変節3-3 迷いをほどく手
王都オルドンの西区。
高級店の立ち並ぶ一角。
セティは、包みを抱えてリンデンの並木道を歩いていた。
少し甘い香り。
長く続く整った石畳。
すれ違う馬車からは馬蹄の乾いた音が響いていた。
黒い車体にはその家の紋が記されているが、セティにはどこの家のものかはわからない。
すれ違う女の子達の視線を感じたが、あえてそちらを見なかった。
ふと、目の前を黒猫が横切る。
セティがそれを目で追うと、猫は振り返った。
「……もしかして、君がウンブラ?」
返事をするように一度だけ鳴く。
猫が歩き出し、セティはそれを追いかけた。
通りを一つ入り、しばらく歩く。
静かな道。
自分のブーツの音だけが、やけに響いている。
やがて、白っぽい縦長の一軒家が現れた。扉横の木の看板には〈緑の継ぎ目亭〉と書かれているのが目に入る。
深緑に塗られた木の扉の前で、猫はのんびりと毛づくろいを始めた。
「ウンブラ……。ありがとう」
ふと顔を上げた猫が、金の瞳でじっとセティを見つめる。だが、セティがしゃがんで手を伸ばすと、ふいっと顔をそむけてしまった。
小さくため息をついて、そのまま猫を眺める。つやつやの黒い毛。
「……ねぇ、扉を開けてもいい?」
猫は動かない。
「……どうしよう」
軋む音。
扉が開くと、ウンブラはさっとどこかに去っていった。
「……いらっしゃい。セティちゃん」
「モル。こんにちは」
扉から現れたのはモルガナ。今日も黒いドレスを着ている。
「入って」
彼女は扉の奥に消えてしまう。
セティは慌てて立ち上がると、閉じかけた扉を開き、彼女を追った。
玄関ホールは、わずかに薄暗い。深緑の壁に、濃い色の腰壁。小さな絵がたくさん並べられている。
ぽつんと置かれた小さなテーブルには、ノート、ペン、インク壺が置かれていた。
セティはなんとなくペンを手に取る。
「ふふ。あなたは記名しなくてもいいわ。
こちらへいらっしゃい。
黒髪の紳士さん」
声の方を見ると、廊下の一番奥の扉。そこから顔をのぞかせているモルガナが、ふわりと笑っていた。
ペンを置いて、奥の扉へ向かう。
コツコツと、木の床を歩く音が小さく響いた。
部屋には壁紙が見えないほど棚が並び、そのすべてに雑貨が詰め込まれている。
水晶や天球儀。見たこともない不思議な道具たち。
セティは中央のテーブルまで歩き、そこで待つモルガナに向かって微笑んだ。
「改めて。お邪魔します」
「えぇ。待ってたわ、セティちゃん」
包みをテーブルに置き、広げる。
「ささやかではあるんですけど、手土産を持ってきました」
「セティちゃん。気軽に話してくれていいわ。私の方がずっと年下だもの」
セティがきょとんとモルガナを見つめる。
「アウレリウスから、少し聞いたわ。あなたたちがホムンクルスであること。長い寿命を持っていたこと。今は、そうではないこと。
だから、私の前では楽にしてくれていいの」
「アウルが……話したの?」
「私も、人より少しだけ寿命が長いのよ。
だから、アウレリウスは私に話したの」
「モルも、人じゃないの……?」
「私は、私を人だと思っているわ」
セティは口を手で押さえる。
「ごめんなさい」
「ふふ。いいのよ。
――何を持ってきてくれたの?」
綺麗な包み紙と、装飾の美しいガラス瓶。
セティはまず、包み紙をそっと開いた。
「レモンバームの葉。
……アウルが庭園に生えているのを見つけたんだ。鎮静効果があるから、ハーブティーにして夜に飲むといいって、アウルが言ってた」
丁寧に乾燥させたレモンバームの葉。モルガナはそれを受け取ると、そっと顔を寄せた。
「爽やかな香り。素敵ね」
セティは少しだけ口角を上げる。
続いて、瓶を手に取った。
「こっちは、ミントシロップ。アウルとミントを取りに行ったんだ。シロップも、アウルと一緒に作ったんだよ」
モルガナは瓶を受け取り、柔らかく笑う。
「ふふ。セティちゃんは惚気話をしにきたのね」
「え」
セティの耳がじわじわ赤くなる。
彼は視線を逸らせ、空になった包みを丁寧にたたみはじめた。
「そんなんじゃない……」
モルガナは瓶を持ち上げて、光にかざしている。細かく面を造られた瓶は繊細に光を返し、中の液体がとろりと動くのが見えた。
「ミントシロップを、紅茶に垂らす?
