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階級社会の歪、日陰のロイド

――もしも選ばれた人間が何をしても良いと言うのなら、僕にだってその権利があるはずだ。



「ヒストリアが死罪にならなかった。話が違うぞ、エリザベート」


ヒストリア断罪後、王宮からフランドール邸に戻るなり、ロイドはエリザベートを私室に呼びつけ小声で迫っていた。

「そういえば、ベルナルド王太子が正式な手続きを踏むべきだとごねていたという話があったわね……折衷案かしら」

思い出したように告げるエリザベートにロイドは眉根を寄せる。

「――ユリアンか?」

情報源と考えられる姿を脳裏に浮かべ、監禁部屋を訪ねるべく踵を返すが背を追うように告げるエリザベートの言葉に歩みを止めた。

「責めないでちょうだい。私が必要ないと言ったのよ。知ったところで手を出せないもの、そうでしょう?」

露骨な嫌悪を表情に出したまま、ロイドはエリザベートを見据え、問う。


「……まさか殿下はヒストリアを好いていたのか?」


ベルナルド王太子殿下との茶会の度に曇った表情で帰ってくるヒストリアに、二人の間に愛などないと確信していたが、無能な婚約者に対し殿下は何らかの感情を抱いていたとでもいうのか。

あり得ない。ロイドの考察を肯定するようにエリザベートは扇子を口元に当てると静かに笑った。

「彼に恋愛感情なんてないわ。あるのは王族としての責務だけ……真面目なのよ。堅物は国王より厄介ね。激情型の人間は容易に転がってくれるのに、残念だわ」

「は……君はえらく余裕だな」

「焦っても仕方がないでしょう」

「僕が焦っているとでも?雑草を早く処理したいだけだ」

計算に歪が起きているというのに、エリザベートは対応しないどころか流れに身を任せようとしている。昔からそういう嫌いがある女だったが、今回に関しては鼻につく態度に腹を立てずにはいられなかった。


しかしエリザベートはロイドに燻ぶる怒りを見透かしたうえで、至極冷静に釘を刺すのだ。


「――ロイド。真実を暴かれる人間というのは、総じて陥れた相手に対し積極的に関わっていこうとするものよ」


一体何を言っているのだ。


「多少予定が狂ったところで動じる必要はないの。それとも、あなたはあの子が辺境で生きていけるほど逞しい精神を持っていると感じるのかしら?」


荒い吐息を溢し、ロイドは甘い瞳と称される眼を眇めて鋭く睨みつけたあと、無駄に豪奢な絨毯が張り付けられた床に視線を落とし逡巡する。

それから妥協点を見い出すとエリザベートへ向けて再び視線を戻した。

「相変わらず嫌味な女だな……だが、分かった。勝利には変わりない。ただし見張りはつけておく」

「見張り……」

「なんだ、不満か」

静かに繰り返された言葉にロイドは片眉を上げた。まるで納得していないとでも言いたげで、しかしエリザベートは静かに首を振って歩みロイドの横を通り過ぎていく。


「いいえ。それより明日は神殿に行くわ。さっそく大聖女代理の打診を受けたの。爵位継承の相談も滞りなく進めるつもりよ」

その言葉にロイドの胸中はいくらか穏やかになった。


ヒストリアの扱いを決めた王家と神殿は行動が早い。他の貴族らに噂が回る前にエリザベートへ話を通していたようだ。

今後はエリザベートが大聖女代理の地位を賜り、フランドール家から籍を抜く意思を表明すれば良い。

根回しはしてある。

加えて念のため父に無理矢理捺印させた同意書と、ロイドのこれまでの領地経営の実績、それらを以てすれば継承を管理する貴族院で速やかに通るはずだ。



「通らなかっただと!?」

青天の霹靂とはこのことだ。

どんなに完璧に予定したことも、無能な人間の手が加われば書き換えられてしまう。


「王家の介入があったのよ。従兄弟に継承権を委ねるべきだと。私が放棄するなら叔母様が後見人になり従兄弟が継ぐべきと国王の要望があったらしいわ……面倒な茶々入れをしてきたものね」


