断章4 アルクスの恩返し、家族の再会
2023/10/10 連載開始致しました。
初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。
なにとぞよろしくお願い致します。
武芸都市〈ウィルデリッタルト〉。
アルクス達6人と1羽がこの地で武芸者として活動していたのは2週間ほど前まで、今は虹耀暦1287年の2月だ。
そろそろ別の都市に移動すると言い出した彼らを、シルト家の面々は暖かく応援して送り出した。
この都市で3か月ほど活動した彼ら一党は順調に等級を上げ、新進気鋭の新人一党として名を馳せていた。まさに光陰矢の如しだ。
彼らがこの地にやって来たかと思えば、いつの間にやら年末になり、年が明けるとすぐ魔導列車に乗って旅立った。
この魔導列車は主要都市間を結ぶ帝国の新しい交通網である。
この列車の登場によって都市を結ぶ情報伝達、物資輸送など以前とは比べ物にならないほどの物量となり、伝達速度も飛躍的に上がった。
開通してまだ10年と少しだが良い時代になったものだ。ランドルフなどはそう考えている。
イリスは従兄らに懐いていたものだから、旅立ちを応援はしても寂しげな表情は隠せなかった。笑顔で送り出したは良いものの、数日は青色吐息で家臣団を心配させたものだ。
それでも別れ際、彼らに優しく諭してもらったおかげで少しだけ精神的に成長し、またアルクス式魔術教育や戦闘法を学んだ結果、元々筋がいいと言われていた武芸の実力も大幅に上昇した。
そんな折だ、トビアスの妻リディアの妊娠が発覚したのは。
すでに4か月ほどだと知ったシルト家の面々は目出たいことだと幸福な雰囲気に包まれていた。
そんなまだまだ寒いある日のこと。
領主館の門前に一人の女性がいた。いや現れたと表現する方が正しいか。しかし、いつ現れたのかもわからない。
洒脱な紫紺のドレスローブに毛皮の防寒具、纏っているものと同じ艶やかな紫紺の長髪。瞳には隠し切れぬ知性を讃えている。
御付きの者として野性味を感じさせる鬼人族の武人が立っていた。
只事ではないと警備の者が誰何すれば、一通の手紙を見せて領主に会いたいと言う。
同国内の貴族や単なる冷やかしであれば、面会予約を取れと追い返すところだが、雰囲気がそうさせない。
勘の良い優秀な警備はその場で待ってもらうよう頼み、領主館へと走った。
魔族らしき女性と鬼人族の男性がやってきた、と報告を受けたトビアスは差し出された手紙をサッと読み、慌てて外へと走る。
少々下腹部が膨らんだリディアやイリスは慌てている彼を不思議そうに見つめていた。
ややあってトビアスが客間ではなく家族のいる元へ、門前にいた紫紺色の髪を靡かせた妖艶な女性と、一目見れば並ではない実力を持っているとわかる鬼人族の男性を連れてきた。
「それで、あなた方は一体どういった理由で当家へ来られたのでしょうか? この手紙にはこれを持った魔族が行くはずだから警戒せず、どうか通してやってほしいというアルクス君の一文と、彼の持っている短剣の紋章が印されていたのですが」
トビアスが緊張気味に問い掛けながら手紙を見せる。そこにはアルの字と無理矢理押し付けたような印があった。彼の短剣の柄頭に刻まれているシルトを表す紋章だ。
”アルクス”と聞いたイリスがぴょんっと立ち上がって興味深そうに父に訊ねる。
「アルクス兄様達のお知り合いですの?」
「うん。そうらしいんだけど、それ以上が書いてなくてね」
そんな父娘の会話を聞いた妖艶な女性はフッと優しく微笑んだ。
「お初にお目にかかる。儂の名はヴィオレッタという、姓もあるのじゃが長くての。この者は八重蔵――イスルギ・八重蔵じゃ」
