■第35話 深まる瘴気と、音なき大群
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「銀騎士」という不本意極まりない二つ名から逃げるように、僕は翌日も早朝から迷宮へ潜っていた。
階層をさらに深くへと進むにつれ、周囲の環境は目に見えて悪化していた。視界を遮る紫色の『瘴気』は一層濃さを増し、『抗瘴気のマスク』のフィルターが常にシュゴォォォッと悲鳴を上げている。
「持続回復ポーション、二本目追加っと」
チリチリと肌を焼く瘴気のダメージ量が増えてきたため、僕はポーションの重ね掛けでなんとか相殺状態を維持していた。稼働時間の制限がある『清明の耳飾り』も、ピキピキと危うい音を立て始めている。
「長居は無用だな。パパッと狩って帰ろう」
僕はシルバーソードを構え、警戒を強めながら紫の靄の中を進んだ。
だが、奇妙だった。
下層の定番であるスケルトンナイトの骨の軋む音も、レイスの不気味なうめき声も、ここでは一切聞こえない。ただ、自分の足音とマスクの駆動音だけがやけに大きく響いている。
「……なんだ? 魔物がいないのか?」
そう思って足を止めた、その瞬間。
――背筋に、氷をねじ込まれたような悪寒が走った。
「ッ!?」
僕は反射的に、バケモノ級の敏捷性に任せて前方に大きく跳躍した。
直後、僕が数秒前まで立っていた空間を、鋭い「何か」が音もなく通り過ぎた。
振り返ると、濃密な瘴気の靄の中から、ドロドロに溶けたような漆黒の影がゆっくりと姿を現した。
人の形をしているが、目も口もない。手足の先は鋭い刃のように尖っている。
「なんだこいつ……足音も殺気も、全くなかったぞ!?」
『瘴気』そのものが凝縮して実体化したようなアンデッド、『ミスト・ストーカー』。
彼らの最も恐ろしい点は、その名の通り「完全に無音」であることだ。中層までの魔物やスケルトンとは違い、彼らは足音一つ、衣擦れの音一つ立てない。
「ウォーター!!」
僕は牽制のために簡易魔法の水を放ったが、ミスト・ストーカーはヌルリと靄に溶け込むようにしてそれを回避し、再び僕の死角へと音もなく回り込んできた。
しかも、厄介なことはそれだけではなかった。
――ズルリ、ズルリ。
周囲の濃い瘴気の中から、一つ、また一つと、同じような漆黒の影が滲み出してくる。
十、二十、五十……いや、百近い!?
「うわっ、大群かよ! まさかこのエリアの瘴気が濃いのは、こいつらが密集してるからか!」
音もなく、静かに、しかし確実な殺意を持って、ミスト・ストーカーの大群が全方位から僕を包囲していく。
「キィィィンッ!」
背後から音もなく迫った凶刃を、僕は間一髪でシルバーソードで受け止めた。
接触した瞬間、純銀の浄化の光が弾け、影の魔物は「ジュワァァァッ!」と音を立てて消滅する。
武器と防具の相性は相変わらず最高だ。触れさえすれば確実に倒せる。
……しかし。
「くそっ、気配がないから避けづらい! 数が多すぎる!」
前、後ろ、上、下。
360度から、完全な無音で繰り出される連携攻撃。自慢の敏捷性や反射神経も、「攻撃の予備動作」や「音」という情報がなければ、対応にコンマ数秒の遅れが生じてしまう。
ガキンッ! ジュワァァァッ!
防具であるシルバーアーマーで受け止めれば自動的に浄化できるとはいえ、四方八方から押し寄せる大群をさばききるのは至難の業だ。少しでも防具の隙間を突かれれば、あの鋭い刃が僕の肉体を切り裂くことになる。
しかも、ここは時間制限付きの瘴気エリアのど真ん中。
こんな大群を相手にジリジリと消耗戦をやっていたら、先にポーションの効果とアイテムの限界が切れて、瘴気に飲み込まれてゲームオーバーだ。
「悠長に一匹ずつ相手してられるか! まとめて吹き飛ばす!!」
僕は大きく息を吸い込み(マスク越しだが)、魔力を全開に練り上げた。
「足元にウォーター!! からの、全方位ファイヤー!!」
僕を中心に、簡易魔法による大量の水が周囲の石畳にぶち撒けられる。
そこに重ねて炎の魔法を放つことで、急激な温度変化による『超高温の水蒸気爆発』を疑似的に引き起こしたのだ。
「ボフゥゥゥゥッ!!」
熱風と水蒸気が全方位に吹き荒れ、音なき影のアンデッドたちを次々と巻き込んでいく。
もちろんそれだけで倒せる相手ではないが、水蒸気に触れたことで彼らの「見えない輪郭」がハッキリと浮かび上がった。
「見えた! なら、あとは親父さんの銀の力だ!!」
僕はシルバーソードを両手で構え、コマのように独楽回転しながら、渾身の力で周囲を薙ぎ払った。
遠心力を乗せた純銀の刃から、三日月状の浄化の光が周囲360度へと飛んでいく。
「いっけええええええっ!!」
ピカァァァァァッ!!
下層の薄暗い空間を、目も眩むような純白の閃光が埋め尽くした。
光の波がミスト・ストーカーの大群を呑み込み、次々と浄化の煙を上げて消滅させていく。
数秒後。
光が収まると、僕の周囲から厄介な影の魔物たちは一匹残らず消え去り、代わりに床が見えなくなるほどの大量の魔石が散らばっていた。
周囲の濃密だった瘴気も、大規模な浄化の力によって一時的に薄らいでいる。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ! 厄介すぎるだろ、あいつら……!」
僕は膝に手をつき、荒い息を吐き出した。
純銀の装備とバケモノステータス、そして機転がなければ、確実にあの「音なき大群」に飲み込まれて細切れにされていたはずだ。
「……下層、マジでヤバいな。調子に乗ってたら本当に命がないぞ」
僕は震える手でポーションを追加で煽りながら、散らばった大量の魔石を大急ぎで袋に詰め込み始めた。
これ以上、新たな大群が現れる前に、一刻も早く安全地帯へ撤退するために。
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