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グレイブハル城の観測者  作者: かも ねぎ
変節 第二章『壊した未来』
159/160

変節2-6 ほどける境界


 数日後の夜。


「見て」


 アウレリウスが左の人差し指を、セティの前に出す。

 ローテーブルに置いた燭台の橙の炎が、ソファに並んで座った二人の頬を柔らかく染めていた。


 セティは差し出された指をつまむようにして見る。


「昼間に、ペンナイフで切っちゃったんだ」


 アウレリウスは反対の手の指で、傷のそばをぐっと強く押した。傷口が開く。

 セティは驚いてアウレリウスの手を払った。


「アウル! なんてことを……」

「あはは。ごめんごめん」


 小さく粒になって溢れてきた血を、アウレリウスはセティの唇に塗るようにつけた。

 淡く、笑う。


「この程度の傷も、すぐには治らないんだ。人間って不便だね」


 顔を寄せ、その血を舐め取る。


「不便になるよ。

 いい? セティ」


「……はい」


 アウレリウスはソファから立つと、セティの膝裏に腕を通して横抱きにする。


「……また!?」

「だって、セティの背が伸びたらできなくなるもん」

「……伸びないかもしれないのに」

「そしたらまた、いくらでもやってあげる」

 

 二人して笑う。


 ベッドにたどり着くと、そっと降ろした。

 アウレリウスは、ガウンのポケットから青い小瓶を取り出して、サイドテーブルに静かに置く。

 瓶が弾いた光は、淡い。


「それは何ですか?」


 アウレリウスは少しだけ、苦く笑う。


「セティを痛くさせないためのもの……。

 創った」

「ふふ……よっぽど痛かったんですね」

「……うん」

 

 二人で、ベッドの上で向き合って座った。


 音がしない。


 アウレリウスはそっと手を伸ばしてセティの頬を包むようにする。


「僕の……かわいいセティ」


 セティの眉が少しだけ寄り、それを見てアウレリウスが小さく笑った。


「かわいいって言われるのは、嫌?」

「……ちょっと複雑なんです」

「そっか」

 

 セティの夜着のボタンを一つずつ外していく。


「でも、君を造ったのは僕だよ。

 君が生まれた時からずっと見てきた。

 歩き方も、言葉も、僕が教えたんだ」


 頬にキスをする。


「セティは、歩き方がきれいだね。

 お話も上手だ」


 唇へ。


「相手のことを思いやれて、誠実で、すごくいい子」


 次は目元。


「大きくて垂れた瞳。

 その甘い顔。王都のお嬢さんたちはみんな君に夢中だよ」

「……アウルは?」

「もちろん僕も」

 

 首筋。鎖骨。


「でも、今は僕だけの、かわいいセティ」


 肩に手を添え、横たわらせる。

 

「もう、戻れないよ。

 本当に、いい?」


 セティは頷く。

 アウレリウスは小さく首を振った。


「大きな決断だよ。

 ちゃんと言葉にして」

 

 セティは息を呑む。


 青い瞳にとらわれて、視線は外せなかった。

 金の髪が垂れて、セティの顔の横に落ちる。


「アウル……、僕の境界を壊して」


「……わかった。

 できるだけ、痛くしない」

 

 呼吸が重なるように落ちる。


 少し欠けた月の白い光が、部屋を、静寂ごと包んでいた。




 かすかに、水の跳ねる音が聞こえる。

 

 セティが目を覚ますと、隣からは規則正しい寝息。

 部屋は白い光で満たされていた。

 窓枠も、書き物机も、そのすべての輪郭が白金で縁取られているようだ。


 寝返りを打って、天井を見る。


 ――あ、身体が痛いかも。


 自分の手のひらを見つめる。


 ――本当に変わったのかな。

 ――アウルの時ほど動けないわけじゃない。

 ――きっと気遣ってくれたんだろうな。


 起き上がろうとすると、胸を腕で押さえられた。


「だめだよ!」

「……アウル、おは――」

「今日は動いちゃだめ。寝てて」

「でも、僕、全然大丈夫そ――」

「だめ!」


 ガバリと起き上がったアウレリウスは、セティをシーツできつく包むようにした。


「今日は寝てなさい」


 シーツの上からアウレリウスがセティに跨るようにして乗ると、顔を寄せる。


「今日は僕の言うことをきくんだ。

 わかった?」

「……アウルには勝てる気がしません」


 アウレリウスは満足げに笑うと、唇に短くキスを落とした。

 

「水と朝食を用意してくるね。

 大人しく待ってて」

「……はい」


 甘やかな笑みを残してアウレリウスはベッドから降りると、簡単に服を整え、部屋を出て行った。


 扉が閉まる。


 ふと、羞恥と幸福感がこみ上げてくる。

 

「アウルの方が……かわいい」

 

 セティは顔を手で覆い、小さく笑った。



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