変節3-2 受け止める手
アウレリウスが盆を片手で持ち、モルガナと手を繋いで、二人はグリーンガーデンまで歩いてきた。
ふと、彼女が立ち止まる。
「ここは……変わらないのね。
完全には、失われていないからかしら……それとも……。よくわからないわ」
ライラックの木の下。木漏れ日が二人の頬をなぞる。
「モル?」
「なんでもないわ」
テーブルにカップとアップルパイの乗った皿を並べ、ベンチに並んで座った。
「風が気持ちいいわね」
「うん」
「手、離してもいいかしら。食べにくいわ」
「……ごめん」
手を離す。なんとなく心許なくて、両手でカップを持った。
「……モルが好きになる人ってどんな人?」
モルガナはアップルパイを一口分切ると、フォークで刺して、アウレリウスの口元に差し出す。
「ほら。食べなさい。
あなたは情緒が安定している人だけど、人に甘えてバランスをとっているんでしょ?
友人としてできる範囲で甘えさせてあげるわ」
アウレリウスは差し出されたパイを素直に食べる。
「美味しい」
モルガナは微笑みながら頷く。
「年上の人よ。
西区のご近所さんだったの。宝飾店のオーナー。
彼はね、八十歳だった」
「すごく年上だね」
「年齢の話をするなら、あなたも大概よ」
アウレリウスが目を見開くのをよそに、モルガナもアップルパイを一口食べる。
「上手に焼けてるわね。
――私、彼のもとに通ったわ。
『お嬢さん、こんな老人の相手に貴女の貴重な時間を割くなんて勿体ない。こちらへ来るのはおやめなさい』って何度も言われたわ」
アウレリウスは目を細めて、静かに頷いた。
「年を刻んだしわのある細い手に、白い薄い手袋をはめて、宝石を持つの。時計見ルーペを使ってね。とても澄んだ、鋭い猛禽のような、強い瞳よ。
でも、私を見るときは、好々爺なの。
その差に、落ちてしまったわ」
「かっこいい人だね」
モルガナは嬉しそうに微笑む。
もう一口フォークに刺して、アウレリウスに差し出した。
「そうよ。
彼の奥さまは、随分前に亡くなられたみたい。息子さんは、彼のもとで修行してから、別のところで店を持ってると言っていたわ」
フォークをそっと、テーブルに置く。
「彼ね、静かに息を引き取ったわ。
最期を、私、看取ることが許されたの。恋人としてではなくて、友人として……だったけれど。
彼の息子さんにも感謝されたわ。『最期まで支えてくれてありがとうございました』って」
「モル」
モルガナが視線を上げると、アウレリウスは両手を広げている。
「え……いいわよ。そういうのは」
「じゃあ、なんでここに来たの。誰かに甘えたかったんでしょ?」
「話を聞いてもらいたくて……」
「僕が無理やり抱きしめてもいいの? モルからおいで」
モルガナは大きくため息をつくと、アウレリウスの胸に顔を埋める。
アウレリウスはその背をトントンと優しく叩いた。
「……確かに落ち着くわね」
「君の想い人よりおじいちゃんだからね。
……泣いてもいいよ」
「服を汚してしまうわ」
「気にしないよ」
「鼻水をつけてしまうかも」
「あはは。いいよ。全然大丈夫」
モルガナは肩を震わせて、少しだけ泣いた。
「モルは素敵な女性だね。
彼は幸せ者だった」
アウレリウスの胸の中で顔を上げる。
「本当にそう思う?」
「思う」
モルガナは彼を離れると、ふわりと笑った。
「少し、気持ちが楽になったわ。ありがとう」
「どういたしまして」
「私、いまだに処女なのよ。恋はいくつもしているのに」
アウレリウスは困ったように笑い、フォークに刺したパイを差し出す。
「……明けっぴろげすぎない?」
「あなたは人との距離が近すぎなのよ」
「……ごめん」
モルガナはフォークごと受け取ると、自分でパイを食べる。
「あなた、願いが叶ったのね。私と寿命が同じくらいだわ」
「……本当に?
