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【10.8万PV 感謝!】日輪の半龍人  作者: 倉田 創藍
魔導学院編ノ弐 波乱の課外実習編

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203/223

9話 亡魂の魔手(虹耀暦1288年5月:アルクス16歳)

2023/10/10 連載開始致しました。


初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。


なにとぞよろしくお願い致します。

 朝の6時を示す時計の長針がほんの少し進んだ頃。


 雨粒を零し続ける暗雲の下、アルクス達『不知火』の6名と1羽は喧騒渦巻く早朝の〈グリュックキルヒェ〉へと飛び出した。


 昨日までどこかのんびりとしていた街は今現在、南北に築かれた防壁と主に大河方面の家々から黒煙がもうもうと上がり、止まない雨音に悲鳴と怒号が入り混じっている。


「やっぱり変だよ……! 〈ヴァルトシュタット〉みたいな物々しさはなかったけど、いきなりあっちこっちがこんなになっちゃうなんて!」


 細く乳白色を帯びた金眉を顰めたシルフィエーラが頭巾(フード)の下で尖った長耳を頻りに動かす。


「ああ、こりゃ賊共の襲撃なんかじゃねえ。けどなんだってんだ、このまるで火種が落っこちてきたようなチグハグさは」


 ワインレッドの髪が濡れるのも気にせず、マルクガルムが鼻にシワを寄せて唸った。


「そうね、奇妙よ。鋼業都市の時ともまったく違うわ。昨日まで普通の街だった。それは間違いないわ。一体どうなっちゃってるのかしら?」


 小器用に魔力を操って雨粒を避ける凜華がキリリと眉を吊り上げた。


 旅籠の中だけであって欲しかったが、やはり街全域が厄介事に巻き込まれたと考えて間違いなさそうだ。


 ならば対処に動くしか無い。


 それでも外に出たことでより顕著になった印象――意識の端に引っ掛かる不自然さがモヤモヤした感覚となって拭えないでいる。


 鋼業都市〈アイゼンリーベンシュタット〉の騒動――”グリム氏族の乱”が起こった際はそれ以前から不穏な空気が都市全体に滲んでいた。


 しかし、今回は違う。


 あまりに唐突で大事なことを見落としそうな得体の知れない気味の悪さを6人とも感じていた。


「……呪い、と口にしていたな。あの宿泊客は」


 思わずと云った様子で栗色の三つ編みをぐるぐる巻いて固定しながらソーニャが呟く。


「でも魔力反応なんてちっとも…………そもそもこの騒ぎは宿で起きたことと同じ現象を発端としたものなんでしょうか?」


 普段より何段も暗く見える朱髪のラウラも眉根を寄せた。


 今は2人ともいつでも抜剣できるよう丈が最低限の雨外套(ポンチョ)頭巾(フード)姿だ。


「呪いにせよ、何にせよ騒動の目的が何なのかもハッキリしない。それに宿でマルクが伸した男、あいつは正気にしか見えなかった。兎にも角にも情報収集が先決だ。とっとと動こう」