原因は国王の鶴の一声。

承認寸前まで進んだ話は、ロイドの元まで届かなかった。

執務室の机を叩きインク瓶が揺れる。

「血統主義か……自分は平民の女を娶ったくせに」


「ロイド……ここは一旦時期を見送りましょう。国王は気紛れよ。血統に拘るのは貴族の大聖女が不良品だったという腹いせもあるわ。気が逸れた頃にまた打診するべきね」

エリザベートは他人事だからか相変わらず達観したような口調で吟味する。

その審美眼はロイドも一目置いてはいるが、時期を見送るなど到底許せるものではなかった。


「君とユリアン達がいれば問題はない」

「どういう意味かしら……」

「僕は十分待った。血統?階級?糞食らえだ」


沸々と胸の底から怒りが込み上げ、机に並ぶ書類を払い落としロイドは声を荒げた。

その姿にエリザベートは顔色一つ変えず諭すように言う。

「ロイド……気持ちは分かるけれど目的を見失っては愚かよ……」

「父は僕の手中にある。邪魔なヒストリアも取り上げた……これから仕上げなんだ」

「焦っては駄目……水泡に帰すと言うでしょう」

「いやいや。焦ってないさ、名案を思いついたんだよ。そもそも腐った貴族を許す国があるからいけないんだ。僕がこの手で整理してやろうじゃないか」

エリザベートの言葉を一蹴し、ロイドは執務室の椅子に腰を落とし脚を組むと歪に口許を歪める。



「まさか、国家転覆を目論む気……?」

声を潜めるエリザベートに気を良くしたロイドは歯列を覗かせた。


「そんな大掛かりなことはしないよ。こっそり入れ替えるだけだ。ユリアンを国王に擬態させる。そして僕はシェリル王女と結婚する」

国王が爵位を取り上げるのなら、自分はその命と娘を取り上げる。

王族と縁者になればもうロイドをとやかく言う者はいない。

邪魔なベルナルド王太子殿下も消してしまえばいい。


その意思を滲ませた発言に流石のエリザベートも凍りついていた。


「っ……無謀だわ」


「君の観察眼を駆使して王宮内部の情報は集まっている。ユリアンだけではボロが出るだろうからアリアも忍ばせたいが……名目は愛妾なんてどうかな」

考え始めれば妙案だと確信する。


むしろ何故もっと早く悪の根源を潰そうと考えなかったのか愚かな自分を笑ってしまうほどだった。

だが興奮するロイドに反して、エリザベートからは冷ややかな空気が流れている。


「ロイド……やりすぎよ」

「はぁ?」


「私はそこまで望まない。父とヒストリアに、この家の歴史に最悪の顛末を与えたいだけ。爵位なら時期を待てば必ずあなたのものになるわ」

それ以上は踏み込まないと物語る瞳とかち合った。

この数年で同士として扱ってきたエリザベートの言葉に、ロイドは感情を抉られるように激しい衝動を覚え、気付けば怒声を叩きつけていた。


「僕はもう十分待った!!!!」


吐き出した興奮は容易には鎮まらない。

「糞みたいな人生だった。糞ったれの貴族共に迎合して、あと一歩で夢見た計画が実現する!」

それでもエリザベートの強い視線は揺らぎがない。

「誰もがお前みたいに悠長に構えてられると思うな、エリザベート。邪魔は排除するんだよ」

荒げた息を整えながらロイドは震える指をエリザベートへ突き付けた。


どうせこいつも貴族だ。同じ目的を持っていただけで、分かり合えるはずがなかったんだ。


「裏切るなら君も始末する」

脅しの言葉が効かないと頭で分かっていながらも吐き出さずにはいられない。

案の定、エリザベートの澄んだ青い瞳は凛として、得体の知れぬ笑みを溢した。



「….…そう。あなた、もっと高潔だと思っていたわ。まるで子供の癇癪ね……付き合いきれないわ」


「エリザベート!!」

ロイドは背を向けたエリザベートの腕を咄嗟に掴んだが、こちらを振り返ることはなく冷たい言葉が落ちる。


