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グレイブハル城の観測者  作者: かも ねぎ
拾遺 第八章『終わりの方法』
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拾遺8-6 壊せなかった理由


 あれから、いくつかの夜を越えた、その晩。


 私室の扉の前で、僕は呼吸を整えた。

 最後に、細く長く、息を吐き出す。


 扉を開けて、中へ入った。


 ローテーブルに置かれた燭台。

 セティが淹れてくれた、夜のための薄い紅茶。

 セティはいつものように、姿勢正しくソファに座っている。


 彼の脇に立ち、少しだけ腰を屈めた。


「セティ」

「……はい」


 セティが顔を上げる。


 その手元から本を抜き取り、テーブルに置いた。

 そして、膝裏に片腕を通し、もう片腕で背を支えて横抱きにする。


「……アウル?」


 驚いた声。

 それでも抵抗はしない。


 そのまま彼をベッドに運んだ。

 僕もベッドに乗り、混乱した様子で座り込んだセティの顔をのぞき込む。


「セティ。君は僕のことが好きだよね」

「……え、はい」


 ずるい質問だ。

 その答えが返ってくることを、僕は知っている。


「セティは、僕とひとつになりたいと思っているんだよね?」


 セティの頬が、ぱっと赤く染まる。


 ここまで燭台の光は届かない。

 月光だけが、二人の頬を淡く照らしている。


「僕は……ホムンクルスの恒常性を弱める方法を、ずっと研究してきた」


 セティの視線が、揺れる。


「最初に構築された構成を乱すこと。

 ……そうすれば均衡が崩れ、強すぎる恒常性が失われることが分かった」


 僕は、視線をわずかに下げる。

 セティが、息を呑む。


「つまり、他者の体の一部を取り入れればいい。

 でも、口からの摂取や、血管への注入ではだめだった。

 ――一例も成功しなかった」


 この城は音を生まない。

 今、部屋に落ちているのは、僕の声だけだ。


「外科的に内臓を取り込めば、恒常性は並に落ちる。

 老化し、……寿命で死ぬ個体は得られた」


 セティは、ただ静かに聞いている。


「でも成功率は極めて低い。

 ……現実的じゃない」


 視線を落とした。


「もう一つ、最初は偶然だったけど……

 寿命で死ぬ個体がいたんだ」


 セティの手を取る。

 不安だからか。

 逃さないためか。


「その後も実験を繰り返して、再現性は取れた。

 身体の均衡を崩す方法で、最も安全で、最も成功率が高い方法。

 ――一つだけ、見つけたんだ……」


 自分の夜着に触れる。

 今日は、ほとんどボタンを留めていない。


「それは?」


 口を開けかけ、だがそれは言葉にならずに、俯いた。

 一度瞳を伏せ、息を呑む。


 ゆっくりと息を吸った。


 握っていた手に、わずかに力がこもる。


「……身体を、つなげること」


「え……」


 セティの目が見開かれる。


「……セティ、僕を壊して」


 彼の手を、自分の胸へ当てた。


「セティ。……君だけは僕に触れていいんだ。

 君だけが僕を壊せる。

 僕も、君が望むなら、君を壊すよ。

 僕をあげる」


 セティは、言葉を失っていた。


 僕は膝で立ち、彼の頬を両手で包んだ。

 唇に、そっとキスを落とす。

 僕の長い髪が垂れ、月光を遮った。

 セティの瞳に、熱と戸惑いが灯る。


 そのまま、首筋に唇を滑らせた。


「……アウル!」


 澄んだモスグレーの瞳を、まっすぐ見つめる。


「セティ、僕が欲しいんだよね?」


 君の気持ちを利用する僕は、最低だよね。

 大切で、愛しい君の想いを踏みにじる僕は、

 本当に――穢らわしいよね。


「ほ……本当に?」


 しっかり留められていたセティの夜着のボタンを、一つだけ外す。


「僕が欲しいなら、君の思うように……僕に触れたらいいんだ」


 指先で、セティの首筋をなぞる。

 僕の声も、指先も、どうしようもなく震えていた。


 セティが顔を寄せ、僕にキスを返す。

 震える手で僕を押し、体を重ねてくる。


 ――それで、いいんだ。

 ――それで、僕の願いも、君の想いも、果たされる。


 セティの手が、僕に触れる。

 その手が、ひどく冷たい。


 唇が、耳から首筋へと触れ、甘く歯が立つ。


 声が、こぼれた。


 ――怖い。


 壊れるのも。

 死ぬのも。

 セティの気持ちを利用して、こんなことをさせている自分も。


 何もかもが、怖い。


 セティ、ごめんね。

 僕は、ひどいよね。


「アウル……」


 気づくと、目を強く閉じていた。

 開いた瞬間、涙が頬を伝っていく。


 セティの顔が、歪んだ。


「僕はアウルが欲しい。ずっと……ずっと、こうやって触れたかった」

「セティ……」


 泣かせてしまう。

 お願い、泣かないで。


「でも、一番欲しいのは身体じゃない。

 ……笑っていて欲しいんです。

 アウルが心を壊してしまうくらいなら、僕はアウルには二度と触れない」


 セティの瞳から落ちた涙が、僕の頬に触れた。


「だから、アウルを僕は壊せません。

 酷いこと言わないで……

 お願いだから……」


 腕を伸ばし、セティの頭を抱き寄せる。


「セティ……。

 ごめん。ごめんね。

 僕が……僕が、利己的で最低だった……」


 喉が詰まる。


「泣かないで、セティ……。

 大好きだよ。愛してるよ」


 彼が、大好きだ。

 大好きだからこそ、どうすればいいのか分からない。


 月光だけが、そこにあった。

 けれどそれは、何も答えてはくれない。


 セティの嗚咽が、静かな部屋に落ちていた。



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