変節4-7 『理の目』最終話
「あの人の話は、本当だと思いますか?」
赤髪の青年と少女が帰ったあと、アウレリウスとセティは、私室のソファにいた。
何をする気も起きず、ただ嵐の音を聞いている。
テーブルに置いた燭台の火は、弱い。
「客観的に見たら、荒唐無稽な話だろうね。
この国の人たちは、誰も信じないよ」
アウレリウスの声は、いつもより沈んでいる。
「でも、真実だと、僕は思うよ」
肘掛けにもたれるようにして座っているアウレリウスの横で、セティはわずかに息を呑んだ。
彼の青い瞳は、仄かに暗い。
「エドマンドは、僕が初めて目を開けた時に言ったんだ。
“人類が到達できうる限界の、最高の美を持つお前は、世界の王たる資格を持つんだ”って。
あの時は、意味が分からなかった。
エドマンドも高揚していたみたいだし、大げさに言ったんだと、思ってた」
「王の父」
「うん。あの赤髪の彼は、そう言ってたね」
「アウルは、王の自覚があるんですか?」
アウレリウスは隣のセティを見ると、眉を下げて笑った。
「まさか。そんなのないよ」
彼が手を差し出すと、セティはその手を重ねる。
指が絡められた。
「モルが、前に言ってた。
“この城は、貴方を王に据えたがっているのに、気づいていないの?”。
彼女の言葉は抽象的で難しいことが多い。
きっと、モルにはいろいろ見えすぎているのかもしれない」
「やっぱり、モルが“観察者”なんでしょうか」
アウレリウスは繋いだ手を引き寄せると、その手の甲に短くキスをし、自分の額に当てた。
「きっと彼女が“赤い唇の観察者”だね。
モルの唇は血色がいい、きれいな色をしていたから」
「アウル……。
僕も、モルに言われたことがあるんです。
“ねぇ、守護者さん。貴方は立派にお役目を果たしたわ”って」
アウレリウスの動きが止まる。
額につけていた手をおろし、ゆっくりとセティを見た。
「“お役目は果たした”って言ったの?」
セティは小さく頷く。
「それはつまり、守るべき王が壊れていなくなった、という意味?
僕が壊れたから、守護者の役目は終わったってこと?」
「……わかりません」
握っていた手に、力がこもった。
「アウル……。それに僕、身に覚えがあるんです」
灰の瞳がわずかに潤む。
「アウルに下心を持って触ろうとした見学者を、僕はこれまで、追い出してきました」
アウレリウスは、かすかに目を見開いた。
「……セティが?」
「軽蔑しますか?
脅したり、幻覚を見せて追い出してきたんです……」
「幻覚だって? どうやって?」
「僕も……分かりません。
でも、できたんです。
そうやって排除してきました」
「“排除”……」
呼吸が浅くなる。
「アウル……僕を嫌いになりますか? 気持ち悪いって思いますか?」
アウレリウスは一度呼吸を整えると、首を振った。
「驚いてはいる。
……嫌いになったり、気持ち悪いなんて、思わないよ」
セティの呼吸も、わずかに浅い。
「あれは、僕の意思でした。
僕の意思だと、思っていました。
でもあれは……世界の意思だった?」
彼は、片手で自分の額を覆った。その手は震えている。
「そんなこと……、そんなことないはず。
それじゃまるで、僕は操られていたみたい。
違う……。
僕はただアウルを守りたくて……」
「セティ、おいで。
大丈夫。大丈夫だから……」
ほんの一瞬、ためらうように手が止まったが、次の瞬間、肩を強く引き寄せてセティを胸に閉じ込めた。その身も、震えている。
「……モルに、会いに行こう。
彼女なら、僕たちより多くのことが見えているはずだから……」
セティは、黙って頷いた。
雨風が、城の壁を叩き鳴らしている。
誰もいないはずの城が、笑っているようだった。
◇
世界は、何も答えない。
理は正しく、
神々は沈黙し、
選ばれた血は、次を待つ。
壊れたものも、
壊れなかったものも、
等しく世界の中にある。
それでも、
誰かが何かを選んだ痕跡だけが、
静かに残る。
城は、今日も湖畔に立っている。
変わらぬ姿のまま。
ただ一つ、
立つ場所だけを、
少しずらしたまま。




