23話 祖父ランドルフと従妹イリス(虹耀暦1286年9月:アルクス14歳)
2023/10/10 連載開始致しました。
初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。
なにとぞよろしくお願い致します。
アルクス一行は『黒鉄の旋風』の協力もあって、無事に聖国の追っ手を退け、武芸都市〈ウィルデリッタルト〉を治めるシルト家の領主館に辿り着いた。
しかし到着したその日。様子のおかしかった頭目のアルは過労で倒れてしまい、シルト家の者らとの交流は現在先延ばし状態となっている。
またこの領主館に彼らが招かれたのは、保護対象であったラウラ・シェーンベルグとソーニャ・アインホルンも勿論大きな一因ではあるが、最も主な要因はその倒れているアルだ。
シルト家を出た長男の忘れ形見。家長との話し合いで挨拶は彼が恢復してからだという結論も出たので、マルクガルムら5人はアルに宛がわれている寝室と同じ客室棟でゆっくり休む流れとなった。
彼らだって相応に疲労を溜め込んでいる。ありがたくトビアス達の厚意を受けることにしたのだった。
* * *
アルクスが目を覚ましたのは、倒れてから一日半ほど過ぎた早朝の6時過ぎだ。
「……ぅ……ん、あれ? ここ、は?」
いまだ半覚醒状態で何やら妙に落ち着く匂いに囲まれており――だが己の口から発せられた言葉によって意識が急速に覚醒した。
がばっと身を起こし、妙に寝心地の良い寝台を飛び出そうとして気づく。
「凛華? エーラも……どういう状況?」
薄い毛布のようなものを跳ね除ければ、そこには凛華とシルフィエーラが寝ていた。
なかなか目を覚まさないアルの看病をしながら眠気に負けて入り込んだのだが、そんな事情は知る由もない。寄り添って寝ていたらしいことだけは理解した。
彼女らがただ眠っているだけであると確認したアルは、とりあえず毛布を掛け直してやって寝台を降りる。
「不用心だなぁ、もう」
案外騒がしかったはずの自分に気付かず、すやすやと眠っている2人を眺めてそう呟くと、刃尾刀と龍牙刀、そして大振りの短剣が置かれているのを確認してほっと息をつく。
龍鱗布も丁寧に畳まれて客用卓に置かれていた。背嚢もちゃんとある。
三振りを刀身までしっかり確認して装備し直していると、龍鱗布がしゅるりと首に纏わりついた。
(これもこのひと月と少しでだいぶ馴染んできたな)
そんなことをつらつらと思いつつ、アルは宛がわれていた部屋の戸をゆっくりと開けて外に出てみる。
どうやらここは3階のようだ。出てきた部屋の両隣には部屋が一つずつある。
右側の部屋はアルの寝ていた部屋よりも広いようだ。扉から壁までがやたらと長い。
左隣のもう一室は階段が近く、アルのいた部屋とほぼ同じに見える。
その三部屋と階段を挟んだ先に狭そうな二部屋があった。
また廊下自体大して広くはないが、窓枠や壁に上品な細工が施してある。その意匠から、朧げに残っている記憶の客室の内装と通じるものを感じ、ここが領主館であることを察した。
窓からは晴れた空と白っぽい太陽光が差し込んでいる。今は朝らしい。
とにかく最優先は仲間の確認だ。アルが気配と魔力を探ると、反応はすぐにあった。
広い一室の方にはラウラとソーニャの気配、もう片方にマルクの魔力を感じる。人狼の彼の気配は酷く薄い。
狭そうな部屋からは全く気配を感じなかった。
一応先に見ておこうと近付いたアルは刻んであるマークを見て、そこが手洗場兼シャワー室だと察する。丁度いいやと部屋に入って身なりを整えた。
スッキリしたアルはマルクの魔力を感じた部屋の扉を躊躇いなく開けた。そこには一つしかない寝台でマルクが潜むような寝息を立てて眠っている。
