拾遺5-2 境界の縁
それはまだ、セティが生まれる前。
アウレリウスは、いつも一人で見学者を迎えていた。
晴れの多いグレイブハル城だが、その日は霧が出ていた。
まだ受付室もない時代。
人の気配を感じ、アウレリウスは玄関ホールへ降りていく。
そこには一人の紳士が立っていた。
男はアウレリウスを見るなり、目を見張る。
「こんにちは。見学かな?」
声をかけると、その声にも驚いたようだった。
「……男なのか」
アウレリウスはきちんと男性的な服装をしている。だが顔貌と柔和な雰囲気のせいか、こうして性別を確かめられることは珍しくなかった。
アウレリウスが近づくと、男は手を伸ばし、彼の襟に触れた。布を少しずらし、親指で喉仏をなぞる。
「ふぅん」
アウレリウスは眉をひそめ、その手首を取った。
「やめてくれる?」
男は口を歪めて笑う。
「いや、失敬した」
そう言いながら、今度は腰に腕を回し、歩き出そうとした。
「あぁ、いかん。見学料と案内料だったな」
男は懐から財布を取り出し、銀貨を適当に掴むと、アウレリウスのコートの内ポケットへ無理やり押し込んだ。服の上からその位置をポンポンと叩く。
「……君は……」
「なんだ? 褒め言葉なら受け取ってやる」
アウレリウスは視線を伏せる。
「……行こうか。
僕にはあまり触らないで」
先に歩き出すと、男は肩に腕を回してついてきた。
順路を進むあいだも、肩、腰、手に頻繁に触れてくる。無遠慮な触り方に、さすがのアウレリウスも辟易としていた。
二人は“主人の部屋”へ辿り着く。
男はエドマンドの部屋には入りたがらなかった。
「……気味が悪い部屋だな」
「……そうかな?」
彼以外にもこの部屋を避ける者は多い。侯爵という重い立場の男の部屋。重厚な調度の一つ一つが威圧するのだ。
男はアウレリウスの腰を押し、さっさと次の部屋へ向かった。
“夫人の部屋”は陽がよく入り、落ち着いた壁紙の中にも華やかさがある。
「この部屋はいいな」
「……それは良かった」
アウレリウスはバルコニーの扉を開けた。外気に触れ、ようやく息がつける気がする。黒鉄の柵に手を置いた。
次の瞬間、背後から抱きつかれた。
「え……何?」
腕を解こうとするが、男の力は強い。体を密着させ、服越しに身体を弄る。
不快さに、アウレリウスは思わず目を強く閉じた。
そのとき――
金属を強く打つような音。
二人はびくりと肩を震わせる。
一瞬だけ力が緩むが、逃れきれない。
そして。
――雨。
バケツをひっくり返したような豪雨が、突然降り注いだ。
「うわ! なんだこれは!」
男はアウレリウスを離し、自分だけ室内へ戻る。
「なんだこの雨は!
……興がそれた。俺は帰る!」
足音を荒く鳴らし、去っていった。
アウレリウスは黙ってその背を見送る。
雨に打たれながら、その場に膝をついた。
金の髪が肌に貼りつく。
ポケットの中の銀貨がかすかに鳴る。
雨が霞を作っていた。
柵にもたれるように息を吐く。
触れられた肩や胸元を、雨が濡らしていく。
まるで、穢れを洗い流すかのように。




