20話 放たれる光明(虹耀暦1288年5月:アルクス16歳)
あと3話でクライマックスパートは終わる予定となっております。
人狼態のまま〈ヴァッケタール魔導史博物館〉の武具展示室に駆け込んだマルクガルムは、目当ての展示物を前にして浅く息をついた。
これを目指して一直線に疾走ってきたのだ。
非常事態ということで最低限の魔導灯に照らされた分厚そうな硝子と、『防護障壁』によって厳重に保管されている太古の魔導遺物。
凜華の振るう尾重剣の身幅と刃長の倍はあるであろう、とても並の人種には振り回せそうにない長大な諸刃の大剣。
”凶祓の古聖剣”だ。
「『防護障壁』の発生装置は……部屋の真上っつってたな」
マルクは毛皮から雨粒をポタポタと流しながら呟く。一応、他の展示物にも目をやったが、やはり最も質量がありそうなのはこの大剣だ。
次いで天井にパッと視線を走らせ――……。
「あった……! あれだ」
点検口らしき小さな正方形の扉を見つけた。取っ手の類はない。本来ならきっと脚立でも使って押し開けるものなのだろう。
「けど悪ィな、時間がねえんだ。『雷光裂爪』」
マルクは誰とも無しに呟くや、狼爪に青白い雷鎚を宿らせ、ダンッと展示室の石床を蹴りつける。
そのまま分厚い点検口の蓋を斬り裂いて、身軽な動きで天井裏に侵入した。
当然の如く展示室の天井裏は薄暗かったが、一箇所だけ淡い光源が浮かんでいる。
「見つけた」
『防護障壁』の発生装置だ。そこから幾本もの銀束線が下の展示室へと伸びている。どうやら贅沢にも、機材一つにつき一部屋分を賄っているらしい。
しかし、然もありなん。展示室自体、大昔の兵舎だったというだけあって広いし、展示物は半数が魔導遺物だ。妥当な措置と言える。
「あー……どれが”古聖剣”に繋がってる?」
可能であれば、見るからに高価そうな『防護障壁』の発生装置そのものは破壊したくない。
マルクは夜目の利く灰紫の狼眼で、天井裏の床を探るように眺め――。
「これで合ってる……よな?」
”凶祓の古聖剣”へと続く銀束線を見つけた。今ほど学院長シマヅ・誾千代の課外授業を有り難く感じたこともない。
「やってみるっきゃねえか……畜生、強盗になった気分だぜ」
マルクはワインレッドの毛皮をブンブンと揺らし、目を付けた銀束線を狼爪で断ち斬る。
すると魔力感知に長けた者にしかわからぬほどの微弱な魔力の乱れと、彼のように五感に優れた者にしか気付けぬ微細な振動が空気を揺らした。
「上手く、いった……?」
通用口からひょっこり顔を出してみると、
「っぽいな」
”凶祓の古聖剣”の前で、光をゆらゆらと歪ませる透明な壁が消失していた。狙った『防護障壁』のみを解除させよう、という試みは成功したようだ。
マルクはそのまま逆さまに滑り落ち、器用に空中で一回転。足音も小さく「っし」と着地し、
「『雷光裂爪』! そらよぉぉぉ~っ……と!」
一足飛びに目標の展示物へと駆け寄って、広い四角形型にジジジ……ッ! と、展示硝子を灼き刳り貫く。
そのままキキィ……ッと甲高い嫌な音をさせながら抜き取って床に置いた。
やっていることは、強盗のそれそのものである。どちらにせよこの硝子はもう貼り直すしかないだろうが、粉々に砕くのもなんとなく忍びない。
だが今は緊急事態だ。
何とも言えぬ申し訳無さを押し殺し、”凶祓の古聖剣”の柄と刀身の手を掛ける。
「うし、そんじゃ……のわっ!?」
途端、柄から魔力を勢い良く吸われ、マルクは驚いて思わず長大過ぎる大剣から手を離した。
「な、なんだ今の……?」
ほんの一瞬触れただけで、体感で2割ほど魔力を持っていかれた。
しかし昨日、〈グリプス魔導工房〉でザビーネ工房長がチラリと話題に上げていた際はそんな現象が起こる、などとは言っていなかったはずだ。
