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グレイブハル城の観測者  作者: かも ねぎ
変節 第二章『壊した未来』
154/160

変節2-1 湖へ続く道


 王都オルドンのほど近く、湖のほとりに、古い城がある。


 世界の理から、わずかに外れた場所。

 神々の沈黙が、届かぬ距離。


 城は変わらない。

 湖も、森も、静けさも。


 変わるのは、そこに立つ者の位置だけだ。


 境界は、守られるものではなく、交わされるものとなった。


 これは、世界に抗う物語ではない。

 世界の中で、誰を選ぶかを問う章である。


 ◇


 アウレリウスが鞍や鐙を手際よく取り付けるのを、セティはその後ろで、少し緊張しながら見ていた。


 今日は二人で森へミントを取りに行く。

 本格的な採集ではないため、アウレリウスは乗馬用ブーツを履いているが、二人とも白いシャツにジャケットを羽織っただけの軽装だった。


「セティ、おいで」


 セティが馬に寄り、鐙に左足をかけると、アウレリウスが後ろから背と腰を軽く支えた。


「少し後ろに乗ってね」

「はい」


 体を持ち上げて鞍に乗る。

 続いてアウレリウスも鐙に足をかけ、セティの太ももの横をすり抜けるようにして前へ乗った。


 手綱を握り、アウレリウスが振り返る。


「行こっか」

「……高いです」

「怖い?」

「……怖い」

「あはは。そっか。しっかり捕まって」


 セティが服の裾を強く掴む。

 その手に、アウレリウスは自分の手を重ねた。


「ほら、怖くないよ」


 セティの手を引き、自分の腰を抱かせる。


「ね?」

「……それでも怖いです」

「あはは」


 馬が歩き出す。

 セティはアウレリウスの肩に頬を預けた。


「……走ってもいいかな?」

「……はい」


 内門を抜けると、馬は少しずつ速度を上げる。


 風が頬を打つ。

 草原が波のように揺れ、

 空の青がどこまでも続いている。


「……きれい」

「そうだよね。僕もこの景色が大好きなんだ」


 森に入ると、馬の速度が落ちた。

 枝の隙間から光が文様のように降り、ほどけてはまた形を結ぶ。

 湿った土と葉の匂い。


 少し視界がひらけると、そこには池があった。水草が浮き、小さな生き物が波紋をいくつも作り出している。


 池をぐるりと回った先。水辺に澄んだ匂いが漂う。ミントの群生地だ。


「……ここですか?」

「そうだよ」


 馬が止まり、アウレリウスが先に降りる。

 彼はセティの斜め前に立ち、脇に手を入れた。セティが鐙に足をかけると、抱きとめ、そのまま強く引き寄せる。


「すごく楽しかった! セティは?」


 木漏れ日が青い瞳に映り、きらきらと瞬いている。


「楽しかったです。

 ……すごい、キスしたい」


 アウレリウスは一瞬きょとんと見て、柔らかく笑った。額に短いキスを落とす。


「……なんか違う」


 眉を寄せるセティを見て、アウレリウスは声を立てて笑った。


 腕を解き、何事もなかったようにショルダーバッグから試料袋を取り出した。


「ほら、ミントを集めよう」

「……はい」




 再び馬に乗り、湖へ出る。

 また抱きとめるように降ろすと、アウレリウスは湖の向こうへ腕を伸ばした。


「王都とグレイブハル城が見えるんだ」

「……本当ですね」


 霧に包まれた王都と、グレイブハル城。

 セティが感嘆の息を漏らすと、アウレリウスは小さく笑う。


 馬は草を食み、二人は水辺の草原に腰を下ろした。

 差し出された手に、セティが手を重ねる。  

 指が絡んだ。


「セティ……ありがとう」

「……何がですか?」

「いろいろ」


 アウレリウスの青い瞳が細められる。


「僕のせいで、前の二人にはもう戻れないかもって……思ってたんだ」


 セティはもう一方の手を、彼の頬に添える。


「アウル」

「ん?」

「……戻っては、いないです」


 触れるだけの短いキス。


「……僕は踏み出したつもりです」

「……そっか。そうだよね」


 セティは、淡く笑った。


「……膝が、震えます」

「あはは。初めて馬に乗ったらそうなるよね。全身筋肉痛にもなるかも」

「うわ……」


 アウレリウスは笑い、甘い水の香りを含んだ風が、二人の頬を撫でていった。


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