艶やかな声で名乗りを聞いたシルト家の面々は、後半の鬼人族の名前に聞き覚えを感じて視線を交わす。
「イスルギ? と申しますと」
「うちの娘が世話になったようで、礼を言わせてもらう」
低く通る声で凛華の父である八重蔵が頭を軽く下げた。自然体でも背筋が通っているおかげで矢鱈とサマになっている。
「凛華姉さまのお父様ですの?」
「おう、そうだぜ嬢ちゃん。うちのが世話になったみたいだな、無愛想で大変だったろう」
イリスが物怖じせずに問えば、八重蔵はニッと笑った。
「凛華姉さまの指導は厳しかったですけど、普段は優しかったですわ!」
そんなことないと首をブンブン横に振るイリスに、鬼人が快活な笑い声を漏らす。
「はははっ、そうかい。あいつは下の子だからな。可愛がれる妹が欲しかったのかもしれねえ」
そう言ってぽんぽんとイリスの頭を撫でた。その撫で方が凛華にそっくりだ。イリスは彼らが本当に親娘なのだという確信を得る。
「八重蔵よ、いきなり崩れておるぞ」
「おっとと、すまねえ里長殿」
やんわりヴィオレッタが注意を入れると、八重蔵がパッと手を離して立ち上がった。
ランドルフはトビアスの代わりに問い直す。
「して、一体当家にどういった御用なのでしょうか?」
間違いなく自分を小童呼ばわりできるほどの人物だと看破して遜った。
滲み出ている魔力が並だとか、常だとか、そんなもので表現できる次元にいない。
これほど深みを帯びている魔力は、帝都にいるあの御仁からしか感じたことはなかった。
「おお、すまなんだ。我が愛弟子アルクスから手紙を貰っての。『祖父母と叔父夫婦の世話になったが、やはり貰い過ぎているから何か恩返しをしたい』とな」
にこやかに笑ってヴィオレッタがそう言えば、
「いえそのようなことは…………こちらは孫に会えただけでも」
ランドルフが謙遜する。本当に与え過ぎた感覚などなく、楽しいひと時だった。
「聖国の連中相手への後処理もやってもらったと書いておる。そちらも申し訳ないと綴られておってのう」
「それこそ、ラウラ嬢を初めとしたアルクス君達は連中の被害者ですから。帝国の貴族として、我々が手を尽くすのは自然の摂理と言っても過言ではありません」
トビアスはそう言った。これは魔族を友とする帝国の誇りなのだ。そこを履き違えるような貴族は貴族に非ず。
ヴィオレッタはうんうんと頷き、気持ちの良い方々だと愛弟子から報告は受けていたが真実のようだと心中で溢す。
「うむ、それが帝国と云う国の在り方だとは理解しておるよ。じゃが世話になっておいて何もないというのもあまりに不甲斐ない。そう思ったのじゃろう、アルから提案があったのじゃ」
「提案、ですか?」
――どんな提案だろうか?
トビアスは頭を捻る。お礼として一番わかりやすいのは金銭だが、魔族はあまりそういった概念を用いないのでさっぱり見当がつかない。
「左様。其方らを父ユリウスの墓参りに連れて行ってやってくれんか? という提案と言うよりお願いじゃな。儂の目で見て判断してもらって構わぬから、という内容でのう」
「「「っ!?」」」
その言葉にランドルフとメリッサ、トビアスが驚愕に目を剥いた。魔族の里である以上、自分達は立ち入れぬだろうと思っていたのだ。
「アルたっての願いでの。『相対転移術式』の計算式まで、ほれこの通り手紙につけてきたのじゃよ」
ヴィオレッタが緻密な計算式がびっしり書かれている手紙の一部を見せる。
この計算式を送ってきた以上、里長直々に動いて欲しいという頼みだと彼女は判断した。そしてその読みは当たっている。
人間を里に入れることになる以上、里長の目を通さないなど有り得ないという警戒心もしっかり感じ取れた。
