19話 狂い出す盤面(虹耀暦1286年9月:アルクス14歳)
2023/10/10 連載開始致しました。
初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。
なにとぞよろしくお願い致します。
〈ヴァルトシュタット〉を最後に出た『黒鉄の旋風』の頭目レーゲンと女性剣士ハンナが、ラウラとソーニャを乗せた幌馬車を追う準聖騎士ディーノ・グレコ率いる神殿騎士部隊に追いついたのは、午前8時を過ぎた頃だった。
街からおよそ20km地点。
「見えてきた!」
隣を駆けるハンナの声をよそに、レーゲンは脳にチラつく不審に意識を傾けていた。
と、云うのもこれまで走って来た街道に転がっていた神殿騎士の死体が少なすぎるのだ。
それがなぜなのかは、騎馬の列を見ればすぐにわかった。
単純に騎士の数があまり減っていなかったのだ。
「あいつらが……倒しあぐねてるだと?」
俄かには信じられない。
個人で三等級武芸者のレーゲンをいとも容易く追い詰めたアルクスとその仲間達、更に己の一党に所属する双子の四等級。
ラウラとソーニャ以外は基本的に強者だ。そこは間違えようがない。
しかし事実として、彼らに追い縋っている神殿騎士共は想定よりずっと多かった。
つまりあの8人でも仕留めきれずにいるということ。
「何がどうなってるの?」
事態に気付いたハンナの呟きとレーゲンの心の声がピタリと一致する。
「とにかく急ぐぞ!」
どこぞに潜んでいた位置からずっと走ってきている彼らの馬よりこちらの馬の方が体力は残っている。
「ええ!」
馬を加速させるレーゲンにハンナも抜剣して追従した。
作戦が不穏の暗礁に乗り上げつつあるのを感じ取り、意識を次善の策へと切り替えていく。
次善の策。上手くいかなかったときの保険。
自分達はその役目も担っているのだから。
☆ ★ ☆
銃弾も斯くやという速度で迫る土塊にアルは舌打ちを一つ溢して風を放った。
追っ手との差は少し前からかなり詰められてしまっている。
幌馬車の尻と先頭の追手との間には3馬身差もない。
剣を掲げた神殿騎士共はそこから土を圧縮した弾丸や刃のような風を撃ち放ち、弓を持っている者は絶えず矢を射かけてきている。
――ヤツらの装備……ラウラの杖剣と似てる気がしたけど違うらしい。
既に幌の後ろ半分は破れて、千切れ飛んでいた。バタバタと靡いて鬱陶しい。
「くっそぉ、このままじゃヤベえぞ!?」
「わかってるわよ!」
「余裕ないから泣き言はあと!」
御者を務める『黒鉄の旋風』の剣士ヨハンの悲鳴とも取れる叫び声へ、凛華とシルフィエーラが怒鳴り返す。
双子の妹であるエマは、槍を適当なところに引っ掛けて盾を構えていた。ヨハンの守りだ。
その隣では同じくソーニャがダビドフに打ってもらった魔剣を置いて、ラウラの近くで盾を構えている。
そのラウラは飛来する矢の塊を『雷閃花』で果敢に打ち落としていた。
しかし彼女は人間だ。
幾ら魔力増幅効果を持つ杖剣と云えど、それは放出時に術式や属性魔力に作用するというだけで、ラウラ自身の魔力が増えると云うわけではない。
(この調子じゃ、魔力が保たない……!)