現況のわからないアルは、申し訳なく思いつつも親友の肩を揺すった。
「マルク、おいマルク」
「んあぁ? アルか。目ぇ覚ましたみたいだな。世話掛けやがって、ばっきゃろう」
目を開けたマルクが開口一番そんなことを言ってくる。
「朝から随分な挨拶だなぁ。俺、どうなったの?」
軽くいなしながら親友に問えば、
「ここ着いてすぐぶっ倒れたんだよ」
との返答を貰った。
「倒れた?」
アルがきょとんとする。
(相当疲労を溜めてやがったらしい)
マルクは半眼で睨んだ。
「憶えてねーのかよ? 外に行くっつって客間から出たろ。少ししたら真っ青なお前抱えた凛華とエーラが戻って来たんだよ。ここついて今日で三日。丸一日以上、お前は寝てたんだ」
「案内された後の記憶がない。そんなに寝てた?」
客間に通されてトビアスが出て行ったところでアルの記憶は途切れていた。気付いたらここだ。
備え付けの椅子に座りながらもう一度記憶を掘り起こしてみたが、客間から出て行った記憶はやはりなかった――というか、あそこらへんの記憶が酷く曖昧だ。
「一回も目ぇ覚まさなかったぞ」
「そっか。ま、世話掛けたね」
(ハードだったしなぁ)
アルが能天気な声でのたまう。どうやら普段通りに戻ったらしい。マルクは少々安堵しながら、
「頭、休めてなかったんだろ?」
ズバリ倒れた原因を言い当てた。
「あー……寝てはいたよ」
「…………」
その返答にマルクがギロリと視線を向ける。
――寝てたのは知ってるが、寝てる間に何してた?
容赦なく追及してきた視線に、アルは降参とばかりに手を上げた。
「いやぁ、その、いろいろ不安だったからさ。丁度いいと思って長月と案を出し合ったりしてたんだよ」
前世の自分との対話部屋で連日会議をしていたらしい。
――あれは結局、脳を使ってるって話になったんだろうが。
視線を咎めるようなソレへ変えたマルクはアルに診断結果を教えてやる。
「癒者は過労だとよ、身体の損傷もそこそこ」
「そう言われれば昨日――じゃないのか、一昨日よりは身体が軽い気がする」
顎に手をやりながらアルは、「ほう!」と言わんばかりの顔をした。
「『気がする』じゃねえよ。アイツの”右腕”、やっぱキツかったんじゃねーか」
”不可視の右腕”――準聖騎士が使っていた小手が出現させていたものだ。
昨日、トビアスから”聖霊装”と呼ばれる聖国独自の”遺物”があることを訊いた。
そんなものの直撃を受けて、平気なわけがない。
「あの時はあんまり痛みを感じてなかったんだよ」
アルが肩を竦める。どうやらそれ自体は本当らしい。
「疲れすぎて麻痺ってたんだろうが。そうなる前に休めよ、大バカ野郎」
「返す言葉もないね」
アルが他人事のようにのほほんと受け流す。
「反省しろっつってんだ」
(ああ、いつものこいつだ)
マルクは安心半分呆れ半分でツッコミを入れた。
「努力するよ」
「しねえ奴の言い方してんじゃねえ」
「そんで、ここは?」
アルは適当にいなして、情報の収集に努める。何せここがどこかも把握していない。
過労で倒れた件はどうせ仲間達から後でお叱りを受けるだろうし、今は忘れることにした。
「ったく……領主館の客室棟だよ」
マルクが溜め息交じりに返す。
「客室棟? じゃあ、えーと……トビアス、さん? 達のいる棟とは別のとこ?」
「本館とは建物自体微妙に隙間がある。防犯の為に一階からしか通じてねーんだとさ」
「なるほど、まぁいいや。んじゃ、寝てていいよ。丸一日寝てたってことは身体が鈍ってるだろうし、ちょっと動かしてくる」
そこまで聞けば充分だと会話を打ち切って、アルは立ち上がった。
