エリザベートを知るために
「なんてことなの……」
ヒストリアは声を震わせていた。
父であるガストへの復讐に利用するため、六年もの間ユリアンとアリアの姉妹はロイドによって管理されていたというのだ。
「次代の大聖女になられるヒストリア様はガストにとって権威の象徴でした。それを奪い、幸福の絶頂から見ぐるみ剥がして生き地獄を与えるのだと……ロイドは計画したのです」
かしこまって補足するユリアンはルーメンを一瞥した後に目を伏せた。
ヒストリアは自身の冤罪がガストに対する復讐の過程に過ぎなかったことを知り、それにエリザベートが加担していた事に改めて複雑な気持ちにさせられた。
ロイドとエリザベートが絡んでいることは気付いていたが、事実として認識するには眩暈を感じるような話だったのだ。
結局のところ、やはりエリザベートはヒストリアが死んでも構わないと考えていた。そういうことなのだ。
突きつけられた答えに、今まで抱いていた怒りや自分の振る舞いへの後悔と混ざりあって、寂しさに変化する。
それらが胸中で渦巻き、曇った表情が表に出ていたのか、ユリアンが恐々とヒストリアを覗き声をかけた。
「あの、ヒストリア様……」
ベッドで目覚めてからユリアンはヒストリアの顔を見ては苦しげな表情をする。
そこには、怯えでなく、ヒストリアの心を気にかけているような色が孕まれていた。
「かしこまらなくて良いわ……ここで敬語は不要よ」
「そんなわけには……」
「いいの。今はただのヒストリアだもの」
ヒストリアは静かに口許を持ち上げてユリアンに手を重ねた。
子猫の姿で共にした生活のせいだろうか。
今のような言葉遣いは不思議と距離を感じさせる。
どうやらヒストリアは無関係な他人との境界の内側にユリアンを寄せていたらしい。
咄嗟に出たであろう、襲撃時の砕けた口調を思い出せば、そうして欲しいと思ったのだ。
不意に、これまで黙って話を聞いていたルーメンが重く口を開いた。
「なぜ王家の乗っ取りにまで発展したか知っているか?」
「――怒りだよ。ロイドは爵位を欲しがっててエリザベート様の進言で継承されるはずが国王が横槍を入れたの。それでロイドが怒って、国王を殺して私に擬態するよう言った……」
ユリアンはルーメンを見遣る。丸みを帯びた瞳が歪み、硬い声が夜を割った。
「ロイドは貴族が嫌いなんだよ……いつも怒ってた……」
ヒストリアは記憶に残る義兄の柔和な雰囲気を思い浮かべた。
急にフランドール家に現れ、父の注目を奪ったロイドを当然あの頃のヒストリアは『フランドール家の恥』だと詰ったが、ロイドは人の良い笑みを浮かべては、いつもヒストリアに優しく歩み寄ろうとしていた。
あの笑顔の裏にずっと憎しみを侍らせていたというのだろうか。
逡巡する傍でユリアンは付け足すように続けた。
「ロイドは知らないけど、洗脳されている間もたまに意識がふわふわ戻るから、いろんな話を聞いてた……でも、擬態が解けない間は制約があったせいで意識を失ってたけど……」
その言葉にヒストリアはなるほどと独りごちる。
ルーメンが身近に居るというのに、仔猫がユリアンの鱗片を感じさせる事が一切なかったのはそのせいだ。
「じゃあ猫だった時にあなたの意識はなかったのね」
「うん……でも、ヒストリア様のおかげで先に意識が戻って、ここに来た後のことも思い出したの。だから追いかけたけど、なにも出来ずに撃たれちゃった」
頷いたユリアンは苦々しく薄い笑みを溢す。
あの時はまだ完全に洗脳が解けていなかったのだ。
中途半端な状態だったが、ユリアンは仔猫の自分に施された記憶を思い出し、ヒストリア達を追いかけたのだと言う。
「エリザベートが助けたと言ったが、本当なのか?」
ルーメンは、これまでの経緯を語ったユリアンに対し確認するように訊いた。
「そうだよ。エリザベート様が雇った人が伝達係になってくれて、私の洗脳が解けている時に接触してきた。擬態を解除するタイミングを狙って神殿の騎士たちがロイドを捕まえるって」