彼我の数に開きがあり過ぎるのだ。
前回と違って、こちらを侮る気配も薄い。
そしてアル達が焦っている最大の理由。
それは、追っ手が一向に減らないこと。
その原因は――――。
「あの先頭のヤツどうにかしねえと、こっちのが通らねえぞ!」
マルクの言う通り、先頭を走る首元の赤い胸甲をつけた騎士がこちらの攻撃をとことん防ぐ――否、握り潰すせいだ。
アルはもう一度、蒼炎弾をゴウッと吐き出す。
飛来する矢弾をほとんど焼き払って放たれた直径3m越えの巨大な蒼炎が、同じく巨大な不可視の掌にドウッと防がれ、そのままボシュ……ッと握り潰された。
「くっそ!」
苛立たし気に悪態をついたアルは『釈葉の魔眼』を発動させて視線を巡らせる。
そしてすぐさま気付いた。
ある一点に視線をやった瞬間、突発的な頭痛に襲われたのだ。
(あれはマズい。一発で失明するやつだ。ヤツの右腕、あれはきっと……)
「魔導具か!」
本能的に右瞳を閉じながら忌々し気に吐き捨てる。
より正確に云うと、あの騎士が右手に装備している小手。
それが脳に突き刺さるような鋭痛を感じた原因だ。
「魔導具……ってことはアイツが聖騎士ってやつか!」
「話に聞く限りならそうっ、です!」
マルクに応じつつ、ラウラが『水衝弾』を斜め上空へと放つ。
放出魔力の増大効果を与える杖剣によって発生したアルの蒼炎弾級の水弾が矢を打ち払った。
「しつっこいわよ!」
続いて凛華が放った冰柱が敢え無く”不可視の右手”によって砕かれ、
「もう、邪魔!」
速射されたエーラの矢が同じく手の甲で防がれたのか中空に刺さる。
(ち……やっぱり”不可視の右手”が問題だ)
アルがたまらず『八針封刻紋』を解除しようと左胸に手を当てたところで、
「アル殿っ、あれを! 後方だ!」
ソーニャの声が響いた。
最後尾の方へ視線を向けると見知った2人――レーゲンとハンナが後ろから騎士を屠りながら馬を飛ばしている。
次善の策。挟撃の形が成ったのだ。
「間に合ってくれたか!」
アルと同時に彼らを見つけたマルクが喝采を上げ、
「おぉぉ~、レーゲン信じてたぜぇ~」
「情けない声上げない!」
ヨレヨレの快哉を上げるヨハンにエマが喝を入れる。
慌てたのは神殿騎士側だ。個人三等級の武芸者の実力は伊達ではない。
「うおおおおおッ!!」
レーゲンが最後尾付近の騎士の合間を縫うように馬を走らせながら、思い切り大刀を振り抜く。
斬馬刀の役割も果たせるほど長く、重量のある大刀は騎士共の首や肩口、胴、果ては馬脚まで重厚感のある音と共に斬って落とす。
「しッ! はああッ!」
更にそのすぐ後ろを駆けるハンナが、彼の屠った方とは逆側にいる騎士共の目に首、膝裏、足首など鎧の隙間を縫うような剣閃で的確に貫き、斬り裂いていく。
「なんだアイツらは!?」
先頭にいた聖騎士と思わしき男――ディーノも異変に気付いたようだ。
首を背後へ向けて指示を飛ばす。
「馬鹿共が! 散開して叩け! その程度の数に何を圧されてやがる!」
「「「「はっ!」」」」
さすがに神殿騎士の動きも素早い。
慌ててつつも、後方の騎士連中が矢印を作るように列を開いていく。
レーゲンとハンナそれぞれを各個に潰すつもりらしい。
しかし――――。
「やーっと見えたっ!!」
「馬鹿はお前だ」
エーラとアルによる8本の矢と拳大に凝縮された5発の蒼炎弾が、勢い良く扇状に速射された。
