拾遺3-3 名を告げる者、名を問われぬ城
雲ひとつない、天気のいい日だった。
グレイブハル城を訪れるほとんどの見学者は、内門の内側にある馬車置き場まで、馬車でやって来る。
けれど、その女性は違った。
歩いて、内門をくぐってきたのだ。
それを見つけたセティは、わずかに目を見開き、慌てて彼女に駆け寄る。
「こんにちは。よろしければ、こちらへ……お荷物を」
女性は小さく笑い、差し出された手に任せた。
アウレリウスは受付室から、その様子を眺めていた。
――不思議な人だな。
ただ、それだけを思った。
受付室の前に、彼女が立つ。
「こんにちは。見学かな?」
「えぇ、そうよ。私ね、“魔女の末裔”なの。だから、この“不思議”なお城に興味があって」
黒い瞳が、まっすぐにアウレリウスを見る。
宇宙を溶かし込んだような、不思議な色。
「案内は要らないわ。
何となく分かるもの。
……でも、貴方とお話がしたいの。話し相手になってくださる?」
「……じゃあ、案内料は五銀でいいよ」
「それでも取るのね。素晴らしい経済観念だわ」
アウレリウスは、眉を下げる。
「…………」
「あら、ごめんなさい。
嫌味じゃないのよ。褒めてるの。お金って大事だもの」
「……そっか。ありがとう」
女性は銀貨を一枚ずつ、丁寧に小窓の縁に並べた。
アウレリウスが銀貨を受け取って受付室から出てくると、彼女はセティに預けていた荷物を受け取る。
「ありがとう、紳士さん。
大した荷物は入っていないの。
でも、嬉しかったわ」
セティが小さく頭を下げる。
アウレリウスと女性は、並んで歩き出した。
大ホール、正餐室、ライブラリー、回廊……。
話し相手が欲しいと言う割には、彼女は黙って城内を眺めていた。
だが、主人の部屋に入ったとき。
それまで落ち着いていた彼女の気配が、わずかに跳ねた。
「この方も……そうなのね」
「え?」
彼女は、にっこりと笑った。
見た目の年齢は、アウレリウスより上に見えていた。
けれど今の彼女は、どこか幼い。
弧を描く真っ赤な唇は、艶やかというより、血色の良い子どものそれのようだった。
「あなたほど長くは生きていないけれど、
――お仲間に会えたのは、初めてよ。
少し、浮かれているみたい」
アウレリウスの表情が、わずかにこわばる。
――“長く生きている”……?
彼女は、何を知っているんだろう。
「……あなたが?」
「そう見えない?」
アウレリウスは、柔らかく微笑んだ。
――掴みどころのない女性だ。
「あなた、お名前は?」
「アウレリウス。君は?」
「モルガナ・エウラリア・ノクティルカ・ヴェルデグリス。
“モル”でいいわ」
彼女は楽しそうに、小さく笑った。
「アウレリウス……。
ふふ、ぴったりなお名前ね」
「……僕に似合ってるってことでいいのかな?」
「あなたの“肩書き”に、よ」
「……城主ってこと?」
モルガナはきょとんと、アウレリウスの瞳を見つめる。
そしてまた、ふわりと笑った。
「また来るわね。
今度はお茶をしましょう。おやつを持ってくるわ」
「……え?」
その後、モルガナは夫人の部屋を時間をかけて眺め、戻り際の回廊も、ゆっくりと歩いた。
そして、また歩いて内門を越え、帰っていった。
「よく分からない人だった」
彼女の背を見送りながら、アウレリウスがつぶやくと、セティは、ほんの少しだけ口角を上げた。
「僕は、ちょっと彼女が好きな気がします」
「……え」
アウレリウスが驚いている間に、セティは気にした様子もなく、受付室へ戻っていく。
見上げた橙の夕空には、相変わらず雲ひとつない。
月だけが、静かに浮かんでいた。