「”遺物”の効果が発現してるわけじゃ……ねえな。魔力も、もう吸われねえ。何だったんだ……?」
再度ちょんちょんと柄に触れ、思い切って掴んでみたものの、何の変化も起こらない。”古聖剣”自体にも変化は見られない。
わけのわからない現象にマルクは疑問符を浮かべつつ、
「どっちにしろ躊躇ってる場合じゃねえ、よなっと!」
人狼の恵まれた体格と種族固有の闘気――魔気を全身に回して担ぐ。
石床に”古聖剣”の剣先がガツ、ガツと当たって甲高く、重い金属音が響いた。一応、何とか背負って動けそうだ。
「うおっとと。思ったより重てぇな」
が、均衡を崩してたたらを踏んでしまう。想像以上に重い。
人狼の己でもこれほど重量級に感じるのであれば、広場で暴れる〈魔導自律人形〉をこれでぶっ叩く、というソーニャの案は悪くはなさそうだ。
しかし、なかなかに難儀でもある。本当にこんなものを振り回せるヤツがいたのか、甚だ怪しいものだ。
「……この際、鈍器になるなら何だっていいか」
マルクは一つ呟くと、ガガガガ……っと”古聖剣”の剣先と石床で火花を散らしながら狼脚に力を込めた。
☆ ★ ☆
鋼の巨人が闊歩し、激戦が繰り広げられている歪な楕円形の広場は唐突に、水を打ったような静けさに包まれた。
なぜなら――……。
傍から見ていれば、雨に打たれながら懸命に戦っていた兵士や、教会で必死に術を紡いでいた若者ら――――勇敢な戦士達を率いているかの如く、誰よりも最前線で戦っていた”灰髪”の青年が不意にガクリ、と膝を落としてしまったからである。
その光景を目の当たりにしてしまった者らにとって、それは予想以上に衝撃的で、胸中を駆け抜けた戦慄と緊張に閉口せざるを得なかったのだ。
二振りの刀を持ったまま、片膝をついた青年――アルクスはゼェゼェと肩で息を切らしながら、悔しそうに顔を歪めていた。
と、いっても遂に致命的な一撃を受けてしまった、というわけではない。
単に、気力より先に身体に限界がきてしまったのだ。
表情を動かすことのない無機質な〈魔導自律人形〉の繰り出す重打は、一向に勢いを落とす気配もなく、ほんの少し気を抜けば容赦の欠片もなく肉体を粉砕される。
そんな間近に迫る死の重圧を浴び続けて平気な者などいない。
いるとすれば外界と隔絶された実力を持つ余程の強者か、生物的本能が死滅し、危機感が欠落した異常者だけだ。
精神はジワジワと蝕まれ、加速度的に体力を奪っていく。『治癒術』の併用もそれに拍車を掛けていた。
「ハァー、ハァー、ハァー…………!」
それでも気力まで喪ってはいない。アルは戦う意思を捨てていない。魔力とて3割近く残っている。
だが、足が動かないのだ。泥沼に絡め取られたかの如く、流砂に沈んでいくかのように、足が前へ出ない。
力が入っているのかすらもわからず、感覚があやふやだ。
傷をジクジクと刺激する雨粒のおかげで神経がおかしくなったわけじゃない、ということだけはわかる。
――身体が……重い。
誰よりも果敢に立ち向かっていた彼が、未だ健在な鋼の巨人の前でそのように顔を歪めて荒く息を吐き、膝を折った姿は、癒院や教会に避難していた者らが絶望を抱くには充分過ぎる光景だった。
「っ! ”鬼火”!!」
リューレ上級曹長が叫ぶ――よりも、金環の浮かぶ青い瞳にグッと力を込めた凛華が魔力を昂らせ、
「だああああああッ!!」
尾重剣を大きく横一文字に薙ぎ払う方が幾らか早かった。唯一、〈魔導自律人形〉の剛打とギリギリ対抗できる【修羅桔梗の相】による重撃だ。
だが、鈍色の巨人は反応速度を落とすことなく――どころか、だんだんと鋭敏に検知するようになってきており、即座に巨躯を揺らして交差させた剛腕で防いでみせる。
