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グレイブハル城の観測者  作者: かも ねぎ
変節 第八章『理を越えて』
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変節8-5 理の暴走


「なぜ、私のかわいいイリスは病に苦しまねばならないのだろう」


 ふいに、風がやんだ。


「なぜ、彼女は幸せになれない」


 ゆっくりと、カイウスはアウレリウスの方を向く。

 その瞳は、光を失い、深く緑に沈んでいた。


「なぜ……なぜ……なぜ……。

 貴方はそうは思いませんか」


「……え?」


「なぜ、神は人を救わない。

 なぜ、病は人を苦しめる。

 なぜ……世界はこうも、理不尽なのか」


 カイウスは立ち上がると、アウレリウスの目の前に立ち、彼の顎を強く掴む。


「貴方は悩んだはずだ。

 なぜ、自分は人と違うのか。

 なぜ、愛した人間は自分を置いて死ぬのか。

 

 なぜ……、自分は愛を返せないのか」


「……何を、言ってるの」


 声が震える。

 アウレリウスはカイウスの手首を掴むが、それはびくともしない。


「……この顔は、どれほど不快に歪んでも、美しいままなのだな。

 これが、創造神オルドの寵愛?」


 カイウスは、観察するようにアウレリウスの髪に触れ、目元に触れた。


「世は理不尽だ。

 創造神オルドは理を司る神のはずなのに」


 彼の声が、低くなる。


「……なぜだ?」


 両肩を強く掴まれ、目を覗き込まれる。

 強い、甘い香り。


「……貴方がうまく機能していないのではないか? 

 せっかく美しい完璧な体を持っていたというのに。

 利己的に破壊した貴方に、“王”は重責だったのだろうな」


 アウレリウスは顔を背け、瞳を強く閉じた。


「世界には“王”が必要だ。

 創造神オルドが創った“理”を体現する存在が」


「そんな存在がいたところで……。

 世界は変わらないよ」


 乾いた音。

 カイウスがアウレリウスの頬を強く打った。


「あぁ……そうか……」


 血の味。

 アウレリウスは口元の血を、手の甲で拭う。


「素直にまぐわせなくてもいいんだ。王の体の一部さえあればいいんだから」


 カイウスの呼吸がわずかに浅くなった。

 アウレリウスは彼の瞳を見上げるが、その瞳はまるで何も映していない。


「……なんだって?」

「貴方の血が必要だ。

 肉体接触は不要かもしれない。そうだ……。いい方法があるじゃないか。私の部屋に器具がある。

 ――さぁ、行きましょう」


 腕を強く引かれるが、アウレリウスはそれ

を振り払い、距離を取るようにして立ち上がった。


「いやだよ。行かない」

「なぜ? 何が問題なのです?

 貴方が問題視しているのは何ですか?

 倫理観? 

 まさか……“愛”ですか?」


 カイウスは、嘲笑った。

 顔を歪ませ、心の底から可笑しそうに。


 アウレリウスの背を、冷たいものが這う。




 その数刻前――。


「セティちゃん!」


 緑の庭園で読書をしていたセティは、顔を上げた。


「あぁ、モル。こんにちは」

 

 モルガナはベンチに座っていたセティに駆け寄ると、辺りを見回した。


「こんにちは……。

 アウレリウスは?」

「今日は出かけてるよ」

「あなたたち……、いつも一緒にいるわけじゃないのね」

「え? うん、そうだけど」


 モルガナは胸に手を当てて、呼吸をわずかに整える。


「……嫌な予感がするの。

 アウレリウスはどこへ行ったの?」


 セティはさっと顔色を変えると、立ち上がる。本を脇に抱えて、歩き出した。


「僕たち……、どこへ出かけるかはお互いに言わないことが多いんだ。

 だから、今日もアウルがどこへ行ったかは知らない」


 モルガナも、彼の後を追う。


「アウルは、普段はあまり王都に一人で行きたがらない……けど、今日は王都のような気がする」


 厩までたどり着くと、セティは大きく息を吐いた。


「馬車はある……。

 アウルは馬で出かけたんだ……。

 森か、王都か……」

「セティちゃん。

 あなたの勘を信じましょう」

「……王都?」

「えぇ」


 セティは自分の服を見下ろす。休みの日のための、ゆったりとした服装。


「着替えてくる。待ってて」

「えぇ」


 モルガナを厩に残して、セティは城に戻った。階段を駆け上がり、回廊を抜け、廊下を駆ける。

 部屋に入ると、高襟のシャツ、細身のパンツに着替え、編み上げブーツを履いた。

 テーラードジャケットを羽織りながら、部屋を出る。


 駆け出そうとして、ふと、足を止めた。


 書斎の扉。

 肌がチリッと痛んだ気がした。


 扉を開ける。


 黒壇の書斎机。

 開かれたままの書簡。

 赤線の引かれた革の封。


 そっと手に取る。


「……王立裁定院?

 エドガーさん?」


 急いで書簡に目を通す。


 次第に、紙を持つ手が震えてくる。

 奥歯を、強く噛み締めた。


「なんで……。

 なんでアウルはいつも……」


 セティは書簡を握りしめ、書斎を出た。


 扉が強く閉まられる。


 静寂だけが、そこに残された。


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