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グレイブハル城の観測者  作者: かも ねぎ
変節 第七章『結び目のゆるむとき』
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変節7-3 優しい目


「イリスちゃん。お客様がいらしたわ。

 ……お話できる?」


 モルガナの部屋の掃除をしていたイリスは顔を上げる。


「お客様ですか?」


 モルガナは扉を後ろ手に閉め、イリスをまっすぐに見た。


 窓の外からは、ひっきりなしに馬車の音が聞こえてくる。

 霧に濾された淡い光が、部屋を柔らかく包んでいた。


「そう。アウレリウスとセティちゃん」

「え……」

 

 イリスは持っていた布巾を両手で強く握った。


「様子を見に来てくれたの……。

 どうする?

 帰ってもらっても、いいと思うわ」


 少女の視線が下がる。

 少しの沈黙の後、彼女は首を振った。


「お……アウレリウスさんには、お会いしたいです。

 ちゃんと……お話したいです。

 ……守護者さん……、セティさんには、まだ会いたくないです」

 

 モルガナは柔らかく微笑む。


「そう。じゃあ、アウレリウスにだけ、ここに来てもらうわね」


 扉が閉まる。


 イリスは、細く、息を吐いた。

 布巾を小さく畳んでテーブルの端に置くと、ソファに座る。

 膝に置いた指が震えていた。


 階段を上ってくる音がする。

 笑い声。

 モルガナと、何か話しているのかもしれない。


 しばらくすると、ノックの音。

 慌てて立ち上がり、扉を開けた。


 金の髪の青年。


 ――あれ?


 胸の奥が、ひくりと揺れた。


「こんにちは、イリス」


 優しく瞳が細められる。

 彼の手元にはカップが二つ。


 アウレリウスは扉のそばで立ち尽くしているイリスの脇を抜けて、部屋に入る。カップを一つ、ソファ前のテーブルに置き、もう一つは手に持ったまま、壁にもたれるようにして立った。


「イリス、座って」


 イリスは、アウレリウスを見つめる。

 

 ――兄様は言っていた。

 ――王様の顔は、創造神オルドが愛した歪みのない整った顔だって。


 ――確かに、きれいな顔。だけど……。


「優しそう……」 

「え?」


 イリスの瞳から、ぽつりと、一粒だけ、涙が落ちた。


「アウレリウスさんは……優しそうな人なんですね。見てませんでした……。

 そういうふうに、見ちゃいけないと思っていました。

 私、なんにも……」


 アウレリウスはテーブルに自分のカップも置くと、イリスに近づいた。

 ポケットからハンカチを出して、それを彼女に渡す。


「座って話そう。イリス」


 柔らかい声。


「……はい」


 ソファに並んで座る。アウレリウスがイリスの分のカップを取って、彼女の手に持たせた。


「ほら。モルガナが入れた紅茶。美味しいよ」

「はい。……美味しいのは、知ってます」

「ふふ。そうだよね」


 イリスが顔を上げると、アクアブルーの瞳と視線が絡む。同じ青でも、兄の水色の瞳とは違う色。


「私……、幼い頃から身体が弱かったんです。

 でも、原因が分からなくて……。

 いろんなお医者様に診てもらいました。

 兄様もそれでお医者様になったんです……。

 私の……ために」


 アウレリウスは黙って頷く。

 彼女は手の中の紅茶を見つめながら、つぶやくように話した。


「調べても、調べても、身体が弱い原因は、分かりませんでした。

 でも、歩くのもつらくて、寝たきりになってしまって……。

 兄様は、たくさん……たくさん私のために泣いていました。

 父様も、母様も、泣いていました。

 “もう、これ以上はできることがない”と、そう言って泣いていました」


「どんな症状だったの?」

 

「はじめは、呼吸が苦しかった。

 でも、ある時から、お腹が痛くなったんです。代わりに呼吸は苦しくなくなりました。

 でも、お腹のほうが苦しかった」


 アウレリウスは眉を寄せた。


「ある時って……いつくらい?」

「半年くらい前でしょうか……」

「……それって……。なんでもない。

 それで、どうしたのかな」

 

 イリスは小さく息を吐いて、話を続ける。


「兄様が言ったんです。

 ――“天啓を得た”と。

 私に“王の母になれ、そうすれば、病は治る”って」


 アウレリウスも視線を下げる。


「それで、兄様は私に手術しました。

 その手術で、私は“王を育てるための子宮”を貰ったんです」


 イリスのカップを持つ指先は、ずっと震えていた。


「兄様は、その後、毎日言いました。

 “創造神に選ばれたのだ。お前は王の子を孕め。それが次の王となるのだから”。

 “選ばれし血を無駄にしてはならない。この世界を守ってやるのだ”って」


 イリスの声が震える。


「兄様は……変わってしまわれた」


 アウレリウスは痛みをこらえるように、奥歯を噛み締めた。


「兄様は……優しい人だったの。

 アウレリウスさんみたいな、優しい目で私を見て、優しい声で話してくれる人だった」


 カップの中の紅茶が、波紋を作り出す。


「私の病気が、兄様を変えてしまった」


 涙がぽとりと、紅茶に落ちた。


「でも、兄様がくれた子宮がなければ、私はもう死んでいたのかもしれない。

 兄様は変わってしまったけど、私を救ってくれたのは本当」


 鼻をすすり、声が少しだけ嗚咽に飲まれる。


「兄様に……昔みたいに笑ってほしかった……」


 イリスは、頭を下げた。


「……アウレリウスさん達には、ご迷惑をおかけしてしまいました」


 アウレリウスは首を振ると、彼女の肩を支え、顔を上げさせる。


「イリス……。その、手術痕を見せてもらえない?」


 イリスの視線が持ち上がる。


「あぁ、いや。モルガナを呼んでくる」

「大丈夫です」

「いや、だめだよ」

「……覚悟はしていました。今さら隠す理由もありません」


 アウレリウスが止める間もなく、イリスは服を脱ぎ始めた。


 彼は小さく息を吐く。


「傷に触れてもいい?」

「はい」


 大きく腹を割いた跡。

 指先でそれをなぞった。


「少し強く押すよ」

「……はい」


 イリスが眉を寄せる。


「……ありがとう。服を着て。

 イリス、僕は少しモルガナと話してくる。ここで待っててくれる?」


「……はい」

  

 アウレリウスの顔は蒼白だった。

 彼は、足早に部屋を出ていく。


 一人残されたイリスは、鼻をすすりながら、深く、ため息を吐いた。


 

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