ロイドの策略により暗殺された国王に代わって城で国王のフリをしていたユリアンだったが、本人曰くロイドは洗脳の制約を変える時には必ず解除しなければならないらしい。
その隙をついて脱出を手伝ってくれたのが、その伝達人だという。
ヒストリアは眉根を寄せた。
「エリザベートとロイドは結託していたんじゃないの……」
「どんなやり取りがあったかは分からないの……でも急に二人の空気が変わって、エリザベート様は家を出て行った」
それから立て続けに国を騒がせた王子の失踪とシェリル王女とロイドの婚約。
姉の意図を図りかねているとルーメンが咳払いしたあと整理する。
「騎士といい、エリザベートは神殿の中枢に身を置いているのだろう。それはロイドも探知魔法で承知のはずだろうが、下手に手を出せなかった……そして君を逃した。だがシェリル王女との婚約が進んでいる以上、エリザベートの奇襲は失敗したと考えられる」
それから僅かの沈黙を置いて言った。
「おそらくロイドには支援者がいる……」
不穏な言葉だった。
何者かは分からないが神殿の騎士を退け、その出来事すら闇に葬り去っている者がいるのだ。
奇襲に失敗した姉はどうしているのだろう。
無意識に考えさせられた。
「……どうした、ヒストリア」
不安とも怒りとも言い難い、妙な気分のまま俯くとルーメンに訊ねられる。
「いえ……私を陥れるためとはいえ、王妃様まで巻き込んでいながら、姉は何がしたかったのかと思って……」
ヒストリアが視線を上げて複雑な笑みを交え応えると、ユリアンは様子を窺うように言った。
「……たぶん、責任を果たそうとしたんじゃないかな……」
ヒストリアに遠慮しているのか、続く言葉は先ほどよりも小声だった。
「私は二人の本音をずっと見てきた。エリザベート様はとても責任感の強い方なの……」
「ロイドの暴走の後始末ということか」
ルーメンが結論付けるように訊ねればユリアンは深く頷いた。
その推測にヒストリアは眉尻を落とす。
ロイドを捕らえて糾弾するのならヒストリアの冤罪を隠しきることは難しいだろう。
つまりロイドを裏切る事はエリザベート自身の罪も告白する事にも繋がる。
「確かに、そうじゃないと逃す意味がないものね……でも、本当にそうかしら……」
「絶対とは言い切れない……」
責めるつもりはなかったが、ユリアンの方がエリザベートを知っていることに声の温度が僅かに下がっていた。
そして改めてヒストリアは考えた。
エリザベートとロイドの離別については、もっとエリザベートを知る必要があるのかもしれないと。
「ユリアン。確認だがアリアはまだロイドの元なんだな」
ルーメンの眉間には深く皺が刻まれており、やや疲れた表情が浮かんでいた。
「そうだよ。だから助けて欲しくて……姉さんの探知魔法は貴重だから私より厳重に管理されてたの」
「君はここまで何を頼りに来た?」
「エリザベート様が姉の指輪を預かっていて私にくれたの。だからルーメンの居場所は分かった」
ユリアンの答えに納得した様子のルーメンだったが、一瞬だけ鋭い視線を足元にやる。
それに気づいたヒストリアだったが、唐突に呼び覚まされた記憶の方に意識は移っていた。
「アリアって……たしか私の侍女をしていたわよね」
ヒストリアの言葉にユリアンは僅かに目を瞠ったあと小さく頷いた。
「うん。姉さんが探知魔法を使うには名前を知ってなきゃいけないから。ヒストリア様の王宮での会う人の名前を知るために付いてた時期があったの」
そうやって自分の知らぬところで何もかも監視されていたということか。
ぞっとすると同時に、周りの違和感に気付けなかった自分に対してやるせない感情がヒストリアの中で生まれた。
不意にルーメンの手がヒストリアを宥めるように肩に触れた。
顔を上げると黄金色の眼に静かな怒りが孕んでいた。
「……こうなった以上、ロイドを野放しにはしておけない。至急ラキュウス辺境伯に報告を入れよう。ヒストリア、君はユリアンと共に辺境伯に保護して……」
「駄目よ。私も行くわ」