「私は必要ないのでしょう?家を出るわ……この家の顛末は好きになさい。けれど、私にはリュートスがついてる。そして世間の目も」


強い意志を感じた刹那、一瞬緩んだ手元を払われエリザベートは出て行った。


――上手くいかない。こんなことは初めてだ。

いや、初めてではない。

この腐りきった貴族社会の場末に生まれ落ちたその瞬間から、思えば何も上手くいってなどいなかった。

ロイドは思い上がっていたことを理解する。


今はまだ、這い上がっている過程なのだ。


貴族社会の不純物。

要らない子供。

酒におぼれる男からの暴力。

夜毎に泣き叫ぶ母。


これらがロイドをたらしめるものだった。


貴族と平民の駆け落ちの末路は、恋愛譚のようになどいかない。

ロイドの見てくれ目当てで遊びの関係を欲する令嬢に連れられ、劇場に足を運ぶたびに母を思い出していた。



夢物語に憧れた年若い平民の母は誤ったのだ。

『運命の相手と引き裂かれそうな自分』に酔いしれた貴族の手を取り、母は地獄を見ることになった。

ロイドは母が駆け落ちを選んだ理由こそ十分に理解出来たが、しかしあの男の何が良かったのかは未だに分からない。


母が盲目的に恋をして手を取ったのは子爵家の五男。

その男は婚約者がいるにも関わらず母に手を出し駆け落ちを唆した。


結局、二人が幸せに暮らす結末などなく、好き勝手した男は実家から勘当され、帰る家のない元貴族と成り果てた。

そんな男が厳しい社会の荒波を生き抜けるはずがなく、そいつは本性を露わにし、母の全てを売ったのだ。


それも平民嫌いで有名なフランドール女侯爵の夫、――ガスト・フランドールという屑に。


あれは愛妾などの扱いではない。

貴族の女や娼婦相手に出来ない玩具にされた結果、生まれたのがロイドだ。

その後も同じ。母は物好きな貴族共に消費され、ロイドはその光景を眺めながら育った。


「顔はいいが、如何家畜の臭いがな……血に染み付いている」

父であるガストの零した言葉は幼い記憶に深く刻まれた。


やがて母が病気に侵されるとガストは寄り付かなくなった。

しかし幸か不幸か、ロイドは侯爵の子であったため、「いつか使える」かもしれないと教養を与えられ、母を売った男はガストの使用人となり下がる。

その歪な環境を『不幸の渦中』だとロイドは理解し、常に自分に言い聞かせた。


「僕は抗うことを知らない馬鹿ではない」



――その出会いはロイドの意思を後押しするものだった。

フランドール家の敷居を跨ぐため勉強に励んでいたある日、自分の知らない才能を知らしめる出会いがあった。


「ほぉ……甘い声が聞こえると思えば……こいつは聖者か。えらく荒んで、実に歪で美しい….」

そのとき『聖者』という言葉をはじめて知る。

魔法使いを魅了し、操る力があると、老齢の男はロイドに教えた。

その力の使い方を告げると消えてしまったが、ロイドにはそれで充分だった。


地固めに勤しんだ勉学の甲斐が功を奏し、父はロイドを少しだけ気に掛けるようになり、会話の中でフランドール家に男がいないことを知った時はまるで運命のように感じた。


男に生まれたのは天啓に違いない。

ロイドはとにかく幼い頭を使って、ゴミ屑の父親相手に自分が価値ある存在だと示し、甘い蜜を吸わせることに注力した。

この国では女性の継承権が認められているが、ロイドの認識では女など容易に御せると信じて疑わなかった。

年月をかけて父の警戒を解き、信用と商才を見せつければ懐柔は早かった。

そしてフランドール家に迎え入れられる。


怠け者の父を騙し、領地の運営に関わることは全て引き受け、エリザベートの後見人としての役割を奪っていく。それ自体は公にしなければ何ら問題はないため父は安心しきっていたが、これはゆくゆく大切な布石となる。

