変節6-2 王の寝台
「結局、迎えは来なかったね」
夜になり、イリスは客室で休ませることにした。
窓の向こうには、朧月が浮かんでいる。
風はない。
外は、異様なほど静かだった。
アウレリウスは窓辺に立ち、外をぼんやりと眺める。
セティはそっと彼に寄ると、その肘に触れた。わずかにアウレリウスの息が揺れたが、彼はそのまま動かない。
「もし……ずっと迎えが来なかったら、どうしますか?」
「甘えてばかりで申し訳ないけど……。モルに相談するしかないんじゃないかな……」
「……そうですね」
「うん」
アウレリウスは小さく息を吐くと、セティを見る。
「セティ。僕はそろそろ寝ようかな」
セティは手を伸ばして、アウレリウスの頬に触れた。
「アウル。愛しています」
「……うん」
「アウルは美しいです」
「……セティも、美しいよ」
「誰にも、アウルの尊厳を犯させてはいけません」
「セティもね」
セティの手が離れると、アウレリウスは柔らかく微笑み、ベッドに向かって歩き出した。
「おやすみ。セティ」
「……はい。おやすみなさい」
衣擦れの音。
セティは窓ガラスに手を触れると、月を見上げた。
指先に伝わる冷気。
月は何も語らず、沈黙を守っていた。
夜半。
すべてが寝静まった頃、淡い月光だけが呼吸をしていた。
ゆっくりと、扉が開く。
彼女は後ろ手で静かに扉を閉めると、並ぶベッドを見比べた。
柔らかい裸足は、音を立てずに、その一方に寄る。
イリスは、白い布地に散っている金の髪を見下ろした。
静かにベッドに乗る。
シーツをそっとめくり、はだけた夜着のすきまから覗くその肌に、そっと手を伸ばした。
――手首が掴まれる。
「……何してるの?」
低く落とされた声。
イリスが振り返ると、灰の瞳をわずかに緑に光らせたセティが立っていた。
「……触らないで」
「何してるのかって聞いてるの」
「違う……違うの!」
彼女の高い声が部屋を震わせた。
「セティ……。イリス?」
二人が声の方を向くと、アウレリウスが眉を寄せながら目を開けた。
遅れて状況を察すると、彼は急いで起き上がる。
「……王様」
月光が、服を纏っていないイリスの肌を、青白く染めた。
彼女の腹部にある、引きつれたような大きな傷。
アウレリウスは息を呑む。
「イリス……。君は……」
セティが、彼女にシーツを被せた。
「いや! 触らないで!」
「暴れないで! 怪我するよ!」
シーツごとイリスを抱き抱えると、セティは彼女をアウレリウスのベッドから引きずり下ろした。
なおも暴れるイリスを、シーツをきつく巻きつけて縛る。
セティは、立ち上がり、見下ろした。
瞳が淡く光る。
「それ以上踏み込んだら、取り返しがつかない事になる」
イリスはセティを見上げ、わずかに体を震わせた。
咄嗟にアウレリウスがセティの肘を引く。
「……セティ、それ以上はだめだ」
セティはアウレリウスを見ると、その瞳が灰に落ち着いていった。アウレリウスは小さく息を吐く。
月光が、三人を静かに照らす。
アウレリウスはベッドを降りてイリスの前にしゃがみ込み、その顔を覗き込んだ。
水色の瞳は、相変わらず澄んでいるのに、目の前にいるアウレリウスを見てはいない。
「ねぇ、イリス。
そのお腹の傷は……、手術痕なのかな」
少女は頷く。
「王のための子宮を……、兄様がここに入れたの」
「もしかして……錬金術で子宮を造ったのかな」
彼女は床に転がされたまま、アウレリウスの青い瞳を見つめた。
セティは眉をきつく寄せる。
「狂ってる……」
「……兄様を悪く言わないで!
貴方が王様を壊したからでしょ! 貴方に兄様の何が分かるの!」
「イリス。セティを傷つけるようなことは言わないで」
アウレリウスは立ち上がると、セティの手を取った。
「……明日、モルガナのところへ連れて行こう。
女性同士の方が、話せるかもしれない。
僕たちでは……だめだ」
「……はい」
「モルにも……負担ばかりかけてしまうな」
彼は、イリスを見ると、もう一度かがんだ。
「そのまま、一晩中ここでシーツに巻かれてる?
それとも、大人しく客室で寝る?」
「……王様のそばにいます」
ため息をついて立ち上がると、アウレリウスはセティを見た。
「ミントティーでも淹れようか。
今晩はさすがに眠れそうにない」
「……はい」
――誰にも、正しく眠れる夜は訪れない。
窓枠の形をした月光が、ゆっくりと床を這った。




