拾遺9-4 『境界を越える側』最終話
王都オルドンからほど近い、湖のほとりに建つ――グレイブハル城。
風光明媚なこの城は、歴史ある観光名所として知られていた。
美しく、
静かで、
それでいて、どこか不思議な場所として。
◇
舗装された石畳を、馬車の車輪が打つ。
開け放たれた外門を抜け、丘を登ると、灰色の石造りのグレイヴハル城が、まるで唐突に現れたかのように視界に入った。
空気が、急に澄んだ気がする。
思わず胸いっぱいに吸い込んだ。
そのまま少し進むと内門が見え、その内側にある馬車置き場に馬車を停める。
玄関扉に向かって歩き出した。
水の匂いと、花の匂い。
どこからともなく漂ってくるそれが、白い石畳に反射する淡い陽の光と混ざり合い、まるで城の奥へ導かれているようだった。
開け放たれた大きな玄関扉の手前に、「受付」と書かれたプレートのついた小窓がある。
シアターの窓口のようなその小窓を覗いた瞬間、思わず一歩引いてしまった。
「こんにちは。見学かな?」
淡い金髪の青年が、そこにいた。
襟足にかかる髪はわずかに癖があり、それがかえってアンニュイな雰囲気を際立たせている。
何より、その整いすぎた顔立ち。滅多に見ないほどの美青年だった。
見学料と案内料を支払うと、彼は自然に手を添えてくる。
その指先の美しさに、言葉を失っていると――
「アウル、またベタベタ触りすぎです」
彼の背後から、苦笑混じりの声がした。
見ると、そこにもまた一人、別の美青年がいた。
黒髪に、垂れがちな灰の瞳。ベビーフェイスの甘い顔立ち。
「え? あぁ、ごめん。驚いた?」
首を振ると、アウルと呼ばれた青年はほっとしたように笑った。
「玄関ホールに先に入っていて。
すぐ迎えに行くから」
ホールのステンドグラスを眺めていると、ほどなく二人がやってくる。
並ぶと、黒髪の青年の方が、わずかに背が高いようだった。
アウルが、自然な動作で手を差し出す。
「アウル」
「何? セティ」
「見学者さんが困ってます」
アウルはきょとんとこちらを見た。
「手を繋ぐの、嫌?」
緊張するからと断ると、「そっか」と彼は軽く笑った。
「僕も、ついて行っていいですか?」
セティがそう言うので了承すると、彼はほんの少しだけ口角を上げた。
華やかで人懐こいアウルに対して、セティは感情の起伏が控えめだ。
甘い顔立ちにこの落ち着き。――きっと、相当モテるだろう。
二人に挟まれるようにして、城内を歩く。
石床は、まるで絨毯の上のように足音を吸い、驚くほど静かだ。
調度品はすべて剥き出しなのに、「触れてはいけない」と直感的に分かる。
巨大なステンドグラスと大階段。
大ホール、正餐室、ライブラリー。
回廊の先には、かつての大貴族の生活空間――夫人の部屋や主人の部屋が並んでいた。
順路ではない場所についても、使用人棟、音楽室、スモーキングルーム、撞球室があるのだと、二人は穏やかに教えてくれる。
一通り見学を終え、玄関ホールに戻る。
記念に写真を撮ってもいいか尋ねると、二人は一瞬、顔を見合わせた。
「撮ってもいいんだけど……
うまく撮れないかもしれないよ」
不思議なことを言うアウルに首を傾げつつ、シャッターを切った。
帰ったら、友人に見せよう。
きっと自慢になる。
礼を言い、城を後にする。
グレイヴハル城――
噂以上に、素敵な場所だった。
◇
二人は並んで、見学者の背を見送った。
「……写真は、撮れたかな」
「さぁ、どうでしょう」
アウレリウスが首を傾げると、セティはそれを、愛おしそうに見つめる。
アウレリウスは髪を切り、
セティは背が伸びた。
声も、少し低くなったかもしれない。
「もう夕刻だね。内門を閉めてくる」
「ちょっと待ってください」
背後から、セティがアウレリウスをぎゅっと抱きしめた。
「あはは。ほんの少し離れるだけだよ」
「抱きしめたかったから、抱きしめただけです」
「なにそれ。まったくもう。
あぁ、首にキスするのはやめて」
「どうして?」
「くすぐったいから」
二人の笑い声が、静かな夕空に溶けていく。
柔らかな風が、同時に二人の髪を揺らした。
果てを知らない空。
甘い湖の香り。
花の香りが咲き乱れる庭園。
城の向こうには、
深く波打つ森。
雪を纏う峰々。
人の住まう、遠くの街並み。
世界は、今日も美しかった。
それはまるで、
彼らを世界が祝福しているかのようだった。
◇
湖畔に建つ、グレイヴハル城。
静かで、美しく、
どこか不思議なこの城は、
月と、輪を持つ星の影に佇んでいる。
創造神オルドが世界を組み、
太陽神ソラエがそれを見つめる、
その只中で。
アウレリウスとセティは、
この城で、今日も静かに暮らしている。
この二人が、神に祝福されたのかどうか――
それを知る者は、誰もいない。
それでも、
――世界は、続いていく。
この美しい城は、
今も世界のどこかに、
あるかもしれない。
ここまで『拾遺』をお読みいただき、ありがとうございました。
寿命を持たない二人の物語は、
この『拾遺』をもって、ひとまず完結となります。
ただし――
この世界には、まだ語られていない部分があります。
次の最終部『変節』では、
正編・拾遺では触れられなかった、
アウレリウスたち自身も知らなかった「選ばれた血」について描きます。
時間軸としては、
拾遺・第九章三話と最終話のあいだに起きた出来事です。
もし、
彼らが境界を越えたその先を
もう少しだけ見届けてくださるなら、
次の部にもお付き合いいただけると嬉しいです。




