拾遺8-3 気づかないふりの限界
厩から受付室に戻ると、セティはソファに座って本を読んでいた。
その隣に腰を下ろす。
私室のソファと違い、ここのソファは小ぶりで、きちんと座らないと足が触れてしまう。
セティは姿勢正しく足を閉じて座るけれど、僕は足を組んだり、体を彼の方へ向けたりするから、なおさら距離は近い。
あれから、幾日も、幾度も、彼の心拍数を測ってきた。
セティは、抱きしめたときも、口に触れたときも、いつも脈が上がっている。
――やっぱり、そうなんだろうな。
本を持つその手に、そっと触れた。
温かい手。
セティがこちらを見る。
大きな、垂れがちな瞳。
相変わらず甘く、かわいい顔をしている。
けれど、緑がかった灰の瞳は、賢くて誠実な性格をそのまま映している。
――あぁ、抱きしめたいな。
気持ちに気づいていて、その気持ちに向き合えないのなら、触れてはいけないんじゃないか。
でも……
でも、僕だって、“恋”ではなかったとしても、セティを大切に思う気持ちはある。
それは決して偽物じゃない。
方向が違うだけで、セティを大好きなことに変わりはないはずだ。
腕を伸ばし、セティを抱き寄せる。
触れ合うだけの、短い抱擁。
――そうやって、自分に言い聞かせているだけだ。
僕だって、分かってる。
夜。
ソファにだらしなく腰掛けていると、後からセティがやってきた。
ちらりと僕を見て、隣に座る。
今日は、ちゃんとボタンを留めたはずだ。
夜着を見下ろす。
今のは、ただ“だらしないな”と思われただけだろうか。
――恋をするって、どんな感じなんだろう。
セティが読んでいた恋愛小説では、こう書かれていた。
“触れたいと知ってしまうことを、恐れていた”。
セティが僕に触れなくなったのは、そういうことなのか。
でも、どうして?
僕たちは主従でも何でもないのに。
――僕が、困ると思ったから?
セティの方を向いて、あぐらをかく。
彼は視線を本に落としたまま。
ローテーブルには紅茶と燭台だけ。
ファッジも、チョコレートもない。
手を伸ばし、彼の遠い側の頬に触れた。
やっと、こちらを向く。
不思議そうな目。
親指で、セティの唇をなぞる。
驚いて、少しだけ口が開く。
その親指を、自分の唇に当てた。
セティの瞳に、熱が宿る。
――今、君はどう感じた?
――僕に、キスしたいと思った?
集めてしまったデータは、はっきりと告げている。
君の気持ちが、僕とは違うということを。
君がそれを言葉にしないのは、
視線を隠すのは、
僕のため?
それとも、君自身のため?
僕はまだ、君の気持ちに気づかないふりを、続けられるだろうか。