雨粒を縫うように火花が散り、ゴガ……ッと重い金属音が広場に轟いた。
「でやああああッ!」
凜華も防がれることを想定していたのか、鈍色の肌を滑らすように刃を流し、返す重剣で袈裟斬り、逆袈裟斬りを繰り出す。
「はあああッ!」
最後に体重を乗せた尾重剣をドゴォォォッ! と、突き込んでようやくアルから〈魔導自律人形〉を引き離すことに成功した。
「そこです!」
その瞬間、教会で陣頭指揮を執っていたラウラがすかさず”炎髪”を揺らめかせて号令を掛け、
「「「「「『火炎槍』――ッ!」」」」」
「アルクス! 引くんだ!」
同級生らが魔術を、ヘンドリック・シュペーアが一六式魔導機構銃から雷術弾を撃ち放つ。
「『蒼火撃・襲』ッ!」
更に、直列に繋がれた『蒼火撃』も轟ォ――ッ! と杖剣から放たれ、
「範囲を中に固定! 集中砲火!」
「撃てぇぇッ!」
「「「「『雷閃花』――!!」」」」
「「「「『火炎槍』――ッ!」」」」
彼らと数拍のズレもなく響いた下士官らの号令と共に、砲術兵らも魔術をドカ撃ちした。
成人男性の上半身ほどに膨れ上がった”鬼火”の如き炎弾と、細くたなびく幾重もの灼炎の槍、樹状に広がる青白い雷鎚が鋼の巨人へと一斉に襲い掛かる。
ところが――――。
「ハアッ、ハァッ、ハッ……ち、躱すようになってきたわね」
乱れた黒髪を払い除けながら、凜華は舌打ちを零した。
迫りくる魔術の群れに対し、〈魔導自律人形〉は頭部をグリッと左右に半回転させてそれらを認識するや、ドゴォッ! と、石畳を蹴って回避したのだ。
「砲撃を継続!! 的を絞らせるな!」
「「「「「「「はっ!」」」」」」」
下士官と兵士達がパッと散開して、包囲するようにあらゆる方向から魔術を放ってはバラバラに動く。隙を作ろうと奮戦する凜華とアルに注意が向かないように、と動いてくれているのだ。
「……キリがないわ」
如何な鬼人族と云えど、雨に打たれ続けながらあんな埒外の人造物と攻防を続けるのは辛い。
しかもこちらの攻め手はロクに通じておらず、反対に〈魔導自律人形〉は動きの精度が落ちないどころか、こちらの動きを学習し始めてすらいる。
体力的にも、精神的にもキツい状況だった。
「アル……!」
凜華がパッと視線を後ろへやると、
「大、丈夫っ! まだ動ける……!」
服を血に染めたアルが応じる。緋色の瞳には消せぬ闘志が眼光となってギラリと光っていた。
が、やはり表情は苦しそうに歪んでいるし、息遣いも荒いままだ。
「アル殿! 凜華!」
そこへ教会を抜けてきた少女が、水溜まりを蹴立てて走ってきた。青い一本模様のついた胸甲に騎士盾、見慣れた青鞘の長剣を腰に差したアル達の仲間。
「ソーニャか……!」
アルは嬉しそうに口角をほんの少々上げてみせた。
「ああ。無事かっ? アル殿」
途中で頭巾を外したのか、ソーニャの三つ編みに結わえられた栗色髪はすっかり濡れてしまっている。
「はぁ、はぁ……そう見える?」
軽口を叩いてみせた頭目に、
「すまんが、ちっとも見えんぞ」
”姫騎士”は凛々しく整った眉根を寄せ、真面目腐った顔で首を横に振った。
「はは、だろうね」
アルが力なく笑み返して、ぐぐぐっと足に力を入れて起ち上がる。彼の龍眼は兵士らを追い回す”魔導自律人形”に向けられていた。
――皆のおかげで少しは呼吸も整った。
「ふぅ、はぁ、ふぅぅ――……」
大きく息を吐いて双刀を左肩に引っ掛けるように構えると、合流してくれた仲間へ指示を出そうとして――。
「アル殿、凜華もちょっと待ってくれ」
逆に、慌てたソーニャに止められた。
「っと、なんだ?」
「どうしたの?」