この手紙を読んだヴィオレッタは愛弟子の心技の成長に嬉しくなったものだ。
ランドルフやメリッサ、リディアは『転移術式』という言葉に記憶を掘り起こす。
魔力の消費が大きく、難易度が異常な魔術。目視範囲ならどこへでも跳べるが失敗すれば即死と同義なことになる――帝国でも使えるのはたった一人というとんでもない魔術。
「アルクス君、憶えてたのか……」
トビアスが思い出したのは護送車での会話だ。彼はどうにか便りを出してみると言っていた。
しかし、話を聞いてみれば魔族狩りから同胞を守るための里だと聞いて、自身ら人間がそこへ入れてもらえるなど望み薄だと思っていた。
「よろしいのですか!?」
メリッサが勢い込んで訊ねる。お腹を痛めて産んだ最初の子であるユリウスの母としては、願ってもないことだった。
「うむ。そこな身重の女性も含めて血族のみ許可したいと思っておる。儂らとてユリウスには大恩があるし、トリシャ――アルの母にも会ってみたいじゃろう?」
そう言われたシルト家の面々が顔を見合わせる。そうだ、行けばユリウスの妻にも会えるのだ。
「い、いつ出立でしょうかっ? 馬車の準備などは?」
俄かに慌ただしく動こうとする家族を抑えてトビアスが訊ねた。
「うん? いつでも構わぬが夜はやめた方が良いのう。ああ、馬車は要らぬよ」
なんとなくアルの持つのんびりさを感じながら、彼はヴィオレッタの返答に首を捻る。
「どういうことでしょう? 近いのですか?」
「ここから優に千km以上はあるのう」
魔族の女性は首を横に振った。
「では長旅になるのでは?」
ランドルフが援護射撃のように訊ねる。よもやそんなことは有り得ぬだろうと思いながら。
しかしヴィオレッタはアッサリとその”よもや”を口にした。
「跳ぶのじゃよ。愛弟子の計算式があるから儂らとて今朝方まで里におったくらいじゃし」
「『転移術』を扱えるのですか!?」
目を飛び出させん勢いでトビアスが驚愕する。
魔族でもそうそう使えぬ、半ば禁術扱いされているようなものだったと記憶していたが違うのだろうか?
「扱えねばここへは来ておらぬよ。アルのおかげで研究が飛躍的に進歩してのう。今や儂の『転移術』は見えぬ場所でも行けるようになっておるのじゃよ」
紫紺の魔女は魔術講義と弟子自慢を並行させて胸を張った。
「その……安全性などは?」
申し訳なさそうにするトビアスにヴィオレッタが意外にも理解を示す。
「心配無用じゃ――というても身重な者がおると心配じゃろうしな…………ううむ、あっ、そうじゃ。これで良いかの?」
そう言うと左眼の魔眼を開いた。濃紫の虹彩に金色の蜘蛛の巣模様がパッと広がる。
ランドルフとトビアスは愕然とした。
「まさか、その眼は――」
「『時明しの魔眼』と言う。『転移術』の知識を持っておる帝国人なら知っておると思ったのじゃが、どうじゃろうか?」
ヴィオレッタのその魔眼は有名だ。何せ『転移術』の発明者にして、煮詰まっていた魔術研究の時代を加速させた魔導の先駆者なのだから。
「大変失礼致しました。ご無礼をお許し下さい」
トビアスは即座に頭を下げた。さっきの懸念は釈迦に説法をするようなものだ。不快に思われて当然だろう。
しかしヴィオレッタは、
「良い良い、そう気にするでない。それで移動手段は転移で構わぬじゃろうか?」
とにこやかに問い直した。
知らぬことは罪ではないし、その程度のことで怒りを抱く者など所詮は大海を知らぬ未熟者だ。
「勿論です。すぐに支度してきますので、こちらでお寛ぎ下さい」
トビアスが踵を返し、家族もそれに続く。
――まだ午前の内だが急がねば!
