3話 踏み出す1歩、はじめての魔術講義
この世界における「魔力とは何か? 魔術とは何か?」が具体的に明示されるお話です。
夏特有の瑞々しい緑の匂いも鮮やかな朝空の下。
「ん~……ねむ」
「はいはい、しゃきっとする!」
「あい」
「じゃお母さん、今日は仕事で夜遅いから、隣に食べさせてもらうのよ?」
「ん」
「ほら寝癖。さっ、頑張ってきなさい」
「あい。いってきまぁす」
「はい行ってらっしゃーい!」
と、母トリシャに見送られたアルクスは、半分も開かぬ瞼をくしくし、てくてくと歩き出した。
向かうは師匠ヴィオレッタの家――里の北端にある里長宅だ。
とはいえ、子供の足である。
南端にある自宅から通りに入る頃には紅い瞳もすっかりぱっちりで、
「お、アル坊じゃねーか」
「おはよーございますっ」
「朝から元気ねぇ」
「うんっ」
と、既に活動し始めている大人らへと元気いっぱいに挨拶を返し――
「ん? よォ、アル坊」
「あっ、アルちゃんだ~。どこ行ってるの?」
「ししょーのおうち!」
「魔術の授業ってヤツか?」
「そだよ!」
「そォかい。んじゃ、お兄さんが連れてってやんよ」
「おわっ!? お~、たかい!」
「だろ?」
「うん!」
などと、年上のお兄さんやお姉さんに肩車をしてもらい――
「アル坊も里長様みてェな魔導師になんのか?」
「うーん、わかんない。ししょうってそんなにゆーめいなの?」
「余所じゃ”大魔導”って呼ばれてるんだって」
「オレぁ、里長様の異名なら人間にも知られてるって親父から聞いたぜ」
「え、そうなの?」
「まあ、何もない荒れ地を魔族の里にしちゃったくらいだしねぇ」
「オレらがガキん頃はもっと荒れ放題で魔獣もウジャウジャいたんだぜ?」
「ほぇ~、しらなかった!」
「アル坊が生まれる……一年前くらいに大まかなカタチが出来たってくらいだしな」
「へぇ~!」
と、話をしてもらっている内に、いつの間にやら目的地に辿り着いていた。
この里の長であり、”大魔導”の住む家――の割に小ぢんまりとした印象のヴィオレッタ宅。
何でも、かつて訊ねたところによると、
「里のド真ん中に巨大な城を建てようとしておっての。独り者に城なぞ要らぬじゃろう? 『そんな暇があったら他の家を建てよ』と、反対したのじゃよ。まあ研究室は頼んだんじゃがの」
とのこと。
立派な枯山水の如き中庭も備えているのだが、そちらは感謝の証として住民らが譲らなかったそうな。
「ししょ~、おはよぉございまぁーす」
間延びした声で、とんてんとん。アルクスはそんな師匠宅の戸を叩く。
「おお、アル。おはよう。随分早かったのぅ」
すると、この時間ならもう少し低血圧な印象の家主が、あまり間を置かずに出迎えた。
「かあさんがやたらと張りきってたんです」
アルクスがふくふくとした頬をぷくりとさせる。
「そうじゃろうて」
「言うんじゃなかったぁ」
「も少し考えてものは言わねばのぅ」
何の話かと言えば――無論、昨日アルクスが明かした前世のあれやこれやについてだ。
と、いうより思い出すなり口に上らせたせいで、母や師が今”張り切って”いる。
しかし、だ。
「ししょうとかあさんに言えないヒミツならいらないです」
アルクスにしてみれば、少し頭を打って前世の記憶がまろび出ようと自分は自分。
そんなことより師の教えが『キビしくなる』ことの方が問題だ――と、うんざり顔を隠しもしないでいると、
「ふ、嬉しいことを言うてくれるのぅ」
と、ヴィオレッタは腹を立てた様子もなく、むしろ嬉しそうにくすりと微笑んで、
「ああ、そうじゃ、汝のご近所さんや幼馴染らには昨夜、儂からしっかり説明しておいたから安心せい」
弟子の頬をふにふにと楽しそうに抓んで、彼の仄かな心配事を片付けたことを告げる。
「ありがとーございます」
アルクスは抓まれたまま、ぺこりと頭を下げた。
実を言うと、迷っていた。近所の幼馴染や同年代の子にどう言うべきか、と。
『言ったら関係性が変わっちゃうのかなぁ』とか、『子どもって案外ザンコクだし』とか、前世の記憶から得た知識で小さな不安に苛まれていたのである。
「うむ。ではお入り、今日から魔術の授業じゃ」
その不安はこの美人な師が出来うる限り払ってくれたらしい。
「うー、あー、むぅ~っ、よぉーし!」
――あとはなるようになるさ。
アルクスは母譲りの青白い銀髪を勢いよくぶんぶんと振って、意識を切り替えた。
――今は念願の魔術だ!
