拾遺3-6 答えを持つ者
王都オルドンの西区。
高級店が立ち並ぶ一角。
アウレリウスはポケットからメモを取り出し、立ち止まった。
(住所は……この辺りのはずなんだけどな)
相変わらず王都は霧に包まれている。
並木道のリンデンは、遠くへ行くほど輪郭を失い、幻想の中に溶けていた。
馬車がすれ違う音。
どこかの店の扉が開く気配。
霧の、わずかに苦い匂い。
手にしていた杖が、こつりと揺らされる。
足元を見ると、黒猫がアウレリウスの足に頬をすり寄せていた。
彼は屈んで猫を抱き上げる。
白檀に似た、かすかな香りが立ち上がった。
「……案内してくれるの?」
猫は一度だけ鳴くと、腕の中からするりと抜け、霧の中を歩き出す。
アウレリウスはその背を追った。
路地をいくつか曲がり、しばらく歩くと、白っぽい一軒家が現れる。
板に焼き刻まれた看板。
――『緑の継ぎ目亭』
「あった……ここだ」
アウレリウスは屈み、もう一度猫を撫でた。
「ありがとう。君のおかげだ」
猫は胸元へ飛びつき、彼は笑いながらそれを受け止める。
「……一緒に行く?
モルの猫っぽいけど、勝手に連れて行って大丈夫かな」
猫を抱いたまま、扉のノッカーを叩く。
少し待って、軋む音と共に扉を開けた。
「……ごめんください。モル、いますか?」
中へ入り、扉を閉める。
帽子を取り、杖と一緒に手に持ったまま、ゆっくりと顔を上げた。
深緑の布壁。
深い色味の腰壁。
廊下は薄暗く、木の匂いにベルガモットの香りが混じっている。
奥の扉が、音もなく開いた。
幾重にもレースを重ねたような黒のドレス。
モルガナが、そこに立っていた。
「いらっしゃい、アウレリウス」
「こんにちは、モル」
彼女の視線が猫に向くと、わずかに眉が寄る。
「ウンブラ……。
私以外の人に抱かれるなんて……破廉恥だわ」
ウンブラと呼ばれた猫は抗議するように鳴き、アウレリウスの腕を抜けて奥へ消えていった。
「ここまで案内してくれたんだ」
「……紅茶が入っているわ。どうぞ」
モルガナが先に歩き、アウレリウスは慌てて後を追った。
二人はテーブルを挟んで向かい合う。
しばらくは他愛もない話。
モルガナが紅茶を一口含む。
「きっと私は、あなたが想像している通りの人間よ。七割くらいはね」
カップを置き、彼女は続ける。
「残りの三割は、今のあなたには分からない。
肝心なところをあなたは知らないみたいだから」
どこかで、時計の針が刻む音。
「聞きたいことがあるなら、聞いていいわ。
はい、どうぞ」
アウレリウスは小さく息を吐き、苦く笑った。
「……僕の願いは、叶うと思う?」
「見えないわ」
即答だった。
「大きな力で隠されている。
でもあなた、自分でその方法に気づいているでしょう?」
飾りの水晶や天球儀が鈍く光を返す。
モルガナの瞳に、星のような光が落ちていた。
「……怖いのね。
かわいそうなくらい、震えているわ」 「え?」
モルガナは立ち上がり、アウレリウスの背後に回る。
編まれた髪を手に取り、指でなぞった。
「霧に濡れている。
でも、グレイブハル城のほうが、もっと霧が深いわ」
「……今日は、あっちは晴れていたよ」
「ええ。でしょうね」
彼女は壁にかけていた帽子を取り、静かに告げた。
「少し、散歩しましょう」
霧の西区を、並んで歩く。
アウレリウスが手を差し出すが、モルガナは取らない。
「あなたには、何が見える?」
「石畳と、リンデン」
モルガナは微笑んだ。
「素直ね。
私にはいろいろ見える。でも、はっきりしたものは何もない。
私の世界は、いつもぼやけているわ」
霧の向こう、道の先は淡い光だけを返している。
「私の祖先はね、森の奥に住む薬草に詳しいおばあちゃんだったの」
「“魔女の末裔”の話だね」
アウレリウスが微笑むと、モルガナも微笑み返す。
「信じてくれなくてもいいわ」
一拍置いて、彼女は手を差し出した。
アウレリウスは、その手を取る。
「……違うわ。
本当は、あなたには信じてほしい」
指に、わずかに力がこもる。
「セティちゃんにもね。
あとの人は、どうでもいい」
モルガナの手に少しだけ力がこもる。
「また、アップルパイを持って行くわね」
アウレリウスも、手を握る力を少しだけこめる。
「……茶葉を買い足しておくよ」
「えぇ。いつものやつね」
「……うん」
モルガナが笑うと、アウレリウスもつられるようにして少しだけ笑った。
霧の街オルドン。
アウレリウスの金の髪に雫がつく。
それは静かに沈み、ほどけていった。