 琥珀色の視線を向けられた頭目アルクスは早くも濡れてしまった(くろ)い髪を鬱陶しげに振る。


「「了解」」「わかりました」「承知した」


 女性陣がしゃんとした顔で頷き、


「で、協会に行くか?」


 マルクが方針を問う。


 現在地は〈ターフェル魔導学院〉1年7組の生徒達が利用している古き良き大衆宿(旅籠)の前。


 〈グリュックキルヒェ〉の西部に位置しており、どちらかと云えば大河寄りだ。


 ここから東へ街路を辿ると中央広場があり、北寄りに武芸者協会〈グリュックキルヒェ〉支部が、南寄りに教会の古びた鐘塔を背景(バック)に癒院がある。


 更に登っていけば〈ヴァッケタール魔導史博物館〉に行き着く。


「火事は東より西(こっち)の方が多いみたいね」


「エーラ、水の精霊に話を聞いてみてはどうだ?」


 凛華とソーニャが直剣と長剣の鞘をそれぞれ前へズラしながらテキパキと意見を述べる。


「うん、今聞いてみてるけど森人族(ボクら)と親和性が高いのは植物の精霊だから範囲が狭いよ。でも防壁と河の方から戦闘音が聞こえてる」


 するとエーラは確信に満ちた顔で答えた。


 虹彩が鮮緑に輝いている。『妖精の()』だ。


「戦闘音?」


「うん、人の声まではわかんないけど雨音の中に金属が激しくぶつかってる音も混じってる。剣を打ち合ってるみたいな音だよ」


 咄嗟に訊き返したアルに耳の良い森人族の少女が大きく頷く。


「警鐘を鳴らした軍の方でも戦闘中で、街中じゃ放火騒ぎっつうことは――」


「はい。大規模な賊が潜入させていた()()()()()と共に襲撃、もしくは軍部まで巻き込んだ一斉蜂起です」


 気に入らねえ、とばかりに呟くマルクの発言をラウラが引き取った。


 大河側に架けられている橋と堤防付近には防壁の代わりに兵士の詰め所や兵舎がある。


 それらを鑑みても、可能性として高いのは後者の方だ。


 つまり武装蜂起。


 そして本来それらを取り締まる軍人が街の方でほとんど見られない、どころか防壁と詰め所の各方面で戦闘が起こっている現状。


 きな臭さが一気に増してきたが、ここで雨に打たれ続けても一向に何も解決しない。


 そこまで考えたアルは赤褐色の瞳に強い意思を宿して口を開いた。

 

「状況が逼迫し過ぎだ。悠長に情報収集してる場合じゃない。協会は後回し、軍と接触する!」


「「「「「応!」」」」」


 雨粒を圧し退けるような眼光と覇気を滲ませた頭目に仲間達が表情を引き締める。


「状況開始だ。翡翠、一番戦闘の激しい方へ誘導してくれ!」


「カアッ!」

 

 アルの威容(カリスマ)に当てられた三ツ足鴉が大きくなってきた翼をバサッ! と、強くはためかせ、黒い雨の幕を切り裂くように飛翔していく。


「行こう」


 静かだが呑み込まれるような声を発して駆け出したアルに、


「行きましょ! 早めにケリをつけたいわね」


「うん。でもボクらの経験上、それは難しいかも」


「ええ、長い一日になりそうです」


 三人娘がパッと即応しながら言葉を交わし、


「フックス先生にあまり負担を掛けるわけにもいかんしな」


「おう、やれることからやってくしかねえ」


 ソーニャとマルクが追随する。


 目指すは夜天翡翠が上空で螺旋を描いて一直線に翔んだ先。


 空を赫と黒でひときわ混沌に染める西の方角――大河方面だ。




 それから1分も経たない頃だった。


「どうなってんのよ、これ」


 雨で滑りやすい街路を下る『不知火』の前に展開されていたのは、警鐘に驚いて出てきたはずの住民同士が取っ組み合う光景だった。


 よくよく見れば片方は相手の腕を押さえたり羽交い締めにしたりと必死に制止しようとしているのに対し、もう片方は熱に浮かされたような顔で短剣や鶴嘴(つるはし)を手にしている。


「あの雰囲気、宿の時と同じ……!」


 ラウラの顔がサッと青褪めた。


 なぜならどこにでもいそうな主婦や働き盛りの仕事着の男性、屋台にいそうな気の良さげな売り子、協会で働いてそうなかっちりした格好の女性と云った年齢も性別もバラバラだというのに、その表情や佇まいが、宿で同僚を襲った発掘作業員とあまりに似過ぎていたからだ。