ヒストリアは言葉を遮った。
そもそもフランドール家が引き起こした問題なのだ。それが国王の殺害にまで発展し、ロイドはシェリル王女と結婚して国を乗っ取ろうとしている。
この気味の悪い事態を一刻も早く収拾しなければいない。
ヒストリアは自分にも責任の一端があるように感じていた。
他人に任せるのは楽だ。
しかし、出来ることがあるというのに守られるだけは、今までの自分と何も変わらない。
「ロイドはまた君を狙う」
「それはあなただって同じでしょう?私は洗脳を解ける。一緒ならロイドを捕まえられるわ」
ヒストリアは、フランドール家という歪みに向き合う覚悟を決めていた。
ルーメンと研究を続けていくために。
この国に浄化石を普及させるために。
今まで守ってくれたこの人を、今度はヒストリアが守るのだ。
ヒストリアの拳は思わず力が入る。
ロイドはルーメンを欲しているともユリアンは言っていたのだから。
真っ直ぐに見据えていれば「怖いけど、そうだよね……」と傍でユリアンが独りごちた。
「ルーメン。ヒストリア様が行くなら私も一緒に戦うよ」
同調するもう一人の加勢に、ルーメンは額に手を当てると瞼を閉じて溜息を溢した。
それから暫くの沈黙後薄い唇を開いた。
「……いいだろう」
――話し合いの末、この地に結界を張っている浄化石をベリル達に託し、ヒストリア達はラキュウス辺境伯の元を経由して王都へ向かうこととなった。
結婚を急いでいるであろうロイドを止めるために。
「ルーメン。ここを出る前にベリルと二人きりで話したいことがあるの」
翌日、事情を伝えベリルに浄化石を預けていたルーメンにヒストリアは声をかけた。
ルーメンは短く「わかった」とだけ応えると、スレイ達に向き直りユリアンを紹介し始めた。
「熱いお誘いだな」
ヒストリアは少し離れた馬小屋まで無言で歩いたあと、梁の高い天井を仰いだのちベリルへ視線を戻す。
「あなたのことを思い出したの。私の父を撃った男の子供よね」
昔、父を撃った背丈の高い男。
裁判所でベリルの名を呼び泣き崩れる姉。
エリザベートに目もくれず尖った視線をガストに向けていた子供。
蘇る記憶の断片を手繰り寄せれば、その面影が見えた。
ただの同じ名前だと聞き覚えのある響きを無視していたが、流れ者が居着くというこの場所に、ベリル本人が居てもおかしくはない。
「へぇ。よく分かったな」
ベリルは前髪を掻き上げては感心したように言った。
「あなたは?いつから気付いたの?」
「そうだな。珍しい銀髪にエリザベートを思い出した。聖女と聞いてフランドール家の可能性が浮かんだ……決め手は浄化石だ」
あっさりと答える様子に疑念の眼差しを返せば、ベリルからは小馬鹿にしたように吐き捨てる。
「なぜ隠してたの?」
「隠す?お前と俺はただの他人だ……親父も俺達も罪は償った。それ以上に何もねぇだろ」
尤もだった。直接関わったわけでない。
しかしヒストリアの父は被害者であり、そして今にして考えてみれば加害者でもあったのだろうと捉えられる。
「私達が求めたのは過剰な制裁だったと思うわ……姉は酷く取り乱してた」
喉元まで出かかった謝罪の言葉を飲み込んで、ヒストリアは慎重に言葉を選ぶ。
蔑むような視線が一度だけヒストリアを貫き、歪にベリルの口元が歪んだ。
「そうかよ。で、わざわざ懺悔しにきたか」
後ろめたさ覚えた事を見透かしたような言葉に二人の間には沈黙が落ちた。
分かっている。今更蒸し返す話でない事は。
ベリルにとってあの出来事はもう過去なのだ。
ヒストリアは長い息を吐いた。
それからベリルに向き直った。
「……懺悔しに来たわけじゃないわ。教えて欲しいの。エリザベートのこと」
今まで向き合おうとしなかった幼い日のエリザベートの心の奥をベリルならば知っているはずなのだ。
父にベリル一家への制裁の訴えを取り下げるよう慈悲を乞う姿を何度も見た。
「姉が感情的になったのは、あなた達に対してだけだったわ。私よりあなたの方が姉を知っているはずよ」