”不可視の右手”は巨大だが、広がった騎兵を守る切れるほど大きくはない。
「チ……ッ!?」
慌てて射出点に近い根元を防ごうとしたディーノが”右手”を伸ばすも、
「てめぇはこれでも防いでな」
「こっちよ馬鹿騎士」
マルクが雷撃を、凛華が冰槍をドカ撃ちする。
ディーノは殺到した属性魔力を防ぐため、咄嗟に己の前へ”右手”を突き出した。
直後。ドドドオ―――ッ! と、冰雷が炸裂する。
その間に、アルの蒼炎弾がハンナの周囲にいた騎士に着弾してド派手に爆発した。
「「ぎゃああああッ!」」
「熱いッ熱いッィィィィ!」
轟々と燃え盛る死招きの炎が、馬も騎士も丸呑みにして灼き尽くしていく。
「がぁぁぁ――ぐえッ!?」
「助かるわ!」
蒼炎の熱波に腕を嘗められた騎士の隙を突き、ハンナが幅広直剣を首元に叩き込んだ。
一方、エーラがパヒュ――ッと放った矢は、一度斜め上空へ舞い上がったかと思いきや途中でカクンと向きを変え、レーゲンの周囲にいた騎士共の目や首元にあらぬ方向から刺さる。
「ぐげふっ!?」
「いぎぃっ!?」
「う、ぎゃああッ!?」
猟犬を模した甲冑兜の隙間や鎧の継ぎ目に矢が突き立つのだから堪らない。
「軌道が読め――なギャアッ!?」
「ありがとよ、嬢ちゃん」
痛みに呻き、悲鳴を上げるそいつらをレーゲンが大刀の豪快な二振りで刈り取った。
「クソ共がぁっ!」
キレたのはディーノだ。
あの武芸者らしき2人が現れてから一気に20名近くを失った。
圧倒的な数の優位が崩れようとしている。
「そっ、こおッ!!」
先程までは迎撃に手一杯で余裕のなかったエーラは、この機を逃さぬとばかりに風を呼んで矢継ぎ早に射掛ける。
――今の内に!
『妖精の瞳』が鮮緑に輝く。
直後、半弓型の複合弓から放たれた矢が風に弄ばれるようにクルクルと複雑な軌道で舞い、騎士共の目前でぶつかり合ってパアンッと弾けた。
「ぐああッ!?」
「目が!? 俺の目があッ!」
彼らの甲冑兜の隙間に砕けた木片や屑が入り込み、目や呼吸器にダメージを与える。
中には噎せ返り、落馬する者までいた。
「一気に殺るぞ!」
「わかってるわ!」
激痛に苦しむ敵に向けてレーゲンとハンナが一直線に馬を駆り、怒涛の勢いで物言わぬ骸を量産していく。
眼や呼吸が十全に機能しない鎧騎士など只の木偶も同然だ。
「調子に乗りやがって!」
怒りを露わにしたディーノが、不届きな武芸者に自ら手を下さんと馬首を向けかけたところへ、
「お前はこっちだって言ってるだろ」
冷え切ったアルの声が届く。
ハッとして視線を慌てて戻せば、目前に極大の蒼炎弾が迫っていた。
「畜生! クソ魔族がっ!」
冷や汗を噴き出したディーノが”不可視の右手”を翳してギリギリで受け流し、お返しとばかりに剣から弾丸のように土塊を連射する。
が、アルは蒼炎を噴射してそれら全てを熔かした。
一進一退の攻防だ。
その瞬間――――。
「カア――ッ! カアカアッ!」
上空にいる夜天翡翠が何かを警告するように大きく啼いた。
一体なんだ!? と、見上げたマルクが正しく事態の急転に気付き、呻くように叫ぶ。
「やべえ……! 後ろにまだいやがった!」
その声にアルとディーノは奇しくも同時に意識を後方へ飛ばした。
「援軍!? まだいたのか……!」
次いで前者がマルク同様唸るように呻き声を漏らし、
「よォしっ! よくやったぞ貴様ら!」
後者が喜色に溢れた歓声を上げる。
