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グレイブハル城の観測者  作者: かも ねぎ
変節 第四章『理の目』
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変節4-3 王を測る傷


 小窓の前の机上、アウレリウスが案内に出る前に持っていた手持ちの燭台が、置いてある。


 蝋燭が、ジジッと小さく音を立て、溶けた蝋は、机の向こうを透かしながらゆるりと下へ伝っていく。


 セティはその様子を、椅子に座って静かに眺めていた。


 ――城が、静かすぎる。


 グレイブハル城は、音を生まない。

 石床は足音を吸い、声も壁に飲まれてしまう。

 外から入ってくる鳥のさえずりや雨音だけが、この城に許された音だった。


 ――だが、それにしても今日は静かだ。


 セティは、腕を服の上からそっとさすった。


 肌をぴりぴりと焼くようなわずかな痛みはある。気のせいかと思えるほど、ほんのわずかに。

 だが、セティを急かすような声は、今日は全く聞こえてこない。

 

「息を潜めている……というより」


 ――まるで、怯えて、緊張しているみたいだ。


 セティは、受付室を出て、玄関ホールに立った。

 

「アウル……。まだかな」


 ステンドグラスを見上げる。


 燭台の明かりに照らされ、創造神の背景に描かれた輪を持つ星が、揺らいでいるように見えた。


 ――今日は、何かが、変だ。




 見学順路を巡り終え、二人が玄関ホールに戻ってきた。

 アウレリウスと青年の表情は穏やかだった。


「あぁ、もう帰ってきてしまいましたね。

 噂以上でした。

 大変実りのある時間をいただけました」


 青年はホールの中央に立ち、身振りを加えながらアウレリウスにそう言った。


「君が楽しんでくれたなら、僕も嬉しいよ」

  

 アウレリウスは、いつものように柔らかく笑う。


 セティはそれを、彼らの邪魔にならない位置に立ち、見つめた。


 青年が、手を差し出す。

 握手を交わすために、アウレリウスも手を取ろうとした。


 指先が触れる。


 青年の指が、ほんのわずかに強く握った。


 ――鋭い痛みが走る。


 アウレリウスは驚いて手を引いた。


 指先。

 血が溢れる。

 ポタリ――、一滴だけ、床に落ちた。


「アウル!」


 セティが駆け寄り、アウレリウスは目を見開いて青年を見た。


 赤髪の青年は、興味が失せたような顔をしていた。


 彼の手元には、隠し持っていた小さな刃。

 青年の指先にはアウレリウスの血がついている。

 

 彼は、その血をまじまじと眺めたあと、静かに舐め取った。


「アウルに何をしたんだ!」

 

 セティが声をあげるが、青年はワインのテイスティングをしているかのように、口の中で舌を転がしている。


 アウレリウスはセティを庇うように前に出ると、青年の水色の瞳を見つめた。


「……目的は何?

 なぜこんなことを?」


 青年は淡々と、ポケットからハンカチを取り出し、丁寧に刃を包んでいる。


「はぁ……。

 本当に、壊してしまったと言うのですか?」


 刃ごとハンカチをポケットに戻すと、アウレリウスをまっすぐに見た。

 彼の瞳は、緑に沈んでいる。


「完璧な体だったのに。

 あぁ……やはり壊れていますね。

 どうせ、ないものねだりしたのでしょう?

 ……勿体ないですね」


 青年は、やれやれとでも言いたげに首を振った。

 ウェーブがかった赤髪が、ふわふわと揺れる。


「まぁ、それでも貴方には“王”たる資格がある。要らないのなら、私に下さい。

 私の方が、うまく使えますから」


「何を言って……」


「私の言うことがお分りにならない?」


 セティが前に出ようとするのを、アウレリウスは腕で制した。


 青年の大げさな程のため息が、玄関ホールに響く。


「はぁ……。

 これだから無知は」


 彼は一度、髪をかき上げた。

 その瞬間に、薔薇のような甘い香りが強く舞う。


「とりあえず今日は、さようなら。

 次は貴方のための、器を連れてきますから」


 青年は、にっこりとわらった。

 柔らかい声。

 すっと伸びた背筋。

 

 蠱惑的にさえ見える、完璧な立ち姿。


「きっと、喜んでいただけると思いますよ。

 では、また」


 青年は軽く頭を下げると、優雅に玄関扉を出て、馬車置き場の方へ去っていった。


 外は、雨。


 霞の向こうで、馬車の背が、かすかに見える。

 

 アウレリウスは自分の右手を見た。

 人差し指は深く切られ、鮮血が手のひらを伝い、腕へと流れている。

 

 目眩がするほどの、甘い香りが、鼻をかすめた。


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