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グレイブハル城の観測者  作者: かも ねぎ
拾遺 第二章『知られなかったものたち』
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拾遺2-8 『知られなかったものたち』最終話


 その夜、寝支度を整えたアウレリウスとセティは、いつものように私室のソファに並んで座っていた。


 だが、アウレリウスはセティとは反対側の肘掛けに身を預けるようにしていた。


 燭台の炎が、壁に揺れる影を落とす。


 アウレリウスはぼんやりと、自分の手元を見つめていた。


 この部屋は、もともとは――『嫡男の部屋』だった。


 ――どうして、エドマンドはこの部屋を僕に与えたんだろう。

 ――夫人の部屋は、あれほど当時のまま残してあるのに。


 アウレリウスが生まれてすぐの頃、この部屋には、最低限の家具しかなかった。

 ベッドと、書き物机と、書棚だけ。

 まるで、彼が来る前から整理されていたかのように。


 ――僕は、エドマンドを愛していた。

 ――それなのに、彼の過去に興味を持たなかったのは、なぜだろう。


 ふと、視界に影が落ちる。


 顔を上げると、セティが立っていた。


 彼はアウレリウスの背にそっと手を添え、そのまま隣に腰を下ろす。


「……アウル」


 アウレリウスは、わずかに口元を歪めた。


「……ヘンリーは、エドマンドのことをよく調べていたよ。

 城の説明として、僕自身も知っている話ばかりだったけど……」


 言葉を選ぶように、一拍置く。


「人の口から改めて聞くと――

 僕、エドマンドのことを、ほとんど知らなかったんじゃないかって……思ってしまって」


 声が、わずかに震えた。


 ――あんなに一緒にいたのに。

 ――あんなに、大切にしてくれたのに。


「……僕は、なんて薄情なんだろう」


 その言葉を遮るように、セティが腕を伸ばし、アウレリウスを静かに抱き寄せた。


「アウル……」


 しばらくして、セティが静かに言う。


「……僕が、エドマンド・ヴァレイン侯爵のことを聞いても、いいですか?」

「……え?」


 腕の中で、アウレリウスが顔を上げる。


「ヴァレイン侯爵について、僕は、アウルから

 “この城の持ち主だった”とだけ聞いていました。

 でも……彼は、アウルの創造主なんですよね?」


「……僕、話していなかった?」


 セティは小さく頷いた。

 ほとんど無表情だが、その瞳は穏やかだった。


「アウルが、苦しんで、悩んで……それでも僕を造ってくれたことは知っています」


 静かな声が、続く。


「僕が生まれた時、アウルは一人でした。

 だから、ヴァレイン侯爵を失ったことは、アウルにとって、とても大きな出来事だったんじゃないかと……

 僕は、そう思っていました」


 ほんの一瞬、視線を伏せる。


「……だから、ずっと聞けなかったんです」

「そっか……」


 アウレリウスは、ゆっくりと息を吐いた。


「……話してなかったんだね」


 彼はセティから少し身を離し、両手をそっと取る。


「セティ。

 聞いてくれる?」

「……はい」


「ずっと、ずっと昔のことだよ。

 王都にはまだガス灯の街灯もなくて、汽車も走っていなかった」


 アウレリウスは、遠くを見るように続けた。


「――そんな、はるか昔。

 エドマンド・ヴァレイン侯爵は、僕を造ったんだ。

 彼は、僕のことを……とても大切にしてくれた」


 セティは、静かに頷く。


「いつも近くにいてくれて、たくさん言葉をくれた。

 いろんなことを、教えてくれたんだ」


 青い瞳から、涙が一筋、こぼれ落ちる。


「“夫人の部屋”があることも、

 今、僕たちが使っているこの部屋が“嫡男の部屋”だったことも、

 僕は知っていた」


 けれど、と言葉を区切る。


「エドマンドから、夫人や息子の話を聞いたことは一度もない。

 尋ねたこともなければ、

 疑問に思ったことさえ……なかったんだ」


 セティは手を伸ばし、アウレリウスの涙をそっと拭った。


「ひどいよね……。

 僕は……あんなに大切にしてくれたのに。

 僕は、彼を愛していたはずなのに……」


「アウルは、どうして僕に侯爵のことを話さなかったのか、わかりますか?」


 濡れた青が、灰色を見る。


「……わからない。

 でも、僕にはセティがいるから……」


 セティは、少し考えるようにしてから、静かに言った。


「侯爵も、きっと同じだったんだと思います」


 アウレリウスは、わずかに目を見開く。


「侯爵は、夫人や嫡男のことを、ちゃんと愛していたと思います。

 あの部屋を見れば、なんとなくわかります」


 セティは続ける。


「でも、ヴァレイン侯爵には、アウルがいた。

 夫人たちのことは、侯爵だけの思い出です」


 だから、と。


「わざわざ話さなかった。

 アウルに向き合って、

 アウルを大切にしていたから」


 ほろほろとこぼれる涙が、

 頬に添えられたセティの手を濡らしていく。


「アウルにとってのヴァレイン侯爵も、そうでしょう?」


 静かな声。


「アウルは侯爵を、ちゃんと大切に思っている。

 そして、僕のことも……大切に思ってくれていますよね」


 少しだけ、強く抱き寄せる。


「――僕は、アウルを薄情だなんて、思いません」


「……そうかな」

「そうです」


 セティは、泣いているアウレリウスを、そっと抱きしめた。


 ――セティよりも、ずっと長く生きているこの人は、

 ――セティよりも、ずっと甘えん坊だ。


 長く生きている分、

 背負ってきたものが、大きいのかもしれない。


 ふと、人の気配を感じて、アウレリウスを抱いたまま、セティは振り返る。


 ――もちろん、誰もいない。


 壁に落ちた蝋燭の橙の光が、ゆらりと揺れているだけだった。


 それでも、その揺らぎはどこか温かな気配のように、セティには感じられた。


 ――侯爵かな。

 ――……いや、まさかね。


 セティは、アウレリウスの髪を、そっと撫でる。


 窓の向こうには、三日月が静かに浮かんでいた。


 ◇


 湖畔に建つ、グレイヴハル城。


 静かで、美しく、

 どこか不思議なこの城は、

 月と、輪を持つ星の影に佇んでいる。


 創造神オルドが世界を組み、

 太陽神ソラエがそれを見つめる、

 その只中で。


 息を潜め、

 語られぬ秘密を抱いたまま。


 ホムンクルスである二人は、

 この城で、今日も静かに暮らしている。


 誰に知られずとも、

 それでも――世界は、続いていく。



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