「おい、ちょっと待てよ。俺も行く」
慌てたのはマルクだ。眼の前の幼馴染の性格を今更ながらに思い出した。
「えぇ? 今から準備するんだろ? 俺待つの嫌いだからいいよ」
「俺の支度なんざすぐ終わるだろうが。ちっと待ってろよ」
「しょうがないなぁ、じゃあ階下で待ってるよ」
面倒臭そうな顔をしたアルは、素っ気なく後ろ手を振って部屋を出て行った。ここで待つという選択肢はないらしい。
「元気になったらなったで落ち着かねーやつだなぁホント」
マルクは元に戻ったアルを追い、急いで身支度を整えるのだった。
~・~・~・~
階下に降りてきたアルに大きめの影が差す。うん? と見上げてみれば三ツ足鴉が旋回していた。
「なんだ翡翠か。ひすーい、おーい」
適当に呼び掛けると、
「カアッ!」
とすぐさま反応して啼いた夜天翡翠が勢いよく降りてくる。バサバサと羽ばたいて定位置――アルの左肩に留まった。
「おはよ」
「カア~」
アルは大事なもう一羽の仲間の、艶やかな黒い羽毛を撫でる。夜天翡翠はされるがまま、既に主人扱いしている彼へ羽をこすりつけるように身をすり寄せた。
「あはははっ、くすぐったいぞ。お、それにしてもマルク遅いなぁ。あそこ誰かいるっぽいし、使っていいか訊きに行こうか」
快活に三ツ足鴉と戯れながら、唐突に大きめな声を出す。
練兵場のような広場に2人ほど立っていた。大人と子供だ。何やらそれぞれ手に武器のようなものを持っていた。
(槍? っぽいな)
「カアッ!」
夜天翡翠も「行こう!」と啼く。
「五分くらい待てねーのか、お前は」
アルはその声の主へ、
「あ、マルク待ってたよ」
平然とのたまった。
「どの口が言ってんだ? ああ? 走れってか?」
アルはマルクの魔力に気付いてあんなことを言ったのだ。マルクの耳ならエーラほどではないが拾える。アル流の「早く行こうぜ!」である。
「まーまー。で、あそこって使えるの?」
「半分はいつでも自由に使っていいらしい。領軍の訓練なんかもやってるらしいから、残りの半分は駄目だそうだ」
「もう行ってみた?」
「いや、昨日までは疲れを抜くことにしてたからな。凛華でさえ行ってねぇはず、つーかあいつらはお前の部屋に入り浸ってたぞ」
「だろうね。起きたら隣で寝てたから予想は着くよ」
「はっ? 寝落ちしたのか、あいつら」
マルクがさすがにぎょっとする。おいおいと親友を見れば、
「不用心だろ? もうちょっと注意するよう言っとかないと」
アルはそんなことを言った。
「お前が言わなくても、あいつらは大丈夫だと思うぞ」
朴念仁というか、あえて蓋をしている彼の事情を知っているマルクに言えるのはそれだけだ。
「え? なんで?」
「なんででもさ」
あの鬼娘と耳長娘は想い人以外には意外と素っ気ない。
昔からの友人であるマルクや慕ってくれる年少らには砕けて接しているが、それでも雰囲気に明確な違い――彼女らなりの線引きがあるのだ。
たった一人それを知らないアルは、不思議そうに首を傾げるのだった。
~・~・~・~
練兵場にいた人物は、アル達より少々年下の少女と初老の男性だった。
やってきた2人にあちらも気付いたらしく、こちらを振り向くと、男性の方が目を見開く。
「君は……! 目が覚めたようで何よりだ」
白髪の混じった黒髪の男性はアルへ話しかけた。
「へ? 癒者の方、ですか?」
「違うぜ、アル」
マルクは知っているらしい。
「すいません、どなたでしょうか?」
アルは誰何した。
「ランドルフという。アルクス君、だね?」
「はい。ええと?」
妙に緊張したランドルフという男性にアルは戸惑う。
――この空気は、一体?
