変節8-1 成長の証
王都オルドンのほど近く、湖のほとりに、古い城がある。
世界の理から、わずかに外れた場所。
神々の沈黙が、届かぬ距離。
城は変わらない。
湖も、森も、静けさも。
変わるのは、そこに立つ者の位置だけだ。
境界は、守られるものではなく、交わされるものとなった。
これは、世界に抗う物語ではない。
世界の中で、誰を選ぶかを問う章である。
◇
刃の乾いた音が鳴る。
アウレリウスはハサミをガーデンテーブルに置き、手の中に落ちたセティの黒髪に指先で触れた。
緑の庭園。
柔らかな日差しが葉に弾かれ、粒子のような光がそこかしこに舞っていた。
二人はそこで、セティの伸びた前髪を切っている。
『成長』を得た、初めての証。
アウレリウスは一房の髪をリボンで縛り、木の箱にしまう。箱に直接、日付を記した。
「アウル」
「ん?」
白い布をケープがわりに肩から掛けたセティの前髪は、まだ半分も切られていない。
「泣いたら、切れなくなるのでは?」
「泣いちゃうでしょ。こんなの」
アウレリウスは箱をそっとテーブルに置くと、指先で自分の涙を拭う。
「後で身長も測ってみようよ。
身長も伸びてたら、僕はもう号泣かもしれない」
「最近アウルは泣きすぎです」
セティの残りの前髪も丁寧に切っていく。
「この先、何度も切ることになるんだね」
「アウルも髪を切りますか?」
「……そうだね」
顔についた毛を払い、布を外した。
整えた前髪に改めて触れ、そっとキスを落とす。
「いきなり短くするのは怖いから、少し長めのショートヘアにしようかな……。やってみたかったんだ」
「ショートヘア……。切るの難しそう……」
セティが息を呑む。
アウレリウスは首を傾げた。
「……セティが切ってくれるの?」
「もちろんです」
アウレリウスは柔らかく笑う。
「ショートは確かに難しそうだよね。
今は腰まであるから……、そうだな。
肩甲骨のあたりで切ってみようかな。湯あみの後が楽になりそう」
「……はい」
布を畳んでテーブルに置く。
「セティはどうするの?
伸ばしても、短髪にしても、似合いそうだけど」
セティは肩より少し長くなった髪に触れた。
「少し……考えます」
「うん」
アウレリウスはセティの隣に座ると、小さく笑った。
「昔、一度だけ髪を切ったんだ。セティくらいの長さに。“幼く見える”ってエドマンドに笑われた」
「見てみたいです」
「あはは。いやだよ」
秋の匂いのする、少しだけ冷たい風が通り過ぎていく。
「……ライラックは、花をつけないね」
「はい」
「城も、相変わらずあんまり汚れない」
「はい」
「セティは髪が伸びた」
「……はい」
「……なんでだろう?」
空を見上げるアウレリウスの横顔を、セティは静かに見つめた。
「エドマンドや僕が造った“不老不死”は失われても、“創造神”が与えた能力は損なわれないってことかな。
城や庭の時間が止まってしまっているのは、そのせいなのかも」
「アウル」
アウレリウスが横を向く。
「うん?」
「……そういうの、考えても、わかることではないんじゃないですか?」
「え?」
「僕たちの理屈と、“創造神”の理屈が同じとは限らないんじゃないかって……」
アウレリウスが目を見開く。
遅れて、小さく笑った。
「あー、はは……。そうかも。
そうだよね。でなきゃ、こんな理不尽なことばかりしない」
アウレリウスはセティの方に向き直ると、前髪をじっと見る。
「……切りすぎちゃったかも」
「え」
「大丈夫。かわいい。よく瞳が見える」
「でも……」
アウレリウスは顔を寄せ、目元にキスを落とした。
「ほら、キスしたくなるくらい、かわいい」
言葉を失っているセティに、柔らかな笑みを残して立ち上がると、テーブルの上のハサミと布、木箱を持つ。
「戻ろっか」
アウレリウスは踵を返すと先に城に向かった。
ベンチを囲う低木の葉が、風に揺らされて静かな葉擦れの音を鳴らす。
セティはその背を見送り、両手で顔を覆った。
「……以前より糖度が高い気がする。
勘違いしちゃうよ、これは……」