そこにいたのは、ディーノが新街道方面に向かわせた神殿騎士50名だった。
彼らは報告の為に旧街道を辿って〈ヴァルトシュタット〉周辺に待機していた4名と合流し、すぐさまこちらへと向かってきたのだ。
先行していたディーノらに追いつくにはそこそこ急がなければならなかったが、戦闘中の彼らは速度が緩んでいた。
迎撃に注力するため、止むを得ずアルが質量軽減術式を切っておかざるを得なかったのも響いている。
「最悪だぜ、ド畜生」
マルクが呟き、
「ってどうするの!?」
「このままじゃレーゲン達が!」
エマとヨハンが仲間の安否を気にして叫んだ。
彼ら双子の所属する一党の頭目と副頭目は未だ敵の群れの只中。
そして今の臨時頭目はアルだ。
7名の視線が集中する。
「…………」
アルは一瞬沈黙し、脳が沸騰しそうなほどに思考した末――……。
「幌を全部外す! 手伝ってくれ!」
指示を飛ばした。
どうするつもりなのかはわからないが、とにかく急げとばかりに凛華とマルクが動き出す。
「エーラは準備を!」
2人と同時に幌へ手を掛けたエーラをすかさずアルが止めた。
「準備って?」
「植物に頼んで二人の通る道を作ってもらってくれ。今ならまだ、間に合う」
「道……わかった!!」
エーラは強く頷くとすぐさま風の精に頼んで、周辺からそこいらの植物の根や種子を集めてもらい始めた。
「二人は警戒を最大限に。幌がなくなる」
「わかりました!」
「承知!」
ラウラとソーニャもコクッと頷いて見せる。
きっと何か策があるのだ、と信じて。
「翡翠! 二人のところへ行け! 先導するんだ!」
「カアッ!」
指示を受けた夜天翡翠がひと啼きして勢いよくレーゲンの下へ飛んでいく。
あの二人も追加の敵に気付いているだろう。
――仕掛けられる前にこっちに合流させないと。
「外したわよ!」
「マルクはデカい雷撃の準備。合図したらド真ん中に撃ってくれ」
凛華に視線で応じたアルが続いて指示を出し、
「任せろ!」
バチィ……ッ! と、雷鎚を両手に纏わせたマルクを横目に、幌を適当にグシャグシャに畳んだ。
「ラウラはこれを水浸しにしてくれ!」
「はい!」
姿勢を低くして矢弾を迎撃していたラウラがパッと身を翻すと、荷台の底を水浸しにする勢いで幌を濡らす。
元々撥水性の高い幌布だが、それでも濡れているかいないかで大きく違う。
「凛華、俺が投げたら出来るだけ広がったときに一気に凍らせてくれ。分厚く頼む」
「分厚くね、それなら得意よ! 任せなさい!」
威勢の良い返事を耳にしながらアルは己の魔力を幌布にたっぷりと注ぎ込んだ。
(よし、これで大丈夫……なはず)
幌に充分魔力が行き渡ったと見るや仲間へ呼び掛ける。
「みんな、準備は!?」
「問題ねえ!」
「いつでもいけるわよ!」
「出来てる!」
返答に頷いたアルは、濡れて重くなった幌を背負投げするように引きずって、体勢を整えるや否や合図を出した。
「マルク! 雷撃!」
「おら、よぉっ!」
次の瞬間、バヂィィ――ッ! と空気を劈く音を立てて青白い雷光が放たれる。
「な!? チイッ!」
籠められた魔力と初速に目を剥いたディーノが”不可視の右手”を掲げて防いだ。
「エーラは矢を! 街道のド真ん中だ!」
「行っくよー!」
その間にアルの指示の下、上空へとエーラの矢がヒュヒュヒュヒュンッ!と放たれる。
都合4射、普段とは違って捻じくれの目立つ節だらけの矢だ。