「トビアスの言っていたことがわかった。確かに君の眼は息子に――ユリウスにそっくりだ」
「っ!? じゃあ、あなたは……」
今度はアルの方が目を見開いた。ユリウスを息子と呼び、この都市の領主を呼び捨てに出来る人物。
「君の祖父に当たる、ランドルフ・シルトだ――と急に言われても反応しにくかろう?」
「え、ええ。はい、まあ」
他人行儀とと云うより、本当に困っているように見えるアルに、ランドルフは然もあらんと頷く。
ランドルフ側はユリウスの面影を感じることが出来ても、アルクス側にそんなものはない。
他人がいきなり自分の祖父や叔父だと言ってきても、戸惑う他ないだろう。
「君が起きたと言うことは、彼らも含めて我々と顔を合わせて食事が摂れると言うことだ。そのときに是非とも話を聞かせてほしい」
「わ、わかりました」
アルがやはり困り顔で返事を返す。そのとき、ランドルフと名乗った男性の後ろから少女が声を上げた。
「お爺様、その方々は何ですの? 祖父とか聞こえましたけれど」
深い茶髪の少女が興味津々な様子でこちらを見ている。ソーニャの栗色髪とは印象が異なり、癖のありそうな髪を適当に纏めていた。
手には幅広い穂先を持つ金属槍と、小さめの丸盾を持っている。
「孫のイリスだ。イリスや、後で説明するがお前の従兄に当たるアルクス君と、彼の仲間のマルクガルム君だ」
アルとマルクは「よろしく」と一言だけ挨拶をした。
すると”親戚”という単語に反応したのか、イリスはアルの前にぴょんと飛び出すように出てきて、好奇心旺盛な様子で口を開く。
「イリス・シルトですわ! お父様が何やら慌ただしくしていたのはこの為でしたのね!」
「あ、ああ。いや寝てたから知らないんだけど、そうなんだね」
珍しく困惑しきりのアルがそう応えれば、
「ふむふむ。従兄と言う割にはあまり似てませんのね?」
イリスは返事も待たず、やいのやいのと矢継ぎ早に語り掛けてきた。
「それは俺に言われても」
煮え切らぬアルの返答も聞いていないらしく、イリスが隣のマルクへ視線を向ける。
「そちらのマルクガルムさんでしたか。武器をお持ちでないようですけど魔族の方なんですの?」
「えっ? おう、そうだけど。てかそこのアルも魔族だぞ」
さしものマルクも勢いに呑まれそうだ。
「えっ、アルクスさんは魔族なんですの? 魔族の方は初めて見ましたわ! ……ふーむ、それにしてもマルクガルムさんも、アルクスさんも、見た目はあまり私達人間と変わらないんですのね」
「そりゃ俺は人狼だからな。あとマルクでいい。言いにくそうだし」
「人狼! あの人狼族ですか!? 一度魔法を見せてもらいたかったんですの! 見せてもらってもよろしいでしょうか!?」
機関銃のような勢いで捲し立ててくるイリスに、圧されながらもマルクが律儀に応える。
アルはというと『こりゃ大変そうだ』と対応を気使い屋の友人に任せたらしく、「おいっち、にー」などとわざらしく準備体操を行っていた。
(普段そんな丁寧にやってねーだろ!)
マルクはツッコミたい気分でいっぱいだ。
「お、おう。ここにはアルと稽古しに来たから見せられるぞ」
「ほっほう! それは興味ありますわ! 是非見させて頂きたいですわね!」
イリスが鼻息も荒くマルクへ視線を向ける。ランドルフは孫の後ろで、すまんと言いたげな仕草を執っていた。
顔はちっとも似ていないが、好奇心旺盛なのはどこぞの従兄とそっくりである。
「構わねえよ、なぁ? アル」
「今更だし、いいんじゃない?」
かなりの人数に戦いを見られた。ランドルフもこのイリスという少女も親戚だと云うのなら、殊更こちらの手をバラして回ることもあるまい。
それにいつまでも手札を増やさないのも考え物だ。そう判断してアルが許可を出す。
「いいってよ。ちっと離れときな、魔力も使うから危ねーぞ」