フラつく足をアルが大きく開きながら、凜華も雨に濡れた手を振って水滴を飛ばし、尾重剣を正眼に構えながら、〈魔導自律人形〉から目を離すことなく訊ねる。
「手短に話すぞ、アレの動力源は小型化された魔導機関だそうだ」
教会で義姉と合流した際にも共有した情報だ。ソーニャは長剣を引き抜き、盾の皮革帯をギュッと締めながら口を動かす。
「魔導機関ですって!?」
「あの胴体、そんなのが積まれてたのか」
凜華が驚いたような声を上げ、巨人の胴部がよくできた模造品である可能性が高いと推測していたアルが眉を顰めた。
(……動力切れも現実的じゃないな)
「ああ。表面の塗装と魔導機関の発する波動のせいで、魔力の”変化”が妨げられているらしい。ザビーネ殿がそう仰っていた」
ソーニャが萌黄色の瞳を〈ヴァッケタール魔導史博物館〉の方へチラリと向けながら説明する。
波動に含まれる崩壊した魔力粒子が、魔力の”属性変化”と”特質変化”を妨げているのだ、と。
「……どうりで属性魔力の通りが悪いと思った。エーラの『燐晄』が消えたのも、それが原因か」
シルフィエーラ専用の『燐晄』は矢の飛翔時間も考慮して、彼女の霊気を時間差で高圧縮・高出力状態の光属性魔力へと変換するように調整している。
魔力の”属性変化”を参考に創り上げられた『気刃の術』が動作不良を起こしたのも致し方ない道理であった。
「『気刃の術』は相性最悪ってことね」
「うむ、物理現象なら減殺されないはずだ。今、マルクとエーラがその準備を進めてる。あそこから質量狙撃を行うつもりだ」
ソーニャが凜華の台詞を引き継ぐ。
「そういうことか。なら……俺達はアイツの動きを止めなきゃな」
仲間が動いてくれている。これほど頼もしい事もない。アルの眼光が一層輝きを増した。その時だ。
アォォォォォォ――――ンッッ!!
聞き覚えのある遠吠えが雨音を劈いて3人の耳朶を打つ。今のは【人狼化】したマルクの声だ。
アル達は弾かれたようにヴァッケタール山の方を仰ぎ見た。
降りしきる雨粒で灰色に掠れた視界のなか、こちらを見下ろす鮮緑の輝きが一対浮いている。
(あれは……『妖精の瞳』だ)
そうと気付いてからは早かった。
ギリ、と歯を食いしばって大きく息を吸うや、
「ラウラ!」
と背後へ叫ぶ。すると杖剣を掲げていた少女も遠吠えを耳にしていたのか、ハッとすると強く頷いた。
「わかりました!」
以心伝心だ。ラウラはアルの出そうとしていた指示を察したのか、拳大の誘導光弾を頭上にパッと幾つも展開する。
「みなさん! 私が撃った位置へ――何でも構いません! 魔術を!」
「りょ、了解した!」
「えっ? わ、わかった!」
「う、撃てばいいんだよね!?」
「何でもいいんだね!? 了解だよ!」
ヘンドリックを始めとした同級生らが慌てて頷き、各々に使いやすい術を描き始めた。
刹那、心配の色を滲ませる琥珀色の瞳に「大丈夫」と頷いたアルがすかさず次の指示を叫ぶ。
「リューレさん! あそこの高台から仲間が狙撃します! 射線の確保を!」
散開していたところへ唐突に声を掛けられたリューレ上級曹長は”高台”と聞いて、咄嗟に第三避難所へ視線を走らせると、
「狙撃だと……!? あれか、いいだろう! お前達、聞いていたな!?」
朧気に見えた何かに目を細め、即座に掠れ始めた声を気にすることもなく部下へと命を下した。
「「「「「はっ!」」」」」
「ソーニャ、術優先だ! 隙を見て俺が『裂咬掌』を使うから合わせてくれ! 凜華はその上からガチガチに凍らせてくれ!」
要は、直に属性魔力をぶつけなければいいのだ。
――それなら手はある。
砲術兵らが再び班を組むように数人で纏まって動き出すのを横目に、アルは重い足を引き摺って一直線に駆け出した。
