変節3-7 『変節』最終話
王都オルドンは、今日も霧に包まれていた。
黒いレースを重ねたようなドレスを纏ったモルガナは、花束を抱え、ハートウェル区の曲がりくねった石畳を歩く。
つばの広い黒い帽子についた花飾りが、彼女の歩みに合わせて小さく揺れていた。
癖のない真っすぐな黒髪。
耳横の一房だけ、リボンごと編み込んで飾っている。
セティが贈った、刺繍が施された赤いリボンが、柔らかく昼の日差しを弾いていた。
胸に抱えたリシアの花束。
その白と淡い紫が、彼女の黒いドレスによく映えている。
「お嬢さん」
モルガナは、振り返った。
彼女から白檀に似た、少し乾いた甘い匂いがふわりと香り立つ。
淡い霧の中。
モルガナの前に立っていたのは、赤い髪の青年。
すらりと背の高い彼は、水色の瞳を柔らかく細めた。
「落としましたよ。
あなたによく似合う、真っ赤な薔薇」
青年の長い指が差し出す、一本の薔薇。
それは、燃え立つような深紅。
モルガナはわずかに眉をひそめた。
「私、薔薇は買っていないわ」
青年は首を傾げる。
癖のつよいウェーブがかった髪が、少しだけ、ふわりと揺れた。
「そうですか?
……では、差し上げます」
薔薇から、甘い香りが強く舞う。
「薔薇なんていただけないわ」
モルガナが背の高い彼を見上げると、青年は優しく笑った。
「いいんですよ。
私はあなたから、既に頂いているようですから」
モルガナが、一歩下がる。
花束を抱える手が、わずかに震えた。
「あなた……何者?」
青年の水色の瞳が、かすかに緑に沈む。
「お嬢さん、貴方には分かるのでは?
ねぇ? ……美しいお嬢さん」
柔らかい声。
澄んだ甘やかな眼差し。
「……あなた」
洗練された振る舞い。
燃えるような、赤い髪。
非の打ち所のない、紳士的な彼。
彼は手にしていた薔薇を、モルガナが持つ花束にそっと差し込んだ。
「それでは、ごきげんよう。
また貴女には、お会いできるようです。
とりあえず今は、――さようなら」
青年は、軽く頭を下げ、穏やかな笑みを残して去っていった。
モルガナは、その背を見送る。
白と淡紫の中に一輪だけ咲いた、血のような花。
その花だけが、ひどく甘く香っている。
花束を抱える彼女の指先は、
――冷えて、震えていた。
◇
世界は、何も答えない。
理は正しく、
神々は沈黙し、
選ばれた血は、次を待つ。
壊れたものも、
壊れなかったものも、
等しく世界の中にある。
それでも、
誰かが何かを選んだ痕跡だけが、
静かに残る。
城は、今日も湖畔に立っている。
変わらぬ姿のまま。
ただ一つ、
立つ場所だけを、
少しずらしたまま。




