■第51話 深層の釣り場と、忍耐の迷宮フィッシング
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翌朝。宿屋の硬いベッドで全回復システムを満喫した僕は、万全のコンディションで『海溝の迷宮』の入り口に立っていた。
いつもの『上級バフポーション』に加え、気楽な寺院で貰った『水棲ポーション(絶級)』をゴクリと飲み干す。
水中で息ができるだけでなく、移動速度と動体視力まで底上げしてくれる最高峰の霊薬だ。
「よし、みなぎってきた……! 行くぞ、相棒!」
僕の肩には、純銀のシルバーソード……ではなく、武具屋の親父さんが一晩で組み上げてくれた攻城兵器のような特注釣竿『剛力釣竿・リヴァイアサン』が担がれている。
全身を眩い銀の鎧で包んだ怪力剣士が、自分の背丈より巨大な鋼鉄の棒を担いで海に潜っていく姿は、浅層で素材集めをしている冒険者たちの度肝を抜いたに違いない。
「なんだあいつ……船の帆柱でも拾ってきたのか?」
「いや、あれよく見たらリールがついてるぞ。……釣り竿!?」
周囲のざわめき(水中でも声が聞こえる親切設計)を背中で受け流しつつ、僕は新兵器『アクア・ブーストのブーツ』を起動した。
シュバァァァンッ! と凄まじい水流を噴射し、第1層の遺跡エリアと第2層のサンゴ礁エリアを弾丸のようなスピードで一気に駆け抜ける。
そして辿り着いたのは、七色の光が乱反射する幻想的な深海——第3層だ。
「さて、市場のおじさんが言っていたポイントは……『ぽっかりと空洞になっている安全地帯か、海底の崖っぷち』だったな」
いくら頑丈な釣竿と怪力があっても、足場が悪ければ巨大ウミガメの引きに負けて海溝の底へ引きずり込まれてしまう。しっかりと足を踏ん張れる場所が必要だ。
僕は発光するサンゴの森を抜け、第3層の奥深くを探索した。
やがて、海底が急激に落ち込み、さらに深い真っ暗な深淵(第4層への入り口だろうか)へと続いている巨大な断崖絶壁を発見した。絶壁の縁は平らな岩場になっており、足場としてはこれ以上ないほど完璧だ。
「よし、ここを本日の釣り座とする!」
僕はドスンと重い釣竿を下ろし、ポーチから例の高価な餌『深海サンゴの果実』を取り出した。
大人の腕ほどもある凶悪な釣り針に、その赤紫色の果実をブスリと刺し貫く。果実から、甘く濃密な魔力の匂いが水中に溶け出していくのが分かった。
「頼むぞ、一攫千金のジュエルタートル。……そぉいッ!!」
僕はバケモノ級の筋力を活かし、鋼鉄の釣竿を力任せに振りかぶって、絶壁の奥の深淵に向かって極太のワイヤーを放り投げた。
ズドボンッ! という重い音とともに、果実のついた巨大フックが暗い海の底へと沈んでいく。
あとは、獲物が食いつくのを待つだけだ。
僕は岩場にどっかりと腰を下ろし、釣竿を両手でしっかりと握りしめた。
……十分経過。
「…………」
……三十分経過。
「…………来ないな」
……一時間経過。
「……釣りって、こんなに暇なものだったっけ?」
僕は思わず大きなため息をついた。ゴボッ、と口から出た泡が、キラキラ光る海中を上へと昇っていく。
これまでの迷宮探索は、「出ない時は全く出ないが、出た瞬間に大群に囲まれる」という理不尽なエンカウント率のせいで、常に血みどろの乱戦状態だった。
しかし、釣りは違う。
こちらの都合で魔物が湧いてくれるわけではなく、相手が餌の匂いに気づき、なおかつ食いつく気になってくれるまで、ひたすら待たなければならないのだ。
時折、小さな魚の魔物が果実をついばみに来るが、針がデカすぎるせいで全く引っかからない。ワイヤーから伝わる微かな振動に「おっ!?」と身構えては、「なんだ、小魚か……」と肩を落とすことの繰り返しである。
「いくらバケモノ級のステータスがあっても、釣りの『待ち時間』だけはどうにもならないってことか……」
釣りに必要なのは、筋力でも敏捷性でもない。圧倒的な『忍耐力』なのだ。
常に動き回って魔物を狩り続けてきた脳筋の僕にとって、ただジッと座って待つという行為は、ある意味でどんな強敵との戦闘よりも過酷な試練だった。
「いや、でもあの七色の甲羅と、生け捕り報酬の数十倍の金額……! 諦めるわけにはいかない!」
僕は自分の頬をバシッと叩き、再び姿勢を正して深淵を見つめた。
焦るな。大物は必ずやって来る。
キラキラと輝く美しい第3層の絶壁で、怪力剣士と巨大ウミガメの、静かで長い根比べが始まっていた。
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