変節7-5 笑い声の向こう
アウレリウスが部屋をノックすると、扉はすぐに開いた。
そこに立つイリスの目元は、赤い。
彼は手を伸ばして、その目元に触れた。
「イリス……。
僕が、魔法使いだったら……、すぐに直してあげるのに……」
イリスはアウレリウスの目を不思議そうに見上げ、遅れて小さく笑った。
「ふふ……」
彼は首を傾げる。
「……どうしたの?
座ろうか」
並んで座るが、イリスはまだアウレリウスをじっと見つめていた。
「……何か、おかしかった?」
「いえ、あの、モルガナさんが、アウレリウスさんは“王様”というより“王子様”みたいだと言っていたのを思い出して。
確かにそうだなって」
「……そっか」
アウレリウスがふわりと笑うと、イリスも少しだけ肩の力を抜く。
「あの……イリス」
「……はい」
「……君の体のことなんだけど。
その子宮が、今は君の負担になってるんだ。今後、それが君の体に起こす影響を考えると、早く取り除いたほうがいい。
……僕の錬金術なら、君の子宮を君に還す事ができる……」
少女は自分のお腹に手を当てた。
「ただ、それをすると、お兄さんが君に与えた“王を育てるための子宮”は失われる」
アウレリウスは一度、息を吐いた。
「お兄さんとも……少し、離れたほうがいいと思うんだ。
……君のご両親はどちらに?」
イリスの視線が壁へ投げられる。
「田舎にいます。私を見てるのがつらいからって……。
兄と仲違いをして、連絡を絶っています」
「……そう。頼れる状況ではないんだね。
では、今はお兄さんと二人きりなのかな」
イリスの瞳が再びアウレリウスを見て、小さく頷いた。
「だったら、なおさら、離れて過ごしたほうがいいかもしれない。
法律の専門家に少し、話してみたいんだけど……。
どうかな?」
水色の瞳の視線が、ゆっくりと下がる。
「……私、ここに来て、夢から覚めたみたいでした。
モルガナさんが、優しくて、アウレリウスさんも、優しくて……。
でも、私には兄様しかいなかった」
声が震える。
「……兄様も、私がいなくなれば、目が覚めるかもしれない」
彼女は自分の服を強くつかんだ。
「この子宮も要りません。これは“王”のための子宮ですもの」
アウレリウスが静かに彼女を見つめていると、イリスが顔を上げ、その視線が絡む交わる。
「セティさんがはっきりと、アウレリウスさんを“愛してる”って言っていたのが、印象的でした。
私もいつか、そう言える人と家族になりたい。その人はきっと、“王”ではないです」
アウレリウスは頷く。
「君の、手術痕。
それは、僕でも消せない」
イリスは、苦く笑った。
「……はい。これは罪の証です」
「君は……罪なんて何も犯してないよ」
「考えることをやめたのは……、私にとっては罪です」
「それが罪なら、君はそれを押しつけられただけだ」
イリスは目を見開いてアウレリウスを見つめた。
「どうして、アウレリウスさんが泣くんですか?」
「……ごめん」
アウレリウスは苦く笑うと、ソファを立った。
「じゃあ、今日は僕は帰る。
君はモルガナと、もうしばらくここにいてね」
「はい」
彼女に背を向け、部屋を出る。
閉まった扉にもたれるようにして立つと、涙を拭った。
「ねぇ、セティちゃん」
「はい」
向かい合って座っていたモルガナが、セティの前髪に手を伸ばす。
「前髪、そのまま伸ばし続けるの?」
「え?」
頬にかかっていた髪を耳に掛けた。
「出会ったときは目元くらいの長さだったわよね」
「……そうだっけ?」
「あなたの髪、まっすぐだから耳に掛けてもすぐに落ちちゃうのね」
「……髪が、伸びたってこと?」
モルガナがきょとんとセティの瞳を見つめる。
「あ……、なるほど。今までは伸びなかったのね。
セティちゃん、髪は伸びるのよ。
アウレリウスは前も後ろも長いから分かりにくいけど、セティちゃんみたいに短い前髪は小まめに切らないと、すぐ伸びるわ」
セティは少しだけ頬を染めて、自分の前髪に触れた。
「前髪、切ってあげましょうか?」
セティは首を振る。
「……アウルにやってもらう。
僕、髪を切るのは、生まれて初めてなんだ……。
初めては、アウルにやってもらう」
モルガナは柔らかく笑う。
「そう。それがいいわね」
「……アウルも、髪切ったらどうかな……。きっと、爽やかでかっこいいと思うんだ」
「そうね。素敵だと思うわ。
西区の理容師を、紹介できるわよ? どうする?」
セティの表情が固まる。
「……え、やだ」
「え?」
「僕、髪も切れるようにならなくちゃ……」
モルガナが口を押さえて、笑いをこらえる。
「それは……もしかして……、アウレリウスの髪を人に触らせたくないから……?」
「そうだよ。当然でしょ?」
「でも……後ろ髪をきれいに切るのは案外難しいわよ?」
「それでも、絶対だめだよ」
「あなた……すごいわね」
「僕は彼の“守護者”だからね」
「守護者ってそういう意味じゃないと思うわ」
こらえきれずにモルガナが声を上げて笑い出すと、セティもつられて笑った。
アウレリウスが階段を降り、部屋の扉に手をかけた。
部屋の中から笑い声が聞こえてくる。
――セティとモルガナが笑ってる。
(しかも、セティは声を立てて笑ってる)
――セティは、僕の前で、あんな感じで笑ったりしない。
なぜか、扉を開けるのを躊躇した。
アウレリウスは二人の笑い声が収まるまで、扉の前で待った。
ため息をつく。
中が静かになったのを確かめると、やっと、ノックした。
胸の痛みには、気づかないふりをして。




