拾遺2-7 写らなかったもの
ヘンリーは意気揚々と新聞社に戻ってきた。
社内では、何人かの同僚たちがタイプライターに向かい、黙々と仕事をしている。
珈琲と煙草の匂い。
タイピングの音。
時折、欠伸の声が混じる。
ヘンリーは足を止めることなく、暗室へ籠った。
真っ暗な部屋。頼れるのは、ほんのりと灯る赤ランプだけだ。
鞄からそっと乾板を取り出して現像液に浸す。
口元が歪むのが抑えられない。
格式が高いグレイブハル城。
下位貴族や裕福な庶民の間で人気の観光地だ。
入城料や案内料は、地方の城館にくらべて高額だ。それでも、その価格を“高い”と漏らす人間はいない。
“不思議”で美しい城と名高いが、それは口づてに伝えられるのみで、文字として残されているものはほぼ見当たらない城でもある。
――そんな城の、美しすぎる青年たちの写真が撮れたのだ。
そう信じて疑わなかった。
「見出しを考えないと。
あぁ、ワクワクする」
嬉しくないわけがない。
誰もが彼らに夢中になるはずだ。
ヘンリーは現像液の中のガラス乾板を見つめる。
「……おや?」
乾板には光の痕跡がうっすら浮かぶだけで、しっかりとした像ができない。
「……露光失敗か?」
その乾板を停止液、定着液と移し、最後に水洗して乾燥させる。
――何も写っていない。
「……残念。はい、次」
◇
「嘘だろ……?」
グレイブハル城では、写真は何枚か撮っていた。
しかし、撮れていたのは外観だけ。
並べられた乾板は、どれもこれも光がぼんやりと写っているだけだ。
――ピントは合っていた。
――光量も足りていた。
――シャッターも確かに切った。
同じ乾板に同じ薬品を使っている。
単純な“現像ミス”では説明がつかない。
青年たちと、城内の写真が一枚も撮れなかった。
――いや、写らなかった?
――まるで最初から存在しなかったように。
ヘンリーは作業台に手をついて項垂れた。
「そんな……。まさか……。
そんなことってある?」
首を振る。
「とにかく文字には起こそう。
あの城の記録を残すだけでも価値があるはずだ」
暗室を出たヘンリーは、自分の机に戻った。昨夜調べに調べたエドマンド・ヴァレインの資料を脇に押しやって、タイプライターを引き寄せる。
『王都近く、湖畔に佇む風光明媚な城、グレイブハル城。
そこには――』
手が止まる。
外門をくぐった先、丘を登ると突然現れる城。
光を湛えた湖。
花がないのに甘い香りのするグリーンガーデン。
美しい黒髪の少年。
音のしない石床。
ステンドグラスの淡い光を浴びる大階段……。
光を纏うような、美しい青年。
見たはずの光景。
しかし、思い出そうとすればするほど、記憶が逃げていく感覚。
手が、動かない。
城から見た、燃えるような夕陽。
橙と群青に揺らぐ空。
揺らいでいたのは、本当に空だった?
あれほど美しいと思った青年の髪は、何色だった?
青年は、自分になんと言った?
どんな声だった?
何色の瞳だった?
「……思い出せない」
背筋に冷たいものが走る。
ヘンリーは頭を抱えた。