一気にバタバタし始めた。
「里はここより寒いからのう。暖かい恰好をしておくのじゃよ」
優し気な眼でヴィオレッタは声をかける。そんな彼女へ今まで黙っていた八重蔵が口を開いた。
「里長殿よ、トリシャに言っとかなくて良かったんですかい?」
「あやつは綺麗好きじゃから大丈夫じゃろ。今日はユリウスの命日じゃし、待つようにだけは言うておるでの。今頃はユリウスの盾を磨いておる頃合いじゃろう」
「そういうことじゃねえんですが…………ま、なるようになるか」
あっけらかんと言うヴィオレッタに八重蔵はため息をつく。
妻の水葵が何かあるときにおめかししているが、そういうの要るんじゃないの? という質問だったのだが既に里の外。
まぁ文句を言われるのは自分ではない。さっさと思考の片隅に追いやる八重蔵であった。
ややあって準備を済ませたシルト家の5名がヴィオレッタと八重蔵の前に姿を現す。
「さて。ではぼちぼち行こうかの」
バッチリと帝国の礼装を着込んだ5名を見たヴィオレッタは「おや?」と一瞬頭を何かが掠めたが、まあ良いかと声を掛けた。
「はい、お願い致します。あの、目など閉じていなくてよろしいのですか?」
それは余計な情報を見る可能性があるのでは?というトビアスなりの気遣いである。
「構わぬよ。あぁ、じゃが里で見たものは他言無用で頼むぞ」
そういえば忘れてた、とヴィオレッタが注意事項を述べる。
「勿論です。イリスもいいな?」
「はいですわ!」
イリスは元気よく答えた。これでも貴族令嬢、情報の秘匿についてはしっかり心得ている。
「うむ、ならば良いのじゃ。では行こうか」
ヴィオレッタはさらりとイリスの深みのある茶髪を撫で、術式を展開した。
この場にいる7名全員をパッと包み込む術式を見てトビアスらは目を瞠る。魔術鍵語が踊るように動き回っていた。
見たこともない術系統と素人目にもわかるほど精緻で美しい術式。
「すごいですわ……!」
「くふふ、そうじゃろう」
悪戯っぽい笑みを浮かべたヴィオレッタが魔力を込める。
途端に術式が明滅。次いで弾けるように広がった白光が7人を包み、一瞬の収縮の後、ひゅんっと小さくなって消え去る。
光が消えた場所には彼らのいた痕跡が残っているのみであった。
~・~・~・~
鼻歌を口ずさみながらユリウスの形見である盾を磨いていたアルの母トリシャは、扉の叩く音に反応して声を投げかけた。
「はーい? どなたー?」
すると聞き知った声が扉越しに返ってくる。
「儂じゃ、トリシャ」
「あらヴィー、やーっと来たのね。お墓参り待ってたのよ。早く行きましょ」
盾を抱えたまま、ほいほーいっと戸を開ければ――――そこにはヴィオレッタとその後ろに初老の夫婦と若々しい中年の夫婦、そしてその子供と思わしき少女がいた。
ヴィオレッタ以外やたらとかっちりした格好だ。
「あら? えーと……ヴィー、後ろの方々はどなたかしら?」
見知らぬ大所帯にトリシャが首を傾げる。
「アルの祖父母と叔父夫婦と従妹じゃ」
さも当然という風に答えるヴィオレッタに、トリシャはピシッと動きを止めた。
――今、なんて?
「…………待って? え? ねえ、じゃあその人達」
「ユリウスの御父母と弟夫婦じゃな」
頭がこんがらがっているトリシャへヴィオレッタがわかりやすく教える。
「えええええええっ!? ちょ、ちょっといきなり聞いてない、じゃない! 待ってもらって、じゃない! えーと、入って待ってもらってて! 準備してくるから!」
トリシャは驚愕の末、「なんてこったい!」と慌てて戸を開き、ヴィオレッタに来客の対応を任せ、ユリウスの盾を食卓に置いて急いで私室へと走った。
アルからの手紙で彼らの存在自体は知っている。しかし、だ。
――今日来るなんて聞いてないわよ!
と、心中で悲鳴を上げる。
彼らの後ろで、八重蔵はやっぱりこうなったなという顔をするのであった。
~・~・~・~
アルクスの生家――ルミナス家に通されたシルト家の面々はまずトリシャの銀髪、紅瞳、いまだ健在の美貌と若さに驚いていた。
アルがあんな顔立ちなのも頷けるというものだ。
「わ、若いですね」
「あなた?」
トビアスの一言にリディアが冷たい視線を向ける。
――お腹にいる子は誰の子だと思ってるんだ?