アルは間髪入れず「よいっ、しょお!!」と背負投げの要領で幌を投げた。
濡れた幌布がバッと広がりながら街道に放り出され、
「凛華!」
「ここよ!」
極力幌の面積が広がったタイミングを見極めて凜華がヒュオォ――ッと凍らせる。
すぐさま幌布がゴツゴツと歪に凍てついていき、10cmほどの厚みを持った一枚の冰壁へと早変わりした。冰鬼人だからこそ成せる芸当だ。
そこへすかさずアルが起動待機させていた魔術を発動。
「吹っ……飛べえっ!」
初めて覚えたアルの十八番。
冰壁と化した幌に『念動術』がかかり、騎兵連中の中心を貫くように飛んだ。
オマケにただの『念動術』ではなく、アル独自に弄った『念動術』だ。
ベクトルを弄られた冰壁が見た目の重量とはアンバランスな速度で、歪にガンガンとバウンドを繰り返して転がっていく。
「くッ……そが!」
「ひぎゃアッ!?」
スレスレで馬を退避させたディーノの代わりに騎士の一人が圧し潰され、不規則なバウンドが馬脚を折る。
「お、わあッ!?」
「散開っ! 散開しろぉっ!」
慌てて叫ぶ騎士共が左右に分かれ、中心の列がポッカリと空く。
そこにエーラの矢がカカカカンッと順々に落ちていき、ギュルリと捩れるように一気に開いた。
根やツタで出来た即席スロープだ。
「カアカァッ!!」
「あれ通れってんだな!?」
「行くわよ!」
レーゲンとハンナが三ツ足鴉の誘導に従って馬を駆け込ませる。
「行かせるか!」
「邪魔すんじゃねえ!」
妨害しに来た騎士を先頭のレーゲンが大刀を振るって阻止。
と、同時にエーラの作った細道の柵となっていた根が蠢いて、ギュバッと外側へ棘を突き出した。
これには騎士より馬が泡を食って細道から遠ざかっていく。
「くそぉっ! ”霊装”を――」
「バカ! 同士討ちする気か!」
頭に血を上らせた騎士の声の合間を擦り抜けるようにレーゲンとハンナは全速力で馬を走らせ――……馬車の真後ろに躍り出た。
「こンのッ! 舐めるなァ!」
ディーノが”不可視の右手”を発動させるが、レーゲンとハンナは範囲外から逃れるようにあえて左右に馬を展開させ、ぞれぞれ幌馬車へと接近。
「邪魔してんじゃねえよ!」
風の刃や土塊を連射して迫るディーノをマルクが雷撃を放って押し留める。
その間にレーゲンが飛び移ってきた。
「助かったぜ!」
騎手のいない馬が街道から逸れていく。
ところが、ハンナの方はそうもいかなかった。
「この害虫共がァ!!」
雷撃を凌いで一気に馬を加速させたディーノが、”右手”を振るったのだ。
「きゃあっ!?」
幌馬車の右後ろから飛び移ろうとしていたハンナの馬が後ろ脚を砕かれ、乗っていた彼女が体勢を崩す。
”右手”を振るい終えた姿勢でディーノはニヤリと嗤った。
「ハンナッ!?」
レーゲンの悲鳴に似た声が上がり、誰もが目を見開いて絶望する。
彼の伸ばした手は空しく虚空を掴み、彼女の手も空を切った――――その瞬間。
馬車の外へと影が飛び出した。
「アル!?」
荷台を蹴りつけたアルだ。
馬車から飛び出してハンナの手を掴み、代われとばかりに引っ張って仲間達の方へ投げる。
その反動でアル自身は馬車の外――後方へと飛んでいく。
これではもう戻りようがない。
(龍鱗布も……届かないか。なら――)
「止まるな!!」
「「アル!!」」「アルさん!」
叫ぶと同時に思考を切り替えつつ、龍鱗布を膨らませて風を掴む。
ブワリと膨れた龍鱗布に風を受け止めさせ、アルは器用にクルリと身体を反転させた。