「承知!」
ガツッとソーニャが胸甲に籠手を叩きつけて目標を遠巻きに、
「わかったわ!」
尾重剣を右肩に引っ掛けた凜華が、普段より明らかに鈍い足取りのアルと並行するように疾走り出す。
目標はエーラとマルクのいる〈魔導史博物館〉から狙撃できる射線上に〈魔導自律人形〉を誘導すること。
”鬼火”率いる戦士らはジワジワと枝葉を伸ばす絶望を祓うべく、決死の表情で鈍色の巨人へと立ち向かう。
それは、混沌に呑まれて怯懦に陥る住民らの心を踏み留まらせ、微かな希望を抱かせるに充分な光景であった。
☆ ★ ☆
〈ヴァッケタール魔導史博物館〉前。見通しの良い丘の一角。
”凶祓の古聖剣”の長大な刃が、太い2本の木々の丁度、中間位置から広場へ向けて突き出していた。
それを地面から支えているのは、地中から伸びてきたこれまた太い根で編まれた長く細い射出台。
その溝に鎬を嵌め込むように載せられた”古聖剣”の柄には、頭上から幾本にも伸びた枝が絡みついている。
これは『精霊感応』によって象られた急造の弩だ。弩と弩砲の合いの子染みた構造で、実際のそれらと違って弦を引くは人力。
一度だけ撃てればそれで構わない。そんな具合に作られたことがありありと見て取れる。
〈グリプス魔導工房〉の長ザビーネは濡れそぼった黒髪が顔に掛かることも気に留めず、”古聖剣”に頬を押し付けるようにして広場へと視線を這わせ、雨音に声が呑まれぬよう森人族の少女へ叫ぶ。
「森人くん! もう少し上向かせるんだ! コイツは見た目以上に重い!」
火薬を用いるでもなく単純な構造で飛ばそうとしているので、如何に狙った先がここより低い広場と云えど、俯角では足りない。
「これくらい!?」
乳白色の金髪を振ったシルフィエーラはその忠告を素直に聞いて、瞳を鮮緑に輝かせた。
途端、射出台の尻がほんの少し下がり、刃先が水平より少々上向く。仰角10度と云ったところだろうか。
「この弦の長さならそのくらいのはずだ! あとは真っ当に飛ばせれば……!」
頷いたザビーネの視線が自然と背後へ向く。
「わかった! あとはボクらでやるよ!」
エーラは『妖精の瞳』を鮮緑に輝かせて魔法を発動。”古聖剣”の柄を枝弦で覆い、弓で云う中仕掛けに当たる部分から更に1mほど枝を垂らした。
簡素に過ぎるが、これは引き手だ。
「マルク!」
エーラが遠吠えをしたばかりの青年を呼ぶ。彼女ではこの太過ぎる枝弦を引けない。膂力が圧倒的に足りないのだ。
「任せとけ!」
人狼態のマルクは広場の面々が自分達に気付いたことを確認して身を翻すと、古聖剣”の柄頭から伸びた引き手に狼腕をグルグルと絡ませ、
「うお、ぉぉぉぉいっ、しょおぉ……ッ!」
と恵まれた体躯と全身に巡らせた魔気で以て、ググググ……ッと枝弦を大きく引っぱる。
「射出台と平行にお願いね!」
本来の弩は射出台と弦が平行になっているので、このような心配もなく引き鉄を引けば真っ直ぐに飛ぶ。手の内で捻じるように回転を掛ける弓とは違うのだ。
「わかっ……てるッ!」
マルクは歯を食い縛ったまま、吼えるように応えた。身体全体で大きく引き、それでも足りずに一歩、二歩と後退しながら枝弦を引いていく。
眼下ではアルを中心に〈魔導自律人形〉を射線上に誘導すべく、戦士達が活発に動き始めていた。
☆ ★ ☆
〈魔導史博物館〉から駆けてきたコンラートが、教会に横に空いた大穴から元同僚と生徒達の元へ合流した、まさにその時だ。
広場へ面した防護柵の内から放たれた属性魔力の誘導弾が〈魔導自律人形〉の前後二方向に飛び、すかさず生徒達の放った魔術が殺到する。
「『天鼓招来』ッ!」
