■第31話 銀の特効薬と、甘い油断の代償
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ついに、迷宮都市バベルの深淵である「下層」への階段を降りる時が来た。
中層から続く長い石階段を降りきると、そこはひんやりとした冷気に包まれた薄暗い空間だった。
「あれ? 思ったより普通だな」
黒猫のお姉さんに脅かされていた「瘴気」や「精神干渉の霧」は、周囲を見渡しても見当たらない。下層全域が危険地帯というわけではなく、一部のエリアに局所的に発生しているという話だったから、ここはまだ安全な場所らしい。
「なんだ、身構えて損したかも。よし、とりあえずこのまま進んでみるか」
僕は『抗瘴気のマスク』と『清明の耳飾り』を装備しつつも、リジェネ・ポーションは温存して足を踏み出した。
「ギィィィ……」
しばらく進むと、暗がりから骨の軋むような不快な音が響いてきた。
現れたのは、ボロボロの甲冑を纏い、青白い炎を宿した双眸を持つ骸骨の剣士『スケルトンナイト』。そして、空中に半透明の姿で浮かぶ悪霊『レイス』のコンビだ。
中層までのゴブリンやオークとは全く違う、明確な「死」の気配。
「よし、いざ小手調べだ!」
僕は背中のシルバーソードを抜刀し、上級バフポーションで強化されたステータスに任せて一気に踏み込んだ。
まずは宙に浮くレイスへ向けて、下段から斬り上げる。
「ふっ!」
物理攻撃が効きにくいとされる幽体。しかし、白銀の刃がレイスの半透明な身体に触れた瞬間、ジュワァァァッ!という激しい音とともに、眩い光が弾けた。
「ギィヤァァァァッ!?」
断末魔の叫びを上げて、レイスは一瞬で霧散し、コロンと魔石だけが床に転がった。
「うおっ、すっげえ! 斬ったっていうか、光に溶けたぞ!?」
驚く僕に、今度はスケルトンナイトが錆びた大剣を振り下ろしてくる。
僕はそれをかわさず、あえてシルバーアーマーの腕受けで弾き返した。本来なら鈍い衝撃が走るはずだが、アンデッドにとって『純銀』は猛毒だ。大剣を受け止めた箇所から強烈な浄化の光が走り、スケルトンナイトは「ギガッ!?」と怯んで体勢を大きく崩した。
「そこだっ!」
ガラ空きになった胴体へ、シルバーソードを深く突き立てる。
カァァァッ!
浄化の光が骸骨の全身を内側から包み込み、ボロボロの甲冑ごと粉々に砕け散って、中層とは比べ物にならないほど大きく澄んだ魔石へと変わった。
「……圧倒的じゃないか」
僕は銀の剣を構えたまま、自分の装備のポテンシャルに戦慄した。
ギルドの受付嬢が言っていた通りだ。親父さんが打ってくれたこの『純銀の装備』は、アンデッドに対して最強の特効薬だったのだ。
その後も、現れるスケルトンやゾンビの群れを、僕は純銀の力で次々と蹂躙していった。
「ははっ、なんだこれ! 中層より余裕じゃん! 銀装備があれば下層の魔物なんて恐るるに足らずだな!」
バケモノステータスと特効装備の組み合わせに、僕はすっかり気を良くしていた。中層のように面倒な罠も今のところ見当たらない。警戒心はすっかり薄れ、僕は鼻歌交じりに下層の奥へと歩みを進めていった。
しかし――迷宮の深淵が、そんな甘い油断を許すはずがなかった。
「おっ、次の通路は随分と空気が澱んでるな……ん?」
石造りのアーチを抜け、少し開けたエリアに足を踏み入れた瞬間だった。
――ゾワッ。
突然、全身の毛穴が粟立ち、視界がぐにゃりと歪んだ。周囲の空間全体が、どす黒い紫色の靄で満たされていたのだ。
「なっ……!?」
直後、耳につけていた『清明の耳飾り』がピキピキと音を立てて激しく発光し、視界の歪みを強引に補正した。そして、顔を覆う『抗瘴気のマスク』のフィルターが「シュゴォォォッ!」と悲鳴のような音を上げて稼働し始める。
「ぐっ、ああっ!?」
マスクを通しているはずなのに、肺に吸い込んだ空気が内臓をチリチリと焼き、露出した皮膚がピリピリと痛む。
これが黒猫のお姉さんが言っていた、マスクでも防ぎきれない20パーセントの『瘴気ダメージ』!
「い、痛ぇぇ! 調子に乗ってごめんなさい!!」
僕は慌てて腰のポーチから淡い緑色の『リジェネ・ポーション』を取り出し、むせながらも一気に飲み干した。
ポーションの持続回復効果が発動し、内側からじんわりと温かい光が瘴気のダメージを中和していく。息苦しさと痛みが引き、なんとかプラスマイナスゼロの状態に持ち込むことができた。
「ハァ、ハァ……あっぶねー……」
冷や汗を拭いながら、僕は改めて紫色の靄が立ち込める空間を見渡した。
魔物との相性がいくら良くても関係ない。この空間に長居すればいずれポーションやアイテムの稼働限界が訪れ、瘴気と精神干渉に飲み込まれて死ぬ。
「ここからは時間との勝負だ。……気を引き締めないと、マジで死ぬぞ」
完全に油断を捨て去った僕は、シルバーソードを強く握り直し、紫色の靄が立ち込める危険地帯へと慎重に歩みを進めていった。
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