「ええ、わかりましたわ!」
イリスは勢いよく頷いて、ぴょんぴょんとランドルフの手を取って離れて行った。目は期待にキラキラと輝いている。
危ないから、と今までは遠くからしか見せてもらえなかったせいだ。
これでもシルトの箱入り娘。憧れている武芸者同士による生の闘いを見てみたくてしょうがない。
孫に手を引かれたランドルフも、アルとマルクの闘いを見物することにした。
聖国の神殿騎士150名以上を打ち倒したと云う彼らの実力を、まだどこかで疑っている己がいたのだ。
程なくして、軽く身体をほぐしていたアルとマルクが見合う。本当は魔力の鍛錬からやりたかったのだが、こうなってしまった以上は致し方ない。
「アル、『封刻紋』を解いて良いぜ」
「えっ? でもさ」
「もう知られてるだろうよ」
「あぁ……ま、そうか。じゃそうする」
マルクの指摘に、トビアスが報告してないはずもないかとアルは思考を切り替えた。
追われていた際に『八針封刻紋』を解除して戦わなかったのは、聖国の連中に少しでも情報を与えたくなかったからだ。一旦、それも終わらせていいだろう。
アルが心臓の位置に左手を翳す。カチカチカチッと針を回す音が聞こえた――と、同時に黎い髪が灰色に、赤褐色の虹彩が緋色に変化する。
解いたのはいつも通り5針――3時までだ。
「おおっ! お爺様! 従兄の髪色が変わりましたわ!」
「うむ、そうだな」
割とデカい声のイリスと、これは知らなかったという顔のランドルフを無視して、アルは刃尾刀を引き抜いた。
今度はマルクがゆらりと【人狼化】する。
「あれが人狼族の魔法ですか! かっこいいですわね!」
「うむ、勇ましい姿だな」
イリスとランドルフが逐一反応する。
「やりづれぇけど、まぁいいか」
「だね」
アルがそう言って龍眼を発動させた瞬間、マルクが練兵場の大地に浅い亀裂を作った。人狼の脚力で一気に飛び出したのだ。
「はッ!」
一瞬で間合いを詰めた人狼が、アルの太ももを狙って蹴脚を放つ。
ボヒュッ! と風切り音をさせて迫る蹴りを、アルはひらりと左半身を引いて躱し、引き動作の反動を利用して斜め右下から左上――変則的な右の片手逆袈裟に斬り上げた。
回避と反撃が連動している。アルが一番慣れている闘い方だ。
マルクはその斬り上げを安易に受けず、蹴りの勢いを利用してアルの横を抜け、蹴り足が地に着くや否や急転。
狼爪を素早く三連撃叩き込む。
ヒュ……バババッと空間を引き裂くような凶爪に、アルも一歩として引かない。
表情を変えず、初撃を紙一重で躱し、二撃目を峰で逸らし、三連撃目を柄頭で弾きながら体勢を低く執り、反撃の一太刀を放った。
最も得意とする、低い体勢からの片手逆袈裟斬り。マルクもそれに対して左の膝蹴りを放つ。
ゴッ――――!
鈍い音をさせて、刃尾刀と人狼の膝がぶつかり合った。一瞬の膠着。
衝撃をぬるりと流したアルが、すぐさま刃を閃かせる。
しかし、マルクも力押しで戦っているわけではない。
受け流されたと見るや、足をタンとついて狼爪を纏め、小さく細かい突きを放つ。
人狼の膂力と人間染みた骨格で放たれる狼爪は、豪快に振るわれる爪よりも躱しにくく、貫通力も高い。
それでもアルは引かない。独特の間合いと歩法で打点をズラし、時には鞘まで使って凌ぎ、躱しざまには必ず急所へ一太刀放り込む。
至近距離、どちらも必殺の間合いだ。狼爪と刃尾刀が幾度も火花を散らす。
しかし均衡はすぐに崩れ――……やはりというか、果たして軍配はマルクに上がった。元の膂力が違うのだ。
体勢がズレたアルに人狼がボ――ッと蹴りを放つ。
避けきれないと判断したアルは跳躍。蹴りが入る瞬間、自ら錐揉みするように吹き飛ばされながら刃尾刀を左に振るった。
ドフ……ッ!
「うぐっ!?」
ガン……ッ!