同じく母譲りの紅い瞳をくりっとさせる。
「くふ、目が冴えてきたようで何よりじゃ。では本日より、魔術及び魔法について――座学と実践形式で講義を行う。覚えることは多いじゃろうが、身にならぬことはせぬゆえ、頑張るのじゃよ?」
「はいっ!」
威勢の良い返事にヴィオレッタは艶然と笑みを浮かべ、まだまだ小さな弟子の手を引くのであった。
さて、研究室に移動した2人は、机を挟んで椅子に腰掛けていた。
写帳と師に貰った液筆を握り込んだアルクスがそわそわ、わくわく、と紅瞳をきらきらさせる。
「こほん、それでは」と、ひとつ咳払いをしたヴィオレッタは、早速とばかりに講義を開始した。
「まず質問してみようかの。アルや、魔力とは何じゃ?」
「えと、そこらにただよってる魔素をぼくたちの体で変換したもの……?」
「そうじゃ。あらゆる生物が自然界に存在しておる魔素を取り込み、何らかの方法で変換したもの。それが魔力じゃ。
あらゆる、と言うた通り――我々魔族だけでなく、人間や獣人族も勿論のこと、そこらの木でさえ魔力を有する。では、我々人種が魔素を変換しておる器官とは、どこじゃと思う?」
「へっ、きかん? うーんと……ここらへん?」
アルクスは甦ったばかりの記憶をほじくり返し、『心臓とか、肺とかかなぁ』と自身の薄い胸全体を液筆の尻でくるくると示した。
ヴィオレッタがひとつ頷く。
「正解は心臓じゃ。心臓には血液を循環させる機能と別に、魔素を魔力へと変換し続ける機能を持っておる」
「しんぞうかぁ。って、しつづける?」
「左様。儂らの心臓は今も魔素を魔力へ変換し続けておるよ」
「え……でもひとりひとりの魔力の量って、ちがうんですよね?」
「うむ。その限度を魔力の保有可能量、もしくはもっと簡潔に魔力量、保有量と呼ぶのじゃよ」
「それじゃ、そのほゆう可能量を超えたらどうなるんですか?」
「肉体表面の気門から出てゆくことになるのう。そうして、出ていった魔力は徐々に紐解け、やがて魔素へと還るのじゃ。
ちなみに、その溢れた魔力を感知する技術を『生体魔力感知』と呼び、魔力の有無や多寡のみを測る『魔力感知』の派生と言われておる」
「どうしよ……けっこーふくざつ」
写帳を取っていたアルクスが薄い眉を八の字にする。
(ふぅむ、興味深い)
と、ヴィオレッタは内心で呟きつつ、顎に手をやった。
5才児にしては、言葉をよく知っている。多少難しい言い回しでも意味は通った。
(――が、異界の記憶があると言うても、未知の知識をすんなりとはいかぬか)
と、察して少しばかり弁舌を緩める。
「今のが魔力そのものについての前提じゃ。ああそれと、主に魔素の変換機能を受け持つ心臓の特定部位を操魔核と呼ぶ」
「えー、操魔核……と」
アルクスは液筆を走らせ、記憶の濁流で垣間見たMPなどの概念と現実が大きく乖離していることを悟った。
――そりゃそっか。
寝たら全回復、薬を飲んだら回復、それまで一定値のまま戻らない……などあるわけがない。
――寝ぼけてる場合じゃないぞ。
アルクスが、むむむっと眉間に皺を寄せると同時、師が本題を口にした。
「では、魔術について講義しようかの」
「っ!」
途端に「待ってました!」とばかりに、アルクスの表情が明るくなった。
そんな彼の様子に、ヴィオレッタは軽やかな笑みを浮かべ――
「魔術とはの……――魔力を媒介に理を歪ませ、己が望む現象を引き起こす”技術”じゃ。必須なものは三つ。