重ねて利のある商売や投資先を助言し、味方だと思い込ませれば、父はロイドを重宝した。


ただし生活すれば分かる。

大聖女という価値だけが目障りなヒストリアよりも、エリザベートの方が厄介な存在だということに。

幸い、姉妹の溝に目を付け速やかに協力関係を結べたが、あれは口うるさい女だった。


ただし一致しているのは父の破滅。そしてフランドール家の没落。

暴力と薬の渦に落とし、正気を捨てきれない境界をゆらゆらと漂わせ生きた屍にすることにエリザベートは何ら意義を唱えなかった。そこは評価したい部分だ。


ロイドは父にワイングラスを傾けて酒を浴びせながら笑った日を思い出した。


「死んで詫びろなど生温い。僕は搾取される人生を拒否する」


そう言ってやればうつろな目の父の唇が物言いたげに微かに動いた。


自分は奪う側だ。


その権利があるはずだ。



――あれからエリザベートは夜が明けぬうちに家令のリュートスを連れてフランドール邸を出て行った。リュートスは老齢だが五感が鋭く腕が立ち方々に顔が効く。


ロイドは悩んだが放置することにした。

あの男を連れて行ったエリザベートをわざわざ殺すのは手間がかかる。話題の渦中にあるだろうフランドール家に、エリザベートのことで注目を集めるのは得策ではない。


ロイドは王太子であるベルナルドの城下視察を狙って、雇った暗殺者を使いユリアンと王太子を入れ替えることを計画した。

しかし入れ替えは成功したが、致命傷を負わせたものの逃げられたという報告が上がる。


「役立たずめ」


ロイドはその暗殺者を射殺したが苛立ちが晴れることはなかった。

崖から落ちたという偽装のためユリアンに身投げした風を装わせたが、肝心の遺体がなくてはどうにもならない。

『行方不明』という生死不明のままだが、ロイドは立ち止まることなど出来ないと考えていた。

死体を見つけるか、生きているなら始末して決着をつけるか、それを待っていては破滅する。


同時に王家を乗っ取るしかない。



――そんな焦燥感を抱いていた頃、あの魔法使いの男は再び現れた。


「私が手を貸してやろう……真名は教えてやれんがな」

狡猾に笑うその男はどこからともなくロイドの元へやってきて、状況を知っている風に告げる。

「信用出来ない」

「そうか。では気が向いたら泣きつきにくるといい」

ロイドが邪険にすると男は煙にように姿を消した。



その後、ヒストリアの見張りをさせていた者から報告が届く。

ヒストリアを助けたのは不思議な力を持つ、おそらく魔法使いだという話だった。

傍に侍らせていたユリアンは、報告で挙げられる名に珍しく動揺していた。

捕まえてから怯えた顔しかしていなかった少女が珍しく、違った感情を見せた瞬間だった。

ロイドは閃き、ユリアンに命令した。


「知っているだろ……ユリアン、ルーメンがどんな力を持っているかお前の知っていることを全て話せ」

ユリアンに視線を合わせ訊ねれば、虚ろな瞳が瞬きを忘れ感情のない声が記憶を吐き出させる。

「……拡張と縮小、それに隠匿された元王族か……欲しいな。だがヒストリアを守っているとは厄介だ」


ヒストリアが辺境で生きていること以上に、ロイドは魔法使いが関わっていることに脅威を覚えたが、この時はまだ余裕があった。



完全に歯車が噛み合わなくなったのは、それから国王を暗殺し、ユリアンに擬態させた後のことだ。


あとは国王に擬態したユリアンにシェリル王女との婚約を進めさせればひと段落がつく。

ヒストリアは暗殺者に見張らせている。ルーメンの居ないタイミングを見計らい後で始末すればいい。


大丈夫だ。問題ない。そう信じようとした。


「――ユリアンに逃げられた……最悪だっ!!」


激しい雨の日だった。

洗脳の条件を変えるたびに解除しなければならないため、他の人間に擬態させるためユリアンの洗脳を解除した際に裏切り者が出たのだ。

助け出されたユリアンは何かを持って逃げ出し、雨の中を追って叫んだが、ロイドは神殿紋章が入った騎士らに囲まれた。


「エリザベートか……」


王家の簒奪を嫌がっていた姿が目に浮かぶ。

どうせあの女はなにもしない。どこかでそう思い込んでいた。

その慢心が窮地を作ったのだ。


激しい苛立ちと挫折にロイドの思考は停止したが、そこへ突如として知った声が響く。



「こんな問題は些細なことだ。ロイド、大聖女はお前を破滅させるぞ」


またあの魔法使いだった。

その男は騎士らに手を翳し、光が包む。


すると次々に発狂し、空虚を見つめ何かを恐れ震え、いくつもの鎧が頭を垂れた。


「――私なら擬態どころか幻覚を作り出すことが出来る。あの小娘よりも役に立つぞ」

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