔』だ。
「いよいよ最終テストだな! 行くぞ!」
僕は腰のポーチから追加のバフポーションを取り出そうと手を伸ばし、純銀のシルバーソードを真っ直ぐに構え――。
「剣を収めよ、銀騎士。……そなたへの『テスト』は、すでに終わっている」
「……はい?」
玉座から立ち上がった海神の使いは、静かに微笑んで首を振った。僕はポーションのコルク栓に手をかけたまま、マヌケな声を出して硬直してしまった。
「えっと……終わってるって、どういうことですか? 僕、あなたとはまだ一発も剣を交えてませんけど」
「戦う必要などない。この『海溝の迷宮』が課す最終テストは、力比べではないのだから」
使い魔は三叉槍の石突きをコツンと床に鳴らした。
すると、玉座の後ろから「うおおおおおおっ!!」という暑苦しい叫び声と共に、猛烈なスピードで槍を振り回しながら一人の男が飛び出してきた。
「あ、お前! さっき僕がポーションをあげた人魚!」
「おう、命の恩人! まだまだ力が有り余ってて、壁のサンゴを砕いてウォーミングアップしていたところだ! 見てくれこの上腕二頭筋を!」
バフポーションの副作用で異常なまでにパンプアップした人魚の騎士が、僕に向かってビシッと見事なマッスルポーズを決めている。
海神の使いは、やれやれというようにため息をついた。
「……この海没迷宮は、弱肉強食の非情な世界。あのドロドロの海域に、瀕死の者を配置して試させてもらったのだ。自身の身すら危うい深淵で、見ず知らずの他者に慈悲を与え、己の貴重な霊薬を分け与えることができるか……。それこそが、我が主である神が設定した『勇気と慈悲のテスト』だったのだよ」
「なるほど……。昔話みたいなベタな展開だけど、あれがテストだったんですね」
『笠地蔵』や『金の斧』のような、王道の試練。
確かに、あそこで彼を見捨てていたら、この扉の先で理不尽な難易度のボス戦が強制的に始まっていたのだろう。
「見事だ、銀騎士。そなたの無私の心は本物であった。……もっとも、我が分身として用意した騎士が、そなたの妙な薬のせいでこんな『暑苦しい筋肉の塊』に作り変えられるとは予想外だったがな」
「いやぁ、お恥ずかしい! この胸筋のピクピク、最高じゃないですか主様!」
ポーズを取り続ける筋肉人魚からそっと目を逸らしつつ、海神の使いは僕に向かって真っ直ぐに手を差し出した。
「おめでとう。そなたは、この海溝の迷宮の試練を見事クリアした。神の使い魔として、そなたの『次の旅』への道標を授けよう」
使い魔の手のひらから光が溢れ、一つの美しい青色の鍵が僕の前にフワリと浮かび上がった。
最初の街からバベルへ、そしてバベルからこの街へと僕を導いてきた、あの髭の大雑把な神様が用意した『次なる試練の地』へ至るための鍵だ。
僕はシルバーソードを鞘に収め、その鍵をしっかりと受け取った。
「ありがとうございます。これで、この水上都市での目的も達成ですね」
「うむ。次の試練の地は、空の彼方……『天空の浮島』だ。そなたのその並外れた肉体と霊薬が、足場の無い空でも通用するか見物だな」
天空の浮島。
水没迷宮の次は、まさかの空中戦らしい。
「大歓迎ですよ。どんな場所でも、僕のやることは変わりませんから」
僕はポーチの中で大切に保管している『七色の真珠』の感触を確かめながら、不敵に笑い返した。
バケモノ級のステータスと、気楽な寺院の神官ちゃんがくれる大雑把なポーション。そして何より、この純銀の相棒があれば、空の迷宮だってどうにでもなる。
筋肉人魚の暑苦しいポージングと、海神の使いの静かな微笑みに見送られながら。
僕は水上都市アクアリアでの痛快な冒険を締めくくり、新たな舞台へと足を踏み出すのだった。
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