その、僕たちのこと、どこまでわかってるの」
「寿命が果てしないことは分かってたわ」「そう……」
アウレリウスは静かにカップに口をつけた。
「私も、人よりほんの少しだけ、寿命が長いの」
「そうなんだ…」
カップをテーブルに置く。
「え? 僕も寿命はまだ長いの?」
「えぇ。ほんの少しだけね。
それにしても友人として、嬉しく思うわ。あなた、ずいぶん苦しんでたみたいだから」
アウレリウスは、ベンチの周りに植えられた低木に視線を逃がす。
「でも、僕は……」
「私の知っているあなたは崇高で、不器用な人だわ。……そう、不器用なだけよ。
ちゃんと気持ちを伝えるのよ」
小さく息を吐いた。
「セティと、仲直りできるかな」
「できるわ」
即答。
アウレリウスは苦く笑った。
「ここ数日、セティは口を利いてくれないんだ。
いつもは一緒の部屋で寝てたのに、最近は客室で寝てるし。
ずっと避けられてる」
モルガナがまたフォークに刺したアップルパイを差し出し、アウレリウスは素直にそれを口にする。
「あなたたち、恋人になったの?」
「……え?」
彼の口についたパイ生地のかけらを、モルガナが手で払う。
「私、ぼんやりといろいろ見えるだけで、はっきりと見えているわけじゃないの」
「恋人……? ではないんじゃないかな……」
「セティちゃんは、あなたを恋人にしたいんじゃなくて?」
アウレリウスは軽く前髪をかきあげた。
「……僕たち、ホムンクルスなんだ」
「あぁ、なるほど。なんとなく腑に落ちたわ」
モルガナが大した反応をしないことに内心驚きつつ、アウレリウスは続けた。
「セティは、僕が造った。
僕の創造主が死んでしまってから、僕はずっと孤独で。頭がおかしくなりそうで。
いや、もう、壊れかけてたんだと思う。
――それで、セティを造った」
彼女は小さく頷く。
「僕たちは不老不死だから、それを知られないように、二人だけで生きてきたんだ」
葉擦れの音。
「僕には、かつては創造主もいたし、創造主がいた頃は使用人にも囲まれてた。
街の人と友達になったこともある」
風が、紅茶に波紋を作っている。
「でも、セティは、生まれてからずっと僕だけなんだ」
ふいに、視界が滲み始める。
「友達を作ることも、まして、恋人を作ることも、彼には許してこなかった……」
モルガナが手を伸ばして、アウレリウスの頬を拭った。
「でも、僕たちは不老不死を脱却できたんだ。
だから、セティに、もう僕にも城にも縛られなくていいって言った。
そしたら、誤解させてしまって」
彼は、瞳を伏せる。
「僕だって、セティと一緒にいたいよ。
でも、僕がそれを口にしたら、僕はまた彼を閉じ込めてしまうことになる。
ここにいて、なんて。僕から離れないで、なんて、僕からは言えないよ」
モルガナは、優しく目を細めた。
「仲直りしたかったら、そう言うしかないわよ」
「なんて?」
「今言ってたじゃない。
僕のそばにいてって言いたいけど、僕はそれを君には言えないよって」
「でも」
「大丈夫よ。
若く見えるけど、セティちゃんの実年齢も相当でしょ?
私より年上だわ」
アウレリウスが視線を上げると、モルガナが両手を軽く広げている。
「……女性の胸を借りるわけには……」
「当たり前でしょ。あなたに貸すのは肩よ」
アウレリウスは笑うと、素直にモルガナの肩に頭を預けた。
「モルはいい匂いがする」
「そういうのは軟派っぽいからやめなさい」
「……ごめんなさい」
「泣いていいのよ」
「素敵なドレスを汚してしまうよ」
「鼻水はつけないで」
「ふふ。うん」
モルガナはアウレリウスの髪を撫でる。
「ほら、いい子いい子」
「……ウンブラにもいつもそうしてるの?」
「あの子はあなたほど甘えん坊じゃないのよ」
「……そっか」
そのまましばらく、アウレリウスはぼんやりしていた。
顔を上げると、モルガナは柔らかく笑う。
「紅茶が冷めちゃったわね」
「話を聞いてくれてありがとう」
「……お互い様でしょ」
二人で小さく笑った。
帰り際。
内門まで、アウレリウスはモルガナを見送る。
「どうやって帰るの?」
「あなたには教えないわ」
「ほうき?」
「ふふ。そんなことできるわけないでしょ?」
アウレリウスがモルガナに手のひらを差し出すと、彼女はそっと指先を乗せた。
その指をそっと持ち上げ、キスをする。
「モル、ありがとう。
ちゃんと、話してみる」
「えぇ、頑張ってね」
モルガナが、丘の先に帰っていく。
アウレリウスは、それを静かに見守っていた。
「こんなに洗いざらい気持ちを話したのは、初めて。
モルって不思議な人だな……」
冷たくなった夕方の風が、アウレリウスの独り言をさらっていった。