そのまま空中で刃尾刀の鯉口を切り、
「『蒼炎気刃』!」
着地と同時に突撃回転技を放つ。
――六道穿光流、火・風の型混成技『蒼炎嵐舞』。
少なくない着地の衝撃を下半身に溜め込んで、身体を右回転させながら突喊。
蒼炎を纏う弾丸と化したアルにディーノが思わず目を見開いて”不可視の右手”を翳す。
「へ……ぎゃあっ!?」
「ぐぎゃ、あぁッ!?」
螺旋を描く蒼い弾丸は”右手”の甲を斬り裂き、逸れた勢いで後ろにいた神殿騎士数名と馬を灼き斬った。
残心の構えを執ったアルの殺気と轟々と燃え盛る蒼炎に馬が怯えて竦む。
「…………どうやら貴様だけは殺しておいた方が良いらしいな」
ディーノは斬り裂かれた”右手”を見て、低く唸った。
騎兵共がアルを取り囲む。
が、囲まれた当人は決然とした表情を浮かべたまま、
「やってみろ」
と言い残して蒼炎弾をボ――ッと一つ吐き、【葉隠れ】に移行した。
「チッ、殺せ! ソイツが魔族共の頭だ!」
発動させ直した”右手”で蒼炎弾を防いだディーノが部下へ直ちに指示を飛ばす。
「どこに行っ……だあぁッ!?」
「畜生っ! 殺られ……げえぇぇっ!?」
アルは蒼炎を目眩ましに疾走。
目立つ『蒼炎気刃』もさっさと解除し、抜き身の刃尾刀を体にピタリと寄せて騎士共の死角から死角へ。
馬の腹を裂き、蹴りつけて鋭角に跳躍。
騎士の首筋に刃を突き刺し、着地ざまに腱を断ち、落馬した者の頸動脈を裂き、視線が合った者の目を奪って駆け抜ける。
暗殺者と化したアルによって街道が一瞬で阿鼻叫喚の地獄と化した。
「く、ちょこまかと――――鬱陶しいってんだよォ!」
「ディーノ様!?」
「お待ちをぉ――っ!?」
ディーノが血飛沫の上がったところへ勢いよく”不可視の右手”を薙ぎ払う。
仲間の神殿騎士などお構いなしの凶行にアルは目を剥き、直撃を受けた。
「ぐ、うぁっ!」
吹き飛ばされてゴロゴロと転がっていく。
今の一撃で現在ディーノの傍に居た神殿騎士は全滅だ。
だが、この準聖騎士にとっては些事。尊い犠牲というヤツだ。
「見つけたぞォ、害虫……!」
「お前、正気か?」
起き上がったアルが口元を拭いながらそう言うと、
「あン? 何がだ? あぁ、コイツらのことか。こんなひと山幾らの連中、使い潰すくらいで丁度良い。ロクな手駒にもならなかったがな」
ディーノはくぐもった嗤い声で返す。
「ふぅん……あんた、想像してたよりずっとしょうもないヤツだな」
が、アルのつまらなそうな一言に動きを止めた。
かつて同じようなことを言った者がいたのだ。そしてその男に左目を奪われた。
「貴様は絶対に殺す」
ディーノが忘れられぬ恥辱に怒りを滲ませる。
そのとき、対峙する両者の下へ後方から来ていた50名と見張り4名を加えた神殿騎士隊が、ようやく辿り着いた。
「ディーノ様! コイツは――」
「小娘の護衛をやってた魔族の頭だ。目標は先にいる、十名残して先に行け。任務優先だ。コイツを片付けたらこちらもすぐに向かう」
「魔族!? はっ、あ、いえしかし――」
「あァ?」
顔に様々な疑問や意見を滲ませる本来の副官をディーノは黙殺した。
――コイツのこの顔が気に食わん。
「いえ! 承知致しました!」
神殿騎士44名が少々離れたところにいたアルに目を向けつつも馬を飛ばしていく。
(残った十名でこのガキを始末する)
「じゃあ貴様……らッ!?」