そんな視線だった。
「いや、違うんだよ。アルクス君の歳を考えても若くてビックリしたんだ。どう見ても彼の母上なのはわかるし」
背筋に嫌な汗を掻きながらトビアスが慌てて弁明する。これでもシルト家は全員が若々しいのだが、トリシャやヴィオレッタは格が違う。
「と言うてもそちらのランドルフ殿より歳上じゃよ。あやつ、儂が知っておるだけでも百年くらいは暴れておったからのう」
ヴィオレッタはしみじみと言った。今の穏やかなトリシャになるまで随分かかったものだ。
「魔族の寿命とはやはり長いものですね」
長寿が多い魔族の性質を知っていてもトビアスは驚きを隠せない。
「あやつはあやつで強者じゃからのう。魔力の質も相応に深いのじゃよ」
魔力量がそう多くなくても質が深ければ寿命が長いというのはこの世界での常識だ。
ただ元々魔力量が多く、必然的に使う頻度が増える魔族の方が長寿になりやすい。ヴィオレッタは迂遠な説明を行った。
過去大暴れしていたなど余り印象は良くないだろうと気を遣ったのだ。アポなしで面会はさせるが。
そんな会話をしているとトリシャが慌てて出てくる。
「お、お待たせしました。アル――息子から聞いております。大変お世話になったそうで、私からもお礼を言わせて下さい。ありがとうございます。アルクスの母、トリシャと言います」
トリシャが銀髪を揺らして頭を下げれば、
「これはご丁寧に。私はユリウスの父、ランドルフ・シルト。こちらは妻のメリッサです。こちらがユリウスの弟トビアスとその妻リディア。そして二人の娘であり、アルクス君の従妹に当たるイリスです」
ランドルフが礼を返しながら全員の紹介をした。
トリシャは義理の両親ということで畏まりながら、
「よろしくお願いします。結婚の挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。あまり森を出られず、ユリウス――夫の方からも帝国の武芸者だとしか話を聞いていなかったもので」
と述べる。当時は魔族狩りも頻発していたし、アルが生まれて子育てをしながら帝国内を探すことなど到底できなかった。
ランドルフやメリッサ、トビアス、リディアはそこらへんの事情を慮る。
「いえ、こういう機会が来るとはこちらも思っていませんでしたので幸運でした。ところでこの盾は……?」
メリッサが挨拶を返しつつ問う。当時の世情的にも難しいことだったろうことは想像に難くない。それよりトリシャが持っていた盾が気になっていた。
丁寧に割れ目を継いである盾。これはやはり……。
「ユリウスの……夫の形見です」
トリシャは哀し気な顔でそう答えた。ユリウスの遺体を供養した後、救出された魔族達が村の跡に戻ってかき集めてきてくれた盾だ。
同じく助けられたキースが継いでトリシャに持ってきた。盾としての機能は死んでいるが彼の形見だからと、感謝と謝罪を述べながら返してくれたのだ。
トリシャは静かにそれを説明した。
「そうでしたか……」
メリッサは盾を撫でながら涙を浮かべる。事情を聞いてはいたが遺品を見ると実感が湧いてしまう。トリシャも夫を思い出したのか、潤む目を擦っていた。
「思い出話も大事じゃが先に墓参りを済ませるとしようかの。この時期は陽が短いからの」
ヴィオレッタがそう言って扉に手を掛ける。一同はそれもそうだと外へ出ることとなった。
~・~・~・~
身重な女性を長々と歩かせるのもよろしくない。隠れ里の南門から伸びる共同墓地までの道に向かってヴィオレッタが魔術を発動させた。
「『陸舟』」
「それって、確かアルが考えた魔術よね?」
「そうじゃよ。簡潔で拡張性の高い魔術、さすがは儂の弟子じゃろう?」
「私の息子でもあるんだけど?」
言い合う友人同士にイリスが口を挟む。
「アルクス兄様やっぱりすごいですわね!」
「イリスちゃんだったわね。アルは優しくしてくれた? 元気にしてたかしら?」
「はい! 私の魔術の先生をして頂きましたの!」
トリシャが優し気に問えば、イリスは力強く頷いた。
「良かったわ。抱え込み過ぎてないか心配だったから」
