変節3-5 言えない言葉の代わりに
月が出ている。
日は沈み、空は完全に夜の貌をなしていた。
星の瞬きの下で、セティは馬車の速度をいつもより上げて走らせる。
「いつも夕刻には戻るのに、遅くなっちゃった」
――アウルは心配してるかな……。
「いや、アウルは関係ない」
――夕食はどうしてるかな。いつもならもう、食べてる時間かもしれない。
ここのところは夕食は早めに作って、あえてアウレリウスと食事の時間をずらしている。
以前だったら食事は儀式に過ぎなかったから、食べなくても問題はなかった。
だが、今は命を営むための大切な習慣だ。
――アウルと一緒に食事をとりたいな。
「いつまで意地張るつもりなんだろう……。僕は」
草原を駆け、外門を越える。
丘を登りきると、月に白く照らされた城が浮かぶように姿を見せた。
内門に、小さな光がひとつ、揺らいでいる。
「セティ!」
――アウルだ……。
内門で、燭台を手に持ったアウレリウスがセティに向って手を振っていた。
馬車の速度を緩めると、アウレリウスが駆け寄ってくる。
「セティ!
帰ってくるのがいつもよりも遅いから、心配したよ」
彼は御者席の脇に立ち、腕を伸ばしてセティの肘に触れる。燭台の橙の明かりが彼の頬を染めているが、心なしか顔色が悪く見えた。
「アウル……。
その、モルと買い物をしていて……」
アウレリウスは小さく息を吐く。
「……モルと、……デートしてたの?」
「デートではないような……」
彼は、もう一度大きく息を吐いた。
「事故に巻き込まれたりしたんじゃなくて、良かった……」
肘に触れていた手を一度離し、セティの背に触れようとして、彼はやめた。
アウレリウスは手を引っ込める。本当は、抱き寄せようとしたのかもしれない。
「それに……。
帰ってこなかったら……どうしようかと……」
伏せられた瞳の青が、深く沈んでいる。
セティの胸が締め付けられた。
――街に住めばいいなんて言うくせに、
僕が帰らないと、どうしてそんな悲しそうな顔をするの?
セティはジャケットのポケットに入っている包みに、服の上から触れた。
アウレリウスのために選んだ、水色のリボン。
小さく、カサリと音が鳴る。
まっすぐに、青い瞳を見た。
「……アウルは、僕に恋をしてますか?」
「え?」
青い瞳がセティを見つめ返す。
「僕のは“恋”です。アウルは?」
「……」
アウレリウスは、戸惑って、答えない。
――アウルのは、やっぱり“恋”じゃないんだ。
――わかってた。わかりきってた。
セティはアウレリウスの服の襟のあたりを強くつかんで、彼を無理やり引き寄せると、唇を重ねた。
アウレリウスの下唇を、強く噛む。
「痛……」
「……もう、嫌だ」
セティは手綱を引く。アウレリウスを残して、また馬車が走り出した。
「セティ……」
アウレリウスは唇を押さえながら、セティを追いかけようとするが、ニ、三歩踏み出して、やめてしまった。
手のひらを見ると、血がついている。
「……セティ」
ポタリと一滴だけ、唇から落ちた血液が、彼の白いシャツを汚した。
力なく肩を落とし、アウレリウスは一人、城に戻る。
白い月は、静寂を抱いたまま、そっと佇んでいた。