「がっ!?」
左肩を蹴り飛ばされたアルと、左頬をブン殴られたマルクがそれぞれ出した音と声だ。
マルクが踏ん張り、アルがズザアァァ――ッと後ろへ滑りながら着地する。
「準備運動は終わりでいい?」
「おう。そろそろ本気でいいぜ」
ニッと好戦的な笑みを浮かべる灰髪の青年に対し、ワインレッドの人狼青年も裂けたような口の端をニヤリと吊り上げてみせた。実戦稽古はまだまだこれからだ。
イリスはその光景に大興奮である。
「お爺様! マルクさんも従兄も凄いですわ!」
「……うむ、そうだな」
ランドルフは頷いてみせた。
魔族と云えば、魔法を使った豪快な戦闘だと予想していたがまるで違う。
――彼らの稽古は、その戦い方の先にあるものだ。
技術と術理を理解し、頭脳も絡めた戦闘。人狼の膂力で拳闘家のような戦い方をすればどうなるか、嫌でも理解させられる。
また風切り音だけでも威力や貫通力の高さが伺えるそれを、アルは平然と受け流し、逸らし、反撃に転じていた。
――どんな胆力をしていたら、あんな死地で剣を振るえるのか。
ランドルフはそれと同時に疑問も覚えた。
(確かに高い技術だ。だが、百五十名以上の神殿騎士を下すには時間が掛かり過ぎぬか?)
見る人が見れば高水準だと理解できても、彼らの闘いは大勢を打ち倒すそれではない。
これはランドルフが年長者で、かつこの都市の領主だった経験もあるがゆえに感じたことだ。
(やはり『黒鉄の旋風』がほとんど倒したんじゃなかろうか?)
そう思ってしまう。
しかし次の瞬間、その予測が見当外れだったことを悟らされた。
「な……っ!?」
「っ!?」
アルとマルクの魔力が一気に激しく膨れ上がったのだ。今までのは準備運動――それが正真正銘の真実であったかのように。
「しッ!」
体内の魔力を戦闘状態に持っていったアルが、目にも止まらぬ速さで蒼炎杭を投げる。
「よッ、と!」
マルクは前方へ、トォン! と跳躍。その背後で躱された蒼炎がドガァァァ――ンッ! と爆ぜた。
その衝撃と爆風を利用したマルクが一気に迫り、踵落としを叩きつけるべく狼脚を振り上げる。
「『蒼炎気刃』!」
それに対し、アルは身幅の2倍ほどもある蒼い刃を刀に纏わせ、迎え討つように跳び上がって剣技を放った。
――――六道穿光流、水の型・風の型混成技『流吹断・騰車』。
独楽のように上昇回転技を放つアルに、
「チッ、『雷光裂爪』!」
マルクが舌打ちと共に踵落としを中断、雷鎚を纏わせた狼爪で剣技を受ける。
ギャリィィィ――ッ!
と、いう衝撃音とスパークが弾けた。
直後、互いの攻撃で起こった衝撃に弾かれた両者が、ほぼ同時に属性魔力を遠慮なしにぶつける。
アルの口から噴射される蒼炎と、マルクが両手で放つ雷撃が練兵場の地面をガラスへと変えながら激突した。
属性魔力のぶつかり合いならば、魔法に魔力を割く必要のないアルの方が断然有利だ。
稲妻を弾き潰して蒼炎が押し切った――が、マルクの姿がない。
「っ!!」
一瞬動きを止めたアルの後方から雷狼爪が襲いかかった。押し切られた瞬間、風に乗るようにしてマルクが背後を取ったのだ。
アルは『蒼炎気刃』を再度発動させ、刃を打ち合わせるようにしてどうにか大地へと受け流す。
ガガガガガ……ッ! と、凶悪な狼爪が地面を大きく引き裂いた。
「しッ!」
お返しとばかりにアルが蒼炎を纏った刃尾刀で一文字斬りを放てば、マルクは崩れ落ちるように伏せ、
「だッ!」
その状態から驚異的な体幹で足払いを返す。
いちいち闘気を変換した高密度の属性魔力が交わされるので、大地に大穴や深い熔断痕が残っていく。
「『裂咬掌』ッ!!」
アルは距離ができた途端――左手を握り込むように魔術を発動させた。『裂震牙』と定型術式『障岩壁』を用いて作った独自魔術。
突如として地面からグバアア――ッと出てきた岩の掌が、人狼を握り潰さんと掴みかかる。
「こんなのまで作ってたのかよ!」
マルクは指の間をスレスレに跳んで躱した。
「まあね! 『裂咬掌・覆累』」
ゴバゴバッと生み出された岩掌がマルクを叩き潰さんと落ちてくる。
「チ、イッ!」
都合3つ生み出された岩掌が人狼の体勢をほんの少しだけ崩した。
(ここ……!)
