拾遺5-5 誰のものでもない
セティが玄関ホールまで戻ると、アウレリウスは玄関扉の向こうで、見学者を乗せた馬車を見送っていた。
その背が、いつもより少し小さく見える。
アウレリウスが振り返る。
セティに気づくと、彼は少し情けない笑みを浮かべた。
「……セティ、聞いてた?」
セティは小さく首を傾げる。
「愛人になれ、だって」
「……聞いていました」
アウレリウスはセティの手を取ると、並んで受付室へ入った。
ソファに腰を下ろし、彼は自然な仕草でセティの指に絡め、その手を自分の膝に置く。
霧の日の夕刻。
部屋はぼんやりと薄暗く、静けさが、慰めるように横たわっていた。
「この国の宗教では男色はタブーなのに、どうして時々、ああいうことを言う人がいるんだろう」
「……それは、アウルがきれいだからです」
「不信心が一番、罪深いって聞いたよ?」
「それでも、です」
アウレリウスは小さく唇を噛む。
人の気持ちが分からず、戸惑っているときの癖だ。
「セティは?
そういうこと、言われる?」
セティもまた、造られた顔貌を持つ。
だが、下心を抱いた人間ほど、彼を避ける。
「僕は、娘の婚約者にって、よく声をかけられます」
アウレリウスは、納得したように頷いた。
「そうなんだ。
僕くらいの見た目だと、もう婚約者がいるか、結婚している年齢だからね。
だから……婚約者候補じゃなくて、愛人候補になるのかな」
小さく息を吐く。
憂鬱そうな横顔には、無自覚な艶が帯びていた。
部屋は、時間とともにゆっくりと暗さを増していく。
「やっぱりアウルも、“愛人になれ”って言われるのは嫌ですか?」
アウレリウスは眉を寄せ、セティを見た。
「嫌だよ」
柔和な彼が、はっきりと言い切る。
「僕は誰の物でもない。
まるで物みたいに扱われるのは……さすがに、嫌なんだ」
握られた手に、わずかに力がこもる。
「“芸術品みたいにきれい”って言われるのも、好きじゃない。
……僕は、生きてるんだから」
アウレリウスは人が好きだ。
善意を疑わず、人を信じてきた。
けれど――
終わりのない命と向き合ってきた彼だからこそ、
“人であること”に、強い誇りを持っている。
人を理解できなかったとき。
そして、“人としての矜持”を踏みにじられたとき。
彼は、深く傷つく。
「時々……物みたいに、僕に触れる人もいる」
青い瞳が伏せられる。
「……さすがに、嫌だなって思うんだ」
アウレリウスは燭台に手を伸ばしかけた。
だが、セティが先に腕を伸ばし、彼を抱きしめる。
驚いたように目を瞬かせたあと、火の入っていない燭台を抱えるようにして、アウレリウスはそのまま身を預けた。
――守るべき“境界”は、身体だけじゃない。
――彼の心の境界こそ、何よりも先に守りたい。
小さなため息が、静かな部屋に落ちる。
この夜が、少しでも彼を慰めてくれますように。