「あやつらは支え合っておる。大丈夫じゃ」
「そうね。準聖騎士と戦ったって聞いたときは心臓止まるかと思ったけど」
ユリウスのようなことになって欲しくないトリシャは、アルから届いた手紙を読んで背筋を凍らせたことを思い返す。
「不甲斐なくて申し訳ない。駆けつけたときには戦闘中で、手も出せないほどに激化しておりまして」
トビアスが苦い顔でトリシャへ謝罪した。
「あ、いいえ。あの子達の選択だったんでしょう。覚悟もないのに、そのラウラちゃん? 達に手を貸すような子じゃありませんから」
トビアスの謝罪をトリシャはやんわりと断る。戦うと決断したのはアルだ。誰のせいでもないし、結局無事だ。これ以上のことはない。
肚を括っているトリシャの様子にユリウスの件を察したメリッサとリディアが語り掛ける。『陸舟』はゆっくりと進みだした。
* * *
共同墓地につくまで彼らは様々な話をした。
ユリウスと出会った頃の事や結婚するに至った流れ、アルの成長の思い出――どうして彼があの歳であそこまで鍛錬を積んでいるのかなど多岐に及んだ。
墓地についたトリシャとヴィオレッタが先導してユリウスの墓前へと向かう。シルト家の者達は整然としながらも幻想的なその風景に、見惚れつつ大人しく後ろに続く。
「ここじゃ」
そこにはユリウス・シルトと書かれた盾型の真っ白な墓石があった。
見れば供え物の数がひと際多い。酒や花束が周りを囲むように供えられていた。
「……兄上」
”ユリウス・シルト”と刻まれた下には、
――”多くの魔族を救い、真に魔族と手を取り合った者、ここに眠る”――
と彫り込まれている。
手入れを欠かした様子の見られないその墓石に、メリッサとランドルフは頽れるように跪いた。
「ユリウス……っ! 良かったっ、わねぇ。こんなに素敵な場所で、眠らせてもらえて。お母さん、心配してたのよ? でも、素敵なお嫁さんももらえて、あんな良い子も生まれて…………本当に、良かったわね」
メリッサが涙を溢しながら墓石を撫でる。囁くように細い声だったが、最後は微笑んでみせた。ようやく、息子に会えたのだ。
「誇りに思うぞ、ユリウス……お前は自慢の息子だ。お前の息子アルクスも立派にやっている。しかし、お前のように無理をしやすいようにも見えた。ちゃんと見守っててやるのだぞ?」
ランドルフも大粒の涙を流しながら語り掛ける。帝国人として、これ以上ないほどに誇れる息子だ。その思いと哀しみが綯い交ぜとなって彼を襲っていた。
「兄上――――どうか安らかに」
トビアスは静かに祈る。この墓を見て悟った。兄が本当に人間として魔族の彼らに受け入れられていたこと、そして惜しまれて亡くなったことを。
そして同時に誓った。聖国に対して断固とした姿勢を執り、生きている人間としてアルクス達を見守り続けることを。固く、固く誓った。
リディアも静かに祈っているなか、イリスが疑問の声を上げる。
「お墓には”ユリウス・シルト”と彫ってありますわよね? どうして兄様は”アルクス・シルト・ルミナス”ですの?」
言われてみれば確かにそうだ。シルト家の者もそう思ってトリシャへ視線を向けると、彼女はバツの悪そうな顔で頬を掻いた。
するとヴィオレッタが代わりに応える。
「ユリウスとトリシャは姓をどうするかで揉めておったのじゃよ。”ルミナス”になろうとするユリウスと、”シルト”になろうとするトリシャでの」
あのときはなかなか盛大な夫婦喧嘩であったと振り返る。
「だ、だって当時はユリウスが貴族の出とか知らなかったし」
指を合わせながらトリシャが弁明する。
「それで一旦その問題は置いておこうとしておったのじゃよ。子供が生まれたらまた考え直そうとな」
「その前にユリウスが逝っちゃって、お墓どうするか聞かれてとりあえず元の名前にしたのよ。その後アルが生まれたときに、ユリウスがルミナス姓を名乗りたがってたなぁって……でも”シルト”って名前も消したくなかったから、アルクス・シルト・ルミナスにしたの」
そう言ってトリシャがユリウスの名前の後ろを撫でる。初めての子育てだとか転生者だとか、アルのことですっかり墓の名前を変えるのを忘れていた。