消えたかと見紛うほどの速度で一直線に駆けたアルが、片手平突きを入れるべく突喊。しかし――――。
「こんのッ! ナメんな! ゥ゛アオオオオオオオ――――ッ!」
マルクは指向性を持たせた魔狼の咆哮を放った。アルがやっていたのを見て使えると覚えたものだ。
単純な術理ゆえ簡単に真似できるが、鍛えた上げた魔力でもなければ効果はない。
土を巻き上げながら迫る咆哮に身を引くアルだったが、マルクはその移動速度まで読んで扇状にバラ撒いていた。
「ぐ、ぅっ!?」
綺麗に直撃して平衡感覚を失い、グラリとたたらを踏む。
「もらい!」
そこへマルクが一足飛びに間合いを詰めた。
後は雷爪を寸止めすればマルクの勝ち。が、そうはさせじとアルがたまらず魔術を叫ぶ。
「っく、『蒼炎羽織・襲纏』ッ!!」
途端、轟々と燃え盛る蒼炎が、アルを幾重にもぶわりと包み込んだ。
(っ!? これだ、あの大規模術式を弾き飛ばした魔術の正体。コイツ、『蒼炎気刃』を着込みやがった!)
マルクは目を見開き、経験から術の内容を看破した。
彼の見立て通り、この『蒼炎羽織』はアル自身を刀身に見立てた魔術。つまり、全身に闘気を纏っているのと同じである。
殴るだけで神殿騎士の胸甲を貫ければ、楽だと考えて弄った術だった。
瞬間的に発動しなければ、魔力の多いアルでも激しく消耗するが、これだけの闘気と高密度の属性魔力であれば頑丈な人狼の毛皮にだって損傷を与えられる。
(本来の用途じゃ使えてないけど、悪くはなさそう……!)
アルは内心でそんな判断をしつつ、マルクの雷爪を掻き消して腹をドゴッと蹴りつける。
「ぐおっ!?」
マルクは強烈な衝撃を受けて吹き飛び、ザザアアア――ッと地面を滑りながら腹部を押さえた。
「マージかよ、お前」
(魔法使ってる人狼に、とうとう武器なしで攻撃通しやがった!)
高揚感を抑え切れずにマルクが好戦的な笑みを漏らし、「どうだ!」と言わんばかりにアルがニカッと笑う。
それを見ていたイリスは口をぽっか~んと開けていたが、ハッと我に返り、
「おっ、お爺様! とんでもないですわよ、あの二人!」
と隣の祖父に呼び掛けた。しかし、反応がない。よくよく見てみればランドルフもイリスと同じように呆けていた。
「お爺様!!」
「はっ、い、いかん! イリスの言う通り、とんでもないな。というか、あれで稽古なのか」
長く生きてきたランドルフでも驚愕を隠せない。地味などと一瞬でも思った自分が浅はかだった。
いまや練兵場の3分の1ほどがボロボロだ。しかし、自分達の方へ危ないモノは一切飛んできてない。
それは、あの2人が冷静だという何よりの証左。おまけにトビアスが報告していた強烈な殺気とやらが彼らの間にはない。
本当に稽古でやっているのだ。そもそも真剣で稽古すると云うのがまず人間側の主流ではない。最悪でも刃引きくらいはする。
彼らが神殿騎士を倒したのだ、という事実が心の底から理解できた。
――並の兵にあれらの相手など到底できん。
そんな彼らはまたぶつかり合っている。迸る熱気が凄い。
イリスがまた口を開けてしまった。貴族令嬢としてあまり良いことではないが、気持ちは痛いほどにわかる。
ランドルフも再度吞まれるように彼らの闘いに釘付けになってしまった。
~・~・~・~
幾度かわからないほどに狼爪と刃尾刀が火花を、蒼炎と雷爪が放電を散らした頃合いで、よく通る声が練兵場を駆け抜ける。
「こらあああぁぁぁっ! あんた病み上がりでしょうがあっ!!」
「アル! 起き抜けに何やってるのっ!?」