 遠くを見ているかのように表情筋の動きは乏しく、そのくせやたらと眼だけは熱っぽくギラギラしている。


「どうすんの!?」


 凜華が叫ぶ。


 警鐘が余計に事態の悪化を加速させていた。


 この時間に出歩かない者まで外に出ててしまっている。


 アルの逡巡は一瞬。


「道中の障害を片付けつつ軍との合流を優先! 足を止めるな! 俺とマルクで先行! 残りは捕縛! 狙いは武器持ちだ! マルク、殺すなよ!」


 雄々しく通りの良い声音で指示を出し、一気に加速した。


(まっか)せな!」


 マルクも猛々しく吼えてダンッと石畳を蹴りつける。


「「「「了解!」」」」


 凜華とソーニャが剣の柄から手を離し、エーラが複合弓を半弓型に変化させ、ラウラが刻印指輪に魔術鍵語の微かな光を灯らせた。


「ふッ!」


「っ!? け、ホぐ……ぅ!?」


 降りしきる雨を穿って突喊したアルが勢いのままに大円匙(シャベル)を持った男の腹を蹴り抜いて脱力せしめ、踏み倒すように跳躍。


「でぇあッ!」


「あ――がぁあっ!?」


「ぐ、ぎぃぁっ!?」


 踵から噴射した蒼炎を加速に用いて闘気混じりの低空薙ぎ関節蹴りで、すぐ後ろにいた長物持ちの男2人の膝を割り砕いた。


「ぜあッ!」


「は、ゲバぁっ!?」


 その隣では狩りを行う四足獣のように低い体勢で踏み込んだマルクが短剣を腰()めに構えていた青年を殴り飛ばして住居の壁に叩きつけ、【部分変化】させた狼脚でタタン! と、雨水を蹴立てる。


「そぉらよッ!」


「ぐ、ベッ!?」


「ゴほッ!?」


 次の瞬間、ブレたような動きを見せた半人半狼の横蹴りをそれぞれ左右から貰った男2人が衝突する。


「やめなさい!」


「な、あぁっ!?」


 その間に凛華が青白い冰を奔らせて手鎌を振るおうとしていた主婦の足元から胸元まで、更には倒れ伏した男共も纏めて一気に凍り固め、


「てあッ!」


「おぎッ!?」


 ソーニャが鉈を上段に掲げていた若い女の顎にカチ上げた盾を叩きつけて昏倒させた。


 当て身の要領だ。


 確実に歯と骨を砕いてしまったし、何であればアルとマルクによる荒っぽい所業の方が被害も大きいのだろうが、いちいち拘泥する『不知火』ではない。


「うわわっ!?」「きゃあ!?」「ひっ!?」


「うぉ……な、なんだ?助かった?」


「武、芸者?助けてくれたのか」


 速度をほとんど殺すことなく駆け抜けた4人の早業に住民が目を白黒させる。


 しかしそれだけでは終わらなかった。


 最後尾を走る2人の技量が彼らを更に驚嘆せしむることになる。


「『()衝弾・(つむぎ)』!」


 ラウラが左手の刀印をひゅっ!と振り、刻印指輪に浮かべた円環状の(並列)魔術を発動。


 『水衝弾』と『紅蓮の疾風』所属の魔導技士レイチェルが魔導機構拳銃(リボルバー)で放つ『風術弾』を参考に、非殺傷用魔術として考案された拳大の暴風が炸裂する。


「あガッ!?」「グ、ぉ!?」「だばッ!?」


 雨のお陰で辛うじて視認可能と云った具合の圧縮された風は(あやま)たず、凶徒と化した住民の足元を薙ぎ払って転倒させた。


「動いちゃダメだよ!」


 そこへタァン! と、飛び上がりざまに背後を向いたエーラが瞳を鮮緑に輝かせて3掛ける2回で計6本射掛ける。


 文字通りの矢継ぎ早だ。


 パッと放たれた矢は雨粒の隙間を縫う6匹の水蛇が如く銘々に疾走り回り、転んだ凶徒らへ到達すると同時、彼らの手足を数珠繋ぎに縛る枝鎖へギュルルルッと転じる。


 その光景に口をパクパクさせて啞然とした