トビアス達は経緯を理解して複雑な心境になる。
トリシャがバタバタしていたであろうことは容易に想像がつく。きっと当時は大変だったろう。そのときに知っていれば、何か手伝えたかもしれない。そう思えてならなかった。
「私もトリシャ・シルト・ルミナスに改名したし、追加しとかないとね。入るかしら?」
「うちの職人達なら問題なかろう」
そんな会話をヴィオレッタとトリシャが交わしていたところへ、酒樽を担いだ八重蔵と人狼族のマモン、森人族のラファルがやってくる。
「汝ら、今年もか?」
ヴィオレッタはどこか呆れたような目で問うた。
「里長殿、年明け最初のユリウスの墓参りはこうする決まりなのだ」
とマモンが言う。その目は至って真剣だ。
「いろいろありましたからな。報告事項が多いのです」
ラファルも同様に頷いた。
「よっこらっせと」
八重蔵が酒樽をドンと置く。ユリウスの墓の真横だ。
「どういう集まりなのですか?」
トビアスは状況が掴めず、八重蔵へ訊ねた。
「ユリウスの墓参りは、年に一回だけ盛大にここで呑むんだよ」
「いや汝ら、年がら年中ユリウスの墓参りでは酒呑んどるじゃろ」
ヴィオレッタの鋭いツッコミが光る。
「水葵に散々シバかれてたじゃないの」
呆れたトリシャの視線も刺さる。
「わかってねえな。いつもは瓶。今日は樽だ」
そんなものを跳ね除けて八重蔵はのたまった。
「お酒呑むことに変わりはないじゃないの。ていうか何かあったらすぐ樽持って行くじゃない」
「良いんだよ、ユリウスと酒呑みに来てんだから。っと話が逸れちまった。年一でこうして酒盛りをしてんだ。最初は思い出話なんかをしてたんだが、ほらユリウスに似てアルもちっともジッとしてないだろ? 毎年色々やらかすからその報告会も兼ねてんのさ。今回は多いぞ。なんたってあいつらと神殿騎士共がぶつかったって聞いた俺が、調査に行った苦労話なんかもあるからな」
八重蔵の目はユリウスへの親愛に満ちている。
「毎年やっておられるので?」
今度はランドルフが問う。
「おうよ、毎年だ。あんたらもどうだい?」
威勢よく返す八重蔵が、ユリウス用の酒杯に並々と酒を注いでコトリと置いた。
手慣れたようにラファルが椅子と小さな卓を作り、マモンがツマミを置いていく。
ランドルフとトビアスは顔を見合わせ、その後互いの妻に視線を送った。ここまで親しまれているユリウスの話を知りたくなったのだ。
「構いません。私達はトリシャさんにお話を伺いますから」
メリッサが微笑む。気持ちの整理がついたのか、かなりスッキリした顔だ。
「そうか。では我々も参加させてもらいたい」
ランドルフとトビアスが進み出て言うと、
「大歓迎だ。こちらも礼が言いたくてな」
とマモンが返した。
「礼?」
「マルクの父、マモン・イェーガーという。息子が世話になった」
「マルク君の父君でしたか」
「そっちはシルフィエーラの親父だ」
「親父はよせ、老けて聞こえるだろう。シルフィエーラの父、ラファル・ローリエです。お見知りおきを」
「こちらこそ。そちらは父のランドルフ・シルト。私は兄上――ユリウスの弟、トビアスと申します」
「よろしく」
「おーし、行き渡ったな。じゃあまずは献杯だ」
早くも酒杯を掲げ出す八重蔵に釣られるように、ランドルフとトビアスも酒杯を軽く掲げる。
「もう始めちゃったわ」
トリシャが「はぁ」と呆れた。
「いつものことじゃ。さ、儂らは暖かいトリシャの家で茶でも呑もうか」
ヴィオレッタがメリッサとリディアに呼びかけ、イリスの手を引く。そろそろ身体も冷えてくる頃だ。そのまま酒を入れた男共をほったらかしにして〈隠れ里〉へと戻っていった。
それから――――……男衆は途中で合流したキースらと更に盛り上がり、トリシャは義母と義妹、姪との絆を深める印象強い一日となった。
こうしてアルクスの恩返しは思いの外多くの絆を生み出し、いつの間にやら毎年の恒例行事となっていくのであった。
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