変節6-3 揺れはじめるもの
翌日の早朝。
アウレリウスは内門の前に立った。
霧の向こうから蹄の音。
小さな二輪馬車。
手綱を握る黒衣の女性。
彼は小さく笑った。
内門の錠を外して馬車を中に入れると、それは速度を緩める。御者台に座っているモルガナはにっこりと笑った。
「おはよう。アウレリウス。馬車はあちら?」
「おはよう、モル。
そう。あっち」
アウレリウスは御者台に乗り込むと、モルガナから手綱を受け取った。
馬がまたゆっくりと歩き出す。
「……どうしてわかったの?」
「あなたが私を呼んだでしょう?」
二人は目を見合わせる。
「呼んだでしょ?」
「心の中でね。……モルはすごいね」
モルガナが笑い、アウレリウスも釣られるようにして笑った。
「昨晩は大変だったのね」
「それもわかるの?」
「わかるわ。目の下にクマができているもの」
「ふふ。そういうことか」
馬車を置き、アウレリウスが先に降りると、モルガナに手を差し出した。彼女は指先だけをそっと添える。
「ねぇ、少し、二人で話せるかしら?」
彼は城の石壁を一瞬見上げた。
霧に阻まれて、ほとんど上階は見えない。
セティは今、私室でイリスに食事を与えているはずだ。
「……うん。いいよ」
霧が濡らした壁は、白々と朝陽を弾いていた。
コトリと小さな音をたてて、空になったスープの器がローテーブルに置かれる。
「美味しかった?」
「……はい」
イリスはソファに座り、セティは書き物机の椅子に座って彼女を眺めていた。
イリスはきちんと服を着て、姿勢正しく座っている。セティが髪を整えてやろうとしたが暴れたので、癖のある赤髪だけは乱れたままだ。
「その……、イリスは何歳なの?」
「十二。……守護者さんは?」
「……十五」
「嘘よ」
「ごめん。百歳くらい」
彼女は自分の指先を見つめている。
「王様は、おいくつなのですか?」
「僕より、ずっと長く生きてるよ」
「百二十くらい?」
「……もっともっと長い」
「……そうなのですね」
窓の向こうには霧。
ぼんやりとした光しか差し込まず、部屋は薄暗かった。
イリスはゆっくりとセティを見た。
「どうして……、王様を壊したんですか?」
セティは息を飲んだ。
わずかに呼吸を整える。
「……彼が望んだから。
そして僕も、それを望んだから」
イリスの眉が寄る。
「私だって、王様と子をなすことを望んでいます。
お子が出来ることは、王様にとっても悪い話ではないはずです。
男性である王様には、リスクは低いですもの。……そう兄様が言っていました。
なのに何故王様は、私の願いを叶えてくださらないのでしょうか」
「“壊す”ことが、何を指すのか……。知ってるんだね」
「兄様が教えてくださいましたから」
セティは椅子を立つと、イリスの隣に座り直した。
「アウルが君に触れないのは、君を尊重したからだよ」
セティの灰の瞳を、イリスは見つめ返す。
「僕は……、彼を愛してるから。
彼も……その……、応えてくれたから、壊したんだ」
少女は眉を歪めた。
「愛してたら、壊してもいいのですね」
「ち、違うよ。そんな簡単な話じゃ……」
「兄様がおっしゃっていました。
物事はいつも単純だって。
人間たちが勝手に複雑にしてるだけだって」
セティは、小さく息を吐いた。
「……それは、そうかも知れないね」
膝の上に置かれた彼女の白い指は、かすかに震えている。
「でも、君はアウルを愛していないでしょう?」
白い指は握りしめられ、指先が赤くなった。
「私は兄様を愛してるわ……。
兄様が愛せとおっしゃったから、私は王様を愛しています」
「そんなの変だよ。お兄さんを愛してるからって……。言いなりになるのは、少し違うんじゃないかな」
「私の意思です。言いなりなんかじゃない。
どうしてあなたは私の邪魔をするの?
……王様を愛してるから?」
「……そうだよ」
静かな声。
水色の瞳が揺れる。
「貴方こそ、変です」
「……そうかもね」
セティは窓の外を見た。
霧は先程より薄れ、金色の光がカーテン越しに部屋に滑り込んでくる。
彼はわずかに息を吐いた。




