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グレイブハル城の観測者  作者: かも ねぎ
変節 第五章『王を見つめる者』
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変節5-2 観察者の揺らぎ


 モルガナの、カップを持つ手がわずかに震えている。

 

 アウレリウスたちから赤髪の青年について話を聞いたモルガナは、細く息を吐いた。


 雑貨がいくつも棚に並ぶ部屋は薄暗く、天球儀の金属部分だけが、わずかに光を返している。

 吐き出された呼吸は、どこかに吸い込まれていった。


「なぜ……その人はそこまで知っているの?

 神は知識を与えてはくれないのに」


 テーブルを挟んで、彼女と向かい合って座っていたセティとアウレリウスは、目を見合わせた。


 モルガナはわずかに瞳を伏せ、手元の紅茶の波紋を見つめている。

 彼女の黒い瞳は、長いまつげが影を作り、より一層暗く見えていた。


「……私も、いろいろなことが見えるわ。

 でも、それはぼんやりとしていて、空気の色を読んでいるようなものなの」


 彼女はふと顔を上げて、ふわりと笑む。


「はっきりとした言葉を与えてくれるようなものではないのよ。

 だからいつもは、私なりに察して、言葉にしているだけ」


 アウレリウスとセティを、順に見る。

 そして小さく頷いた。


「あなたたち、仲直りは一応したのね。

 少しだけ、衝突したのかしら。

 でも、まだ何か……。

 何かしら、滞りがあるわ」


 彼女はカップから手を離し、膝のうえに置く。


「私に分かるのは、ここまで。

 ……どんな衝突があって、あなたたちの間にどんな会話があって、どんな問題が残っているのか。

 ……私には、わからないの」


 長い黒髪が、俯いてしまったモルガナの表情を隠してしまった。


「私に見えている世界なんて、そんなものなのよ……」


 テーブルに置かれた紅茶は、すでに冷えている。


「だから……」


  彼女は紅茶を見つめたまま、言う。


「彼、異常だわ」


「……モル」


 手に触れられ、モルガナがハッと顔を上げる。

 アウレリウスはいつの間にか椅子を離れ、彼女のそばで腰をかがめて立っていた。

 彼がモルガナの手を取る。


「……震えてるじゃないか。

 モル、ごめんね。

 ……おかしな話を君に聞かせてしまった」


 モルガナの眉が下がり、苦く笑った。


「……あなたは、人に気を遣いすぎよ」


 アウレリウスの瞳が、痛みをこらえるように細められる。

 腕を伸ばして彼女を抱き寄せようとしたが、モルガナはアウレリウスの胸を押した。


「……私に触れないで」

「え……」

「あなたは“王”。私は“観察者”。

 本来、触れ合ってはいけなかったの……」


 彼女はアウレリウスを避けるように席を立つ。


「……お茶のおかわりをいれてくるわね」


 アウレリウスがセティを見ると、セティは頷いて席を立ち、モルガナを追った。




 台所の奥、黒い鋳鉄ストーブの中で、赤い火が揺らめいている。

 その上に置かれた銅のケトルは、蓋がわずかに震え、蒸気が少し漏れていた。


「……モル。大丈夫?」

  

 セティが台所に顔をのぞかせると、モルガナは棚から白磁のティーポットを出しているところだった。


「えぇ……」


 彼女はポットに少量の熱湯を入れて温める と、それを流しへ捨てる。

 慣れた動作で、ポットに茶葉を匙で落とすが、その手は少し震えていた。

 

 モルガナが、ケトルを持ち上げる。


 彼女に歩み寄り、セティは、そっと彼女の手からケトルを受け取った。


「……僕がやるよ」

 

 湯が注がれる音が、かすかに部屋に響く。

 モルガナは震えている自分の手を見つめた。


「情けないわよね……。

 動揺してしまったわ」

「……モルとは違う理由かもしれないけど……。

 僕もあの人の話を聞いたときは、動揺した」


 モルガナは苦く笑う。


 ケトルを戻すと、セティは俯くモルガナの髪を見た。

 彼女の後頭部には、左右から一房ずつだけ編まれたその毛先に、赤いリボンが飾られている。


「……使ってくれてるんだ」

「リボン?」

「そう」

「気に入ってるの」

「良かった」


 モルガナがそっと自分のリボンに触れた。


「……できるだけ、言葉にしてみるわね。

 これまで、見たこと。聞いたこと」

「……うん。

 それは、大変なことなんだよね?」

「……少しね」


 ポットをセティが持つと、二人はゆっくり歩き出す。


「……私はね」


  彼女は、ほんのわずかに、視線を落とした。


「創造神オルドが嫌いよ」


「え?」


 セティが歩くのをやめると、モルガナは振り返った。

 黒い瞳、黒い髪の魔女の末裔である彼女の唇は、血のように赤い。

 

「……戻りましょ。

 私たちが戴く、王のもとに」


「……うん」


 “赤い唇の観察者”

 彼女の背を、セティは静かに追った。

 


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