指示を出す寸前でディーノは慌てて剣を引き抜いた。
直後、衝撃が彼の剣を襲い、火花が散る。
口上を待ってやる気もサラサラないアルが刃尾刀を閃かせて斬り掛かったのだ。
――ここでコイツを倒しておけば後が楽になる。
奇しくも両者の意見は一致していた。
「『蒼炎気刃』!」
薄皮1枚で鍔迫り合いに持ち込まれたディーノの剣が、蒼炎を纏う刃尾刀によってアッサリと熔断される。
「こっちの”霊装”を……!? 貴様らグズグズするな! とっととコイツを殺れ!」
「「「はっ!」」」
ディーノは”霊装”を捨て、ブウゥゥ――ンッと豪快に”不可視の右腕”を振るう。
ガリガリと大地ごと抉り取る一撃を、アルはおおよその効果範囲に見当をつけて飛び退るように躱した。
破裂したような勢いで弾け飛ぶ石礫がその頬をピッと掠めていく。
そこへ神殿騎士10名からの援護まで飛んできた。
彼らが携えているのも騎士標準装備の機構剣――”霊装”だ。
相手は魔族。殺すべき神敵ならば加減も要らない、とばかりにその剣先から拳大の岩が次々と射出され、風の刃が幾重にも放たれる。
属性魔力弾の雨霰だ。
しかしそこはアル。
ディーノを右眼で捉えないようにして、『釈葉の魔眼』を小まめに発動させながら低く駆ける。
無論、ロクに見たこともない”霊装”の仕組みや使用されている魔術鍵語を読み解ける、と云う訳では無い。
属性魔力弾放出時の僅かに引っ掛かるような感覚を捉えて射線を読んでいるのだ。
「この、ちょろちょろとォ!」
「薄汚い魔族風情が!」
「女神の怨敵め!」
騎士共が狂ったような勢いで凶弾を放つ。
アルは最も感情が振り切れたように乱射している騎士へと駆け、眼の前でわざと跳躍した。
「こんのォ!」
騎士が怒りのままに”霊装”を向け、属性魔力弾を発射。
「ば、お前待――がっ!?」
が、寸前でアルが身体を縮めるように丸まって躱し、代わりにその後方の一人に直撃した。
拳大の岩石弾だ。首がガクンと折れるように後ろへ傾き、仰け反ったまま落馬していく。
「な、しまっ――かッ、は!?」
誤射してしまったことで我に返った騎士の喉元へ、アルは再度の跳躍と共に刃尾刀を突き込んだ。
(これで二つ……! 残り八つと――)
心中で数えたアルの下へ”不可視の右手”が振り下ろされる。
「ちっ」
気配任せに前へ転がったアルは背後で噴き上がった血飛沫を見向きもせず、跳ね起きた勢いのままディーノの方へ疾走した。
(やっぱアイツを殺らないと動きが取り難い……!)
”霊装”とやらがない今ヤツにあるのは”右手”だけ。
――先にコイツを倒す!
「はあッッ!!」
アルは背後から襲い来る8名の属性魔力弾を蛇行するように躱し、間合いに入るや否や、ぎりっ……と後ろに引き絞った右手を一気に開放して片手突きを放つ。
その剣速は、大して剣が上手くないディーノにはあまりにも捷過ぎた。
しかし彼はプライドを穢された気がして、煮え立つような怒りを覚えると同時に激昂する。
「舐めるなよ、害虫風情があッ!!」
次いで”左手”を握り込み、突き上げるように振り上げた。
彼の想定以上にアルは踏み込んできていたが、それでも刀より”左腕”の間合いの方が長い。
「あ、ぐ……っふ! ぶあッ!?」
予期せぬところから勢いよく突き上げを貰ったアルは腹部を強かに打ち据えられ、口から胃液か血かもわからぬものを吐き――身体が浮いてしまう。
(左手も――魔導具か!?)
