変節1-1 立つ場所
本作『変節』は、
『グレイブハル城の観測者たち(正編)』および『拾遺』の読了後に位置づけられる物語です。
時間軸としては、
拾遺・第九章三話と最終話のあいだに起きた出来事を描いています。
※本作には、男性同士の恋愛要素が主軸として描かれます。
苦手な方はあらかじめご注意ください。
この世界は、壊れぬように組まれている。
理は均され、
秩序は重なり、
神々は沈黙した。
世界は、ただ続く。
誰かを救うためではなく、
意味を与えるためでもなく。
それでも世界は、
均衡を引き受ける“器”を必要とした。
選ばれた血があり、
選ばれなかった命があり、
そのあいだに、
名を持たぬ役割が生まれた。
それを、人は「王」と呼ぶ。
それは支配者ではない。
祝福でもない。
ただ、世界が歪まぬために
そこに置かれる存在だ。
この物語は、
その役割から、ほんの一歩、
立つ場所をずらした者たちの記録である。
◇
王都オルドンのほど近く、
湖のほとりに、古い城がある。
世界の理から、わずかに外れた場所。
神々の沈黙が、届かぬ距離。
城は変わらない。
湖も、森も、静けさも。
◇
石造りの古城、観光名所として知られたグレイブハル城。
その玄関ホール手前に増設された受付室で、小窓からアウレリウスは空を眺めていた。小窓の下に置かれた書き物机には、羽根ペンやインク壺、羊皮紙が整然と並んでいる。
腰まである淡い金の髪は、ゆったりと編まれ、簡素な黒の革紐で束ねられていた。
その髪が、わずかに揺れる。
振り返ると、受付室のソファに腰掛けて本を読んでいた黒髪の少年――セティも、顔を上げた。緑がかった灰の瞳が、アウレリウスの青い瞳をとらえる。
アウレリウスが、ふわりと笑う。
それにつられるように、セティの口角も、わずかに上がった。
昼の柔らかな光が、部屋の静寂ごと、やんわりと包み込んでいる。
やがて、遠くから馬車の音が聞こえ、次第に近づいてきた。
「あ、お客さん来たね」
のんびりと言うと、馬車は内門をくぐり、馬車置き場へと姿を消す。
ほどなくして、小窓の前に見学者が立った。
「こんにちは。見学かな?
一人六銀だよ」
小窓を覗いた見学者は、思わず目を見開く。
金髪の青年、アウレリウスはホムンクルスだ。見た目からは分からないが、彼は『人類が到達し得る限界の、最高の美を持つ存在』として設計された。
つまり――とにかく、美しい。
「追加料金で案内もできるよ。
十銀だけど、どうしようか?」
見学者が見学料と案内料を合わせて支払うと、アウレリウスはそれを丁寧に受け取り、金庫へと収めた。
「じゃあ、先に玄関ホールへ入っていて。
すぐ迎えに行くから」
見学者が小窓の向こうへ去っていく。
アウレリウスは椅子から立ち上がり、ソファに座るセティの前へ歩み寄った。
そして、彼に向かって手を差し出す。
黒髪の少年は、見た目には十五歳ほど。
少年と青年のあわいにあるその存在もまた、アウレリウスが造ったホムンクルスだった。
整った容姿に、大きく垂れがちな瞳。
どこか甘さを帯びた相貌。
セティは立ち上がらず、そのまま差し出された手を取り、静かに手のひらへ口づけた。
「くすぐったいよ」
アウレリウスが小さく笑い、指先で、セティの頬にそっと触れる。
くすぐるように、確かめるように。
柔らかな笑みを残したまま、アウレリウスは受付室を出ていった。
その背を、セティは静かに見送る。
彼らの日常は、まだ、さほど変わっていない。
造られた存在であり、不老不死という性質を持つ彼らは、そんな大きな秘密を抱えながら――
今日も、静かにこの城で暮らしている。




