拾遺7-3 穏やかな一日
次の日は、開城日だった。
アウレリウスはいつも通り、小窓の前で空を眺めていた。
ほどけた綿のような雲が、風に押されて流れていく。
小鳥が二羽、並んで青を横切った。
視線を手元に落とし、羽根ペンを取る。
ペンナイフで先を削り、インク壺に浸す。
しばらくは文字を綴っていたが、ふと気がそれて、また空を見上げた。
扉の開く音。
セティがソファに腰掛ける気配がする。
アウレリウスは振り返り、セティを見ると、自然と席を立って隣に座った。
特に何をするでもなく、ただ、本を読んでいるセティの横顔を眺める。
瞬きひとつ。
黒いまつげが、一瞬だけ伏せられる。
それを、ただ見ている。
セティがちらりとこちらを見た。
アウレリウスが微笑むと、セティは本を閉じる。
「……今日は、やる気が出ないんですか?」
「……うん」
「厩に馬でも見に行ったらどうですか?」
アウレリウスは少し首を傾げた。
「そうだね。セティ、ちょっと席を離れるね」
「はい」
立ち上がり、セティの前に立つと、額に短くキスを落とす。
受付室を出て、アウレリウスは厩とは反対の方向へ歩き出した。
玄関ホールの大階段下の扉をくぐり、使用人棟へ続く回廊を渡る。
階段を下り、地下へ。
実験室へと続く道だった。
昼間の地下廊下には、わずかに陽が差し込んでいる。
鍵を開け、扉を後ろ手に閉めると、まっすぐ作業台へ向かった。
錬金術の陣を施した燭台に火を灯し、キャビネットから文具を取り出す。
ケージを一つずつ開け、ネズミを観察し、記録を取る。
それが終わると、ケージを丁寧に掃除し、水と干し草を替える。
世話と記録だけを済ませ、アウレリウスは再び受付室へ戻った。
小窓の前で、のんびり空を眺めていると、馬蹄の音が響く。
見学者だ。
やがて、小窓の向こうに人影が現れる。
「こんにちは。見学かな?
一人六銀だよ」
いつも通り、見学者は少し驚いた表情を見せたが、丁寧に銀貨を差し出してきた。
それを受け取る。
「追加料金で案内もできるよ。十銀だけど、どうする?」
「お願いしてもいいかい?」
「もちろん」
十銀を金庫に収め、ゆったりと立ち上がる。
「セティ、案内に行ってくるね」
「はい」
穏やかな案内だった。
見学者二人の歩調に合わせ、会話を交わしながら城を巡る。
玄関ホールの大階段。
大ホール。
正餐室。
ライブラリー。
最後は、夕陽の美しい夫人の部屋。
玄関まで戻り、見学者を見送る。
馬車が丘を登り切るまで、手を振った。
空を見上げる。
陽はほとんど傾き、空は群青に染まり始めていた。
星が、ひとつ、またひとつ瞬き出す。
「セティ、門を閉めてくるね」
「はい」
内門へ向かい、黒鉄の門に錠をかける。
冷えた風が頬を撫でた。
「明日も晴れかな」
受付室へ戻ると、燭台を持ったセティが待っていた。
夜半。
アウレリウスは、また実験室へ向かった。
観察と世話を、淡々と繰り返す。
「明日は、時間が取れるかな」
そのつぶやきは、燭台の炎に溶けて消える。
作業を終え、部屋に戻る。
ベッドの脇に立ち、眠るセティの顔を見下ろす。
少しだけ口角を上げ、シーツをそっと掛け直した。
そして、自分もベッドに入る。
柔らかな月光だけが、静かに部屋を満たしていた。