そのままお水に溶いても美味しそうね」
「モルは……どっちが好きかな」
「紅茶に垂らしてみたいわ」
「じゃあ、そうしようよ」
「えぇ、用意するわ。ここで待ってて」
「手伝う?」
「いいえ。お客様はここで待っていて。おもてなしさせてちょうだい」
「うん」
セティは椅子に座り、ぼんやりと雑貨を眺めて待った。
やがて、盆に紅茶と小さな焼き菓子の皿を乗せてモルガナが戻ってくる。
「今日はアップルパイじゃないんだ」
「王都の、ちょっと人気のあるお店の焼き菓子よ」
「そうなんだ」
「アップルパイが良かった?」
「あ……いや、モルのアップルパイは美味しいから……」
モルガナが笑いながら席につく。
「ねぇ、早速なんだけど、あなたたち、何が問題なのかわからないわ。
とっても仲良しだもの」
セティが視線を下げた。
手にしたカップの中、紅茶に波紋が生まれる。
「……僕が、意地を張ってるだけ」
「押し倒しちゃえばいいのよ」
「押し倒したよ。願いはかなった。
でも、気持ちは通じてなかった」
「両思いなのに、なぜかしら?」
「両思いじゃないんだ。
アウルと僕の“好き”は種類が違う」
モルガナは焼き菓子を一つ取り、それをセティの口に押し付ける。
セティは一度肩を震わせると、それを指先で受け取って食べた。
「どうして、そう思ったのかしら?」
「だってアウルは、僕に街で暮らせって」
「本当かしら? 可能性を示しただけではなくて?」
「……え?」
モルガナは紅茶を一口飲む。
「美味しいわね。くせになりそう。
――あなた、かわいいわね。アウレリウスが溺愛するのもわかるわ」
眉を寄せてセティは彼女を見る。
「僕の方がアウルを溺愛してる」
モルガナは少しだけ目を見張った。
そして、笑い出す。
「ふふ。おかしいの。あなたたち、あまり口喧嘩したことないんでしょう?
喧嘩が下手なのね」
「喧嘩?
……したことはないかも」
モルガナは手を伸ばしてセティのカップを持つ手に触れる。
「ねぇ、守護者さん。あなたは立派にお役目を果たしたわ。
やりたいことをやれってアウレリウスは言ったのではなくて?
アウレリウスのそばにいたいのなら、それがあなたの『やりたいこと』だと、私は思うわよ」
セティはカップを置くと、膝の上で拳を握りしめた。
「僕はアウルのそばにいてもいいの?」
「あなたが選ぶの」
「アウルに何処かに行けと言われても?」
「ふふ。アウレリウスはあなたにそんなこと絶対に言わないわ」
情けなく下がったセティの眉に、モルガナはふわりと笑う。
「……どうしたら、いいの?」
「押し倒してみたら?」
「もうやったよ……」
「何度でも……よ」
「そんなことしたら嫌われちゃうよ」
「ふふ」
「……なんで笑うの」
「あなたがかわいいからよ」
この部屋のどこかにある時計の針が、カチリと小さく音を鳴らした。