「とっとと消えろ、クソ魔族!」
ディーノは今度こそ”右手”を握り込んで振り抜いた。
「が……ッ!?」
ほんの少しの揺らぎしか見えぬ巨拳に殴られたアルは衝撃で吹き飛び、ゴム毬のように一度大地で跳ねて、そのまま街道沿いの河へと落ちていった。
「お見事です、ディーノ様」
「あれじゃ生きてるかわからん。チッ、時間を食った。行くぞ」
部下のおべっかを聞き流しつつ、苦々しい顔でディーノが指示を下す。
――殺し切れたかどうか。
死んでいなかったとしたら、あの魔族はこちらの手札を知ってしまったことになる。
ディーノの嵌めている小手は、準聖騎士以上の身分にいる者しか装備を許されぬ”聖霊装”と云う特殊なものなのだ。
それぞれ右手のものを【巨神の腕】、左手のものを【月朧の手】と呼称している。
【巨神の腕】は魔力を込めて振ることで、視認しにくい巨大な魔力の腕を出現させる効果を持ち、巨神と呼ばれるほどの腕力をも得られる。単体でも強力な武器だ。
そして【月朧の手】は使用者の腕力分しか力を発揮しない代わりに【巨神の腕】と違って揺らぎ一つなく、間合いの三歩先まで届く魔力の腕を出現させる。
どちらも魔力を籠めるだけで扱える代物。
それゆえに見られてしまった以上始末するしかないが、あの流れの速そうな河に落ちた以上追いかけるのも難しい。
そもそも流れの向きが進行方向と真逆だ。
ディーノは敵の魔族が溺死していることを祈りつつ、残った神殿騎士を率いて任務へと戻っていくのだった。
☆ ★ ☆
幌のなくなった馬車の9人は、消沈した雰囲気をどうしても拭い切れずにいた。
追っ手はまだ来るだろう。
――このままじゃマズい。
「あいつなら大丈夫だ。簡単にくたばるようなヤツじゃねえ」
無理に言葉を紡いだマルクに凛華がゆるゆると頷く。
「………わかってる。アルなら……きっと大丈夫よ」
気の強そうな鬼娘のいじらしさがハンナを刺激した。
「ごめんなさい……私のせいで」
「ハンナのせいじゃない。どうにか出来たかもしれないから行ったんだよ、絶対に。勝ち目がない戦いなんて、アルはしないもん」
エーラが彼女に慰めの言葉を掛けるが、それもやはり己に言い聞かせているのがありありとわかった。
レーゲンは柱を失ってしまったかもしれない一党に言葉もない。
(畜生、俺が行くべきだった……!)
自分の仲間なのだから。
頭の中には忸怩たる思いだけが巡っていた。
「ラウラ」
「……大丈夫よ、ソーニャ」
彼女らほど気丈に振舞えないラウラに、ソーニャは痛まし気な視線を向ける。
彼は義姉の中で大きな存在になり始めていた。
それが急にいなくなって、2人で逃げていた時のような気弱さが戻ってきている。
ソーニャとて心情は似たようなものだ。
――……失くなってしまった。どうにかなりそうな……そんな感覚が。
「カアッ!」
唐突に夜天翡翠が鋭く啼いたことで、全員の意識が現実に引き戻された。
バッと後ろを向けば10騎ほど少なくなった増援の騎馬隊が見える。
「っ! ………沈んでらんないわよ!」
「うん! アルが戻って来たとき叱られないようにね!」
パン! と頬を張った凛華と、唇をキリリと引き結んだエーラが立ち上がって迎撃準備に取り掛かる。
「おうよ。防ぐのは俺に任せな」
マルクがゆらりと【人狼化】した。今日初めての魔法だ。
小器用に魔術や属性魔力を駆使して迎撃を行っていたアルがいない。
つまり質量軽減術式の掛け直しは不可能で、更にレーゲンとハンナが乗り込んでいるので重量そのものも減っているどころか増えている。
追いつかれるのは必至だ。
(なら頑丈な人狼が身体張るしかねぇ)
「……ラウラ」
「っ! ……やります、私も! 戦います!」
ソーニャの呼び掛けにラウラがばちんっと己の頬を張り飛ばす。
――誰の為に皆が頑張ってくれているのか、思い出せ!
気合を入れ、痛みで涙目になりつつも杖剣をしっかりと構えた。
「強えな、くそっ。俺も全力だ! まとめて薙ぎ倒してやらあ!」
レーゲンは己に喝を入れ、長い付き合いの副頭目に視線を送る。
凹んでる場合じゃねえぞ、と。
「そう、そうよね。謝るのは後! 不甲斐ない真似見せるわけにはいかないわよね!」
奥歯をギリッと噛み締めたハンナも幅広直剣を引き抜いた。
「ヨハンは御者、エマはその護衛だ。てめえらも腹ァ括れ。こっからが辛えぞ」
レーゲンが「アルクスなら――」と思考をなぞって指示を出す。
「わかってんよ。任せな」
「こっちも余裕あったら迎撃くらいするからね」
双子も覚悟を決めて威勢よく頷いた。
この数分後、神殿騎士44名及びその後方から追い上げてくる準聖騎士と8名の騎士が彼らへ殺到することになる。
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