まずひとつ、魔術鍵語を用いた術式じゃ。空へ描く術式が最も一般的じゃな。他に、魔力伝導率の高い、もしくは魔力同調率の高い金属や血、墨を利用する刻印術式がある。
二つめが魔力。これは言わんでも分かるの。術を発動させる為の対価じゃ。術の規模、難度、理の歪め具合で消費量も変わる。
そして三つめ。これは想像力じゃ。魔導具の刻印術式にのみ不要じゃが、それ以外であれば、より精確な現象の発現を補助し、術行使を円滑にする」
ところどころで板書ならぬ聴書を待ちつつ、一気に言い切った。
アルクスはひとまず何枚目かになる綴り紙へ、一言一句書き留め――……その後、じいっと読み込み終えるなり、徐ろに訊ねた。
「ししょう。えいしょー術式……? みたいなのってないんですか?」
「む、前世にそんなものがあったのか? 魔術や魔力は存在せぬと言っておったではないか」
「んと……そんざいはしてないです。でも、えーっとフィクション……んー、創作? にはそういうのがあって」
「創作……なるほどのぅ。存在せぬとしても、空想はしておったのじゃな? 実に興味深い異界じゃの。――おお、詠唱術式じゃったな。ずばり答えると、無うなってしもうたんじゃよ」
「な、くなった? えと、なんだっけ……そだ。失伝したとか、伝説的なあつかい――」
と、こめかみをぐりぐりしながらアルクスが問うも、
「違う違う、使い勝手が悪過ぎて廃れていったのじゃ。そも、詠唱する声に魔力を乗せ続けねば真っ当に起動さえせぬ。ま、曲芸技に近いかの――どちらにせよ、変わり者の趣味の域を出ぬのう」
手をふりふりさせた師によってあっさり否定された。
「えぇ……」
「戦闘中に用いたところで、位置も術の効果もバレバレで対策も容易く、口に砂でも投げつけられれば、目も当てられぬ。不便も良いとこじゃろう?
それなら魔力を籠めた雄叫びの方が断然、実用的での。そんなこんなで、今や神事や祭事の聖句なぞに名残りがある程度で、それも形骸化しておるから発動したら奇蹟も良いとこじゃな。文字通り、お祈りといったとこじゃ」
「おいのり……」
なんだか身も蓋もない。
「うむ、あ。じゃが術の名を叫ぶ、唱えるというのは一般的じゃぞ? 精確な行使の補助や補強――つまり、自身の想像力を強化するからのう。
ま、儂のような魔導師や熟練者であれば、あらかじめ最適化しておいた術式を『喚び出す』感覚で扱う。これを『真言法』、最適化した術式『真言術式』と言うてな。
最適化こそ面倒極まりないが、わざわざ鍵語を並べずとも、さくっと扱えて便利での。何より、緊急時でも威力や効果がバラけんで済む、というのは大きな利点じゃ」
と、立て板に水なヴィオレッタの声。
「へぇー! あっ……真言法、真言術式、と」
アルクスは紅い瞳をきらきらさせて書き留めた。
もっと曖昧で、イメージ頼りかと思えばしっかりと理論があり、然れど、想像力も必須なのだと言う。
――おもしろい!
前世の記憶やぼんやりと抱いていた先入観はぶち壊されたが、そのまま脳内のゴミ箱に放り込んだ。
そんなわくわくした弟子の表情から、初講義の成功を確信したヴィオレッタは時計に目を遣り、
「もう昼か。アルや、残りの講義は昼餉を食べてからじゃ。午後は魔法について教えようかの」
と、紫紺瞳を優しく細める。
「はいっ!」
直後、元気いっぱいなアルクスの返事が研究室に響いた。
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