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グレイブハル城の観測者  作者: かも ねぎ
拾遺 第六章『名を持たない感情』
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拾遺6-2 境界侵犯の定義


 書斎の机の上で本を開く。

 けれど、目が滑る。


 最近、こういうことが増えた。


 セティに手を差し出すのは、いつも僕から。

 抱きしめるのも、キスをするのも、僕から。


 セティは、それを受け入れるだけだ。


 僕が落ち込んでいるときには、セティから抱きしめてくれる。

 けれどそれは、そんな特別なときだけ。


 ――首筋に、指先で触れる。


 ……じゃあ、あれは、どうして?


 僕がうたた寝をしていた時、セティが僕の首筋にキスをしたことがある。


 何も読めていないページを、一枚めくる。


 どうして、そんな場所に、セティから?


 解剖図のページ。

 臓器の絵がいくつも並ぶ。


 首には頸動脈。

 脇の下には腋窩動脈。

 足の付け根には大腿動脈。


 大きな血管は切断されれば大量出血を起こす。

 つまり、死に直結しやすい“弱点”だ。


 人体は、軟弱だ。


 重要な臓器は頭蓋や肋骨で守られている。

 脊髄も脊椎に覆われている。


 けれど、柔軟性を得るために選ばれたこの構造は、皮膚をあまりにも柔らかくしてしまった。


 穴という穴も、異物の侵入経路になる。

 粘膜は防御機構だが、それは細菌などを想定した守りだ。

 体内の均衡が崩れれば、容易に突破される。


 体を創るというのは、機能と防衛の均衡が難しいのだろう。


 たとえば、口から喉へ刃物を突き刺したら。

 柔らかな喉を貫き、刃は容易に脊椎へ、そして脊髄へと到達する。


 耳、鼻、目も、脳にあまりにも近い。


 それでも、この構造が選ばれた。


 本を閉じる。


 生物は、脆い。

 全身を外骨格で覆う昆虫ですら、簡単に死ぬ。


 再び、首筋に触れた。


 首筋に触れられて“くすぐったい”と感じるのは、防衛本能だ。

 そこを、あまり“触れられたい”と思えないようにするための。


 セティは、その首筋にキスをした。


 つまり、セティは、僕の“境界”を越えた。


 ――なぜだろう。


 普段は、セティからは触れてこないのに。

 よりにもよって、そこを?


 他者の境界を犯す行為の根源は、“支配欲求”だ。


 他者より優位でありたい。

 他者を手中に収めたい。


 自然科学の学術書を開く。

 生物の繁栄。

 繁殖。


 ……セティは、僕が欲しいのかな。


 つまり。


 ――セティは、僕に、恋愛感情に近いものを抱いているのではないか?


 ずっと、一緒にいたから?

 ずっと、一緒にいたせいで?


 ――なぜ?

 ――どうして?


 本を閉じる。


 窓の向こう。

 四角く切り取られた青が、やけに眩しい。


「……セティ」


 君は、何を思っているの?



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