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グレイブハル城の観測者  作者: かも ねぎ
変節 第三章『変節』
161/215

変節3-1 指先の距離


 王都オルドンのほど近く、湖のほとりに、古い城がある。


 世界の理から、わずかに外れた場所。

 神々の沈黙が、届かぬ距離。


 城は変わらない。

 湖も、森も、静けさも。


 変わるのは、そこに立つ者の位置だけだ。


 境界は、守られるものではなく、交わされるものとなった。


 これは、世界に抗う物語ではない。

 世界の中で、誰を選ぶかを問う章である。


 ◇


「ごめんください」

「モル!」


 何とはなしに玄関へ出たアウレリウスの視線の先、内門の向こうにモルガナが立っていた。

 相変わらず全身真っ黒。

 黒いドレスに黒い帽子。

 癖のないまっすぐな黒髪に、深い黒の瞳。


 アウレリウスは柔らかく微笑む。


「来そうな気がしていたんだ。

 こんにちは、モル」

「こんにちは、アウレリウス。

 アップルパイを持ってきたわ」


 内門の錠を外し、彼女を中へと招き入れる。

 黒い瞳が、アウレリウスの青い瞳をじっと見つめた。


「……あなた」


 赤い唇が、意味ありげに弧を描く。

 アウレリウスはパイの包みを受け取り、エスコートの為に静かに手を差し出した。

 モルガナはその上に、指先を軽く乗せる。

 

「私、失恋したの。慰めてくれる?」

「僕で役に立つかな」

「聞いてくれるだけでいいの」

「それなら、喜んで」


 二人が並んで歩き出した、そのとき。


「モルさん!」


 玄関の奥からセティが駆け寄ってくる。


「あら、こんにちは。セティちゃん」


 セティはモルガナの前に立つと、柔らかく微笑んだ。


「……あなたも、なのね」


 モルガナの黒い瞳が、静かに細められる。


 ふと、アウレリウスとセティの視線が交わる。

 だがセティは、はっきりと顔を逸らした。


「僕も、モルさんとお話したいです。

 だけど、アウルとは話したくない。

 後日、モルさんの占いのお店に行ってもいいですか?」

「えぇ……もちろんいいけど。

 それから、私のことは“モル”でいいわ」


 セティは口角を上げたまま軽く頭を下げ、そのまま去っていった。


 静寂が落ちる。


「セティちゃん……表情が、ずいぶん柔らかくなったわね」


 モルガナが振り返る。

 アウレリウスはわずかに瞳を伏せ、唇を固く結んでいた。

 今にも涙がこぼれそうな顔。


 モルガナは、つい、小さく笑う。


「……お話しましょう? ね」

「……うん」


 白い指で、彼の目元をそっと拭ってやる。


「キッチンを教えて。私がお茶を淹れるわ」

「……ごめん」

「……仕方のない人ね」


 アウレリウスはほとんど無意識に、モルガナの指の隙間に、そっと自分の指を滑り込ませた。

 モルガナはそれを見て、また柔らかく笑う。


「……今日だけは許してあげるわ」

「……何を?」

「恋人つなぎを」

「恋人つなぎ?」

「指を絡めて手を繋ぐことよ」


 アウレリウスは、絡めた指を見下ろした。


「……それは、そんなにいけないこと?」

「……あなたね。

 そういうところだと思うわ」


 ため息をつくアウレリウスの手を引いて、モルガナは城内へと足を進める。


 その頭上では、青い空が、何も急かさずただ広がっていた。

 風に押され、雲がゆっくりと千切れていく。

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