「「あ、やべ」」
怒り心頭の凛華とプンプン怒っているシルフィエーラがアル達の下へ走ってきた。
しまったと刀を納めたアルと、人間態に戻ったマルクが顔を見合わせていたところへ2人が駆け寄り、そのまま張り倒す。
「「ぐえっ」」
「言い分を聞いときましょうか?」
鬼娘がメキッと拳を握り込み、
「凄い魔力が動いてたけど元気になったんだねぇ~、アル。ボクらがあれだけ心配してたのに起こしもしないで、よく外出て行けたねぇ? マルクもなんで止めなかったのかな?」
耳長娘も明らかにブチキレた雰囲気でニコニコ笑う。マルクは既に正座していた。
ハッとしたアルも大人しく正座して、言い分とやらを口にしてみようと無謀にも口を開く。
「おはよっ。あの、あれだよ? 起こさなかったのは、二人共気持ちよさそうに眠って――」
「あ゛ぁん?」
「すいませんでした」
駄目だった。
(言い分、聞く気ないじゃん!)
サッと頭を下げたアルに、凛華とエーラが顔を見合わせて「はあっ」と息を吐く。
「まったく。で、体調は?」
「もうばっちり。世話掛けたね」
凛華の問いかけにお手数をお掛けしました、とアルがぺこりと一礼。
「ん~? んん~? ホントにいつも通りっぽいね」
のほほんとした雰囲気を敏感に感じ取ったエーラが近寄って観察する。
「うん。昨日――じゃなくて一昨日はちょっと余裕がなかったんだよ。もう大丈夫」
記憶も薄いがきっと一昨日は無意識に限界を感じ取って、神経が過敏になっていたのだろう。
そこへ、ラウラとソーニャがパタパタと駆けてきた。
「アルさん、目を覚まされたんですね!」
「うん、心配かけたみたいでごめんね」
嬉しそうに笑うラウラにアルは素直に謝った。体調管理も自己管理の内だ。まだまだ未熟だなと心中で溢す。
「大事ないようで安心したぞ、アル殿。しかしこの惨状は……?」
「「稽古で」」
ソーニャの問いにアルとマルクは同時に答えた。
「なるほど。正座してるわけは理解できたぞ」
「カアッ!」
「あ、翡翠終わったよ。ご飯にしようか?」
稽古が終わったのを察知した夜天翡翠が飛んできてアルの左肩に留まる。
「まあっ! その鴉は使い魔ですの!?」
更にそこへ、イリスが乱入してきた。
「君、だあれ?」
エーラがコテンと首を傾げて問うと、
「イリス・シルト――アルクス兄様の従妹ですわ! 森人の方、で合ってますわよね? それで、その鴉は使い魔ですの?」
イリスは胸を張って応え、興味津々な視線を夜天翡翠に送る。
「シルフィエーラだよ、エーラって呼んで。この子はアルの師匠に貰った三ツ足鴉っていう種類の魔獣だよ。魔獣だけど賢いから襲ってきたりはしないけどね」
「初めて見ますわ! アルクス兄様、撫でてもよろしいかしら?」
「ん? あぁうん、いいよ」
「ありがとうですわ! お、おぉ~っ! あなた、綺麗な羽してますわね!」
「カア? カァ~」
「名前は夜天翡翠よ。翡翠って呼んであげて」
「翡翠さんですわね。憶えましたわ」
好奇心旺盛な孫を見ながら、ランドルフはなんとなく彼らの関係性を理解した。
舵取りをしているのはアルのようだが彼と仲間達の関係は、人間であるラウラとソーニャも含めてほとんど並列的だ。
一昨日、寝室に運び込まれたアルを見て沈んでいた彼女らが今は一気に華やいでいる。
――ようやく息子の話が聞けるのか。
和やかな彼らとは対照的に、ランドルフは緊張と不安を覚えるのだった。
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