直ぐ様、ラウラも太い雷鎚を放った。短距離で樹状に展開する『雷閃花』と違い、こちらは直線状に奔る雷撃だ。
「君達……!」
コンラートはほんの少し見ない間に、砲術兵の隊列砲火染みた動きをするようになった7組の生徒達に驚愕を隠せない。
「そこのお嬢さんの一党が図抜けてるんだよ」
彼の元同僚、助祭姿のフィンは忙しなく動きながらも、口惜しそうな苦笑いで返した。”炎髪”の少女だけではない。
彼女の信頼する仲間達には「本当に十代半ばなのか……?」と驚かされること頻りだ。
そんな元魔導騎士らの視線の先――……。
ド、ドオ――ッ! と、前後を駆け抜けた幾つもの魔術と大した時間差もなく一直線に迫った雷鎚に、鋼の巨人が機敏に反応。
ゴ……ガンッ! と、石畳を蹴り割って、僅かな着弾時間の差で空いた前方へ跳ぶ。
「『障岩壁』ッ!」
「「「「「『雷閃花』――!!」」」」」
しかし、ソーニャを始めとした兵士達が回避先を潰すように魔術を撃ち放った。立て続けの連携攻撃だ。
然しもの〈魔導自律人形〉もそちらの対処を優先したのか、剛腕と剛脚を振って瓦礫の壁を蹴り砕き、樹状に広がった雷撃を打ち払う。
「つぇあああああああッ!!」
そこへ、”鬼火”の如く青い瞳を爛々とさせた凜華が気炎を上げながら、カカ――ン! と大地を蹴って突喊。
――――ツェシュタール流大剣術『片手貫通突き』。
踏み込んだ右足の踵に生やした棘で石畳を割り抜き、白銀の衣を纏った尾重剣を真っ直ぐに突き出す。
ガッ……ゴォォォォォン!!
刹那の空隙に差し込まれた乾坤一擲の突き。鈍色の巨人はギリギリで反応し、胴部を護ってズガガガガ……ッ! と、石畳を削る。
弾き飛ばされた先は、広場中央から北西にズレた位置。丘から直接視認できる射線上だ。
――きた!好機!
尾重剣を突き出した状態の凜華、教会で指揮を執っていたラウラ、長剣を構えたまま術を紡ぐソーニャ、兵士達を指揮していたリューレ上級曹長ら下士官2名の思考が一致し、
「「「アル(さん)(殿)!」」」
「「”鬼火”!!」」
まだ若いながら、将たる資質を遺憾無く発揮させる”灰髪”の青年を呼ぶ。
「ふ…………ッ!」
その瞬間、紅と金の残光を靡かせたアルが一陣の風となって雨粒を斬り裂くように疾走し、〈魔導自律人形〉の周囲を一巡り。
直後、双刀を鞘に納めたまま、魔力のみを昂らせて鋼の巨人へと一直線に駆けた。
振り下ろされた右の剛腕に怯むことなく蒼炎を踵から噴き出しながら跳び上がり、ダダンッと巨躯を駆け上がる。
無論、〈魔導自律人形〉も登られるままにさせておくことはなく――即座に太い左腕で彼を捉えようとしたが、アルは”闘争本能の限定解放”による魔獣染みた動体視力と龍鱗布で風を利用しながらそれらを躱すや、頑丈な鈍色の頭部を蹴りつけて跳躍。
身体に走る激痛に牙を噛み締め、足元で蒼炎を爆ぜさせながら複雑な軌道で上昇。
ギラリと光る緋瞳で目標を見据え、両腕をバッと開くと、流れるように胸の前で掌をパァン! と、打ち付けて魔術を発動する。
「『裂咬掌・三ツ巴』……ッ!!」
次の瞬間、〈魔導自律人形〉の周囲――数秒前にアルが駆けた軌道の三点それぞれから、瓦礫と土砂で構成された三本の巨大な腕がゴバァァァッと飛び出し、鋼の巨人を砕くほどの勢いで三方向からドガガガッと押さえ込んだ。
教会でそれを見ていたフィンは呆気に取られる。思わず鉄鞭を取り落としたほどだ。
「なんだと!? 今のは――」
「術式の遠隔同時起動……!? しかもあの規模でなんて……!」
コンラートも眼鏡の奥で深緑の眼を大きく開いてギョッとしていた。
属性魔力や単一魔術を狙ってああするのであれば、そこまで難しくはない。だがあれだけ激しく動きながら、あの規模の術を使い熟すのは並ではない。
”在野の魔導師”という彼への評価に対して異論はないが、その技術を戦闘に活用できるかどうかはまた別の話なのだ。
「マ、マジかよ!?」
「すっご……!」
生徒達もその難易度を知っているせいか、ポカンとしている。
そんな彼らの驚愕を差し置いて、
「ソーニャ! 凜華! ぐっ……頼む!」
鋼の巨人を三方向から押さえ込んでいる瓦礫の掌を蹴りつけながら、アルは痛みを堪えて仲間の名を叫んだ。
「承知だ! 『裂咬掌』ッ!!」
すかさず、ダメ押しとばかりにソーニャが頭目と同じ術で巨躯を上から押さえ込み、
「ええ! すぅ~っ…………ふぅぅぅぅぅ~~~~~~~っ!」
凜華が冰気を吹きかけ、石畳に出現した土灰色の腕ごと一気に凍てつかせる。
「信号弾を撃ちます!」
それを見ていたラウラが光弾を彼らの頭上へと放った。
阿吽の呼吸だ。指示を出されることもなく咄嗟にそんな行動まで取った彼女に、コンラートは眼を丸くする。
(……強いはずだ)
大きな一つの目標を胸に、それぞれ自身にできることを常に模索し続けながら戦っているのだ。
それが『不知火』。人間以外、全員種族の異なる武芸者一党。
動きを止められた鈍色の巨人の頭上、灰に濁る空で白色の信号弾がパァッと爆ぜて輝いた。
☆ ★ ☆
【精霊感応】による急造作りの弩砲もどきの傍にいたザビーネが興奮の入り混ざった声を上げる。
「動きを……止めたぞ! 凄まじいな、好青年君は!」
「マルク、目いっぱい張って!!」
それとほぼ同時、”凶祓の古聖剣”を支えていた木に手をついていたエーラは平時にはない鋭さを伴って指示を出した。
「応、よぉ……ッ!」
狼牙をギチッと食い縛ったマルクが既にピンと張っていた枝弦を更にギリギリと引いていく。
弓術に於ける弦から指を切る――”離れ”とは、未経験者の想像以上に重要な動作だ。
物理的な仕組みとしては弦を引くベクトル方向から真っ直ぐに鋭く”離れ”ることで、矢勢が落ちることなく狙い通りに翔ぶというものである。
と理屈で云えば簡単だが、そこに精神的な影響が加わると途端に難しくなる。
ほんの少し力むだけで別ベクトルの力が加わり、狙いから大きく外れてしまったり、矢が失速したりしてしまう。
ゆえに心技の集大成とも呼べる重要な要素なのだ。
森人の弓術とは、自然との調和によって無我に至りやすい森人の性質、弛まぬ努力、そして風を読む種族固有の能力と魔法を用いた矢弾によって発揮される特殊技能。
「すぅ~……」
だが、その弓の名手であるはずのエーラは、緊張から唇を舐めた。
今からこの弩砲もどきで射出しようとしているのは、普段飛ばしている矢の何万倍も重い大剣だ。そのうえ弦に固定具はなく、何もかもが人力。
風が読めたところで、飛ばせなければ意味がない。しかし、時間も待ってくれない。
その時、4つの大きな掌に押さえ込まれた〈魔導自律人形〉の頭上で光弾が白く弾けた。あれは仲間からの合図だ。
今だ、撃て! と、示してくれている。
「当たってよ……!」
エーラはポツリと呟き、瞳を鮮緑に輝かせた。
途端、”古聖剣”の柄頭から10cmも離れていない枝弦の引き手がしゅるしゅると解けていき――……。
音もなく、張っていた枝弦を僅かにすら撓ませることもなく、ふつり……と千切れた。
鋭さこそないものの余計な力の一切が加わっていない、擬似的な無我の境地で出た自然な”離れ”。
次の瞬間、ボ……ッ! と、撃ち出された”凶祓の古聖剣”が雨粒を斬り裂いて灰の空を飛翔。
二、三秒の後――金属同士の衝突する重々しい轟音が〈グリュックキルヒェ〉に響き渡った。
コメントや誤字報告、評価など頂くと大変励みになります!
是非とも応援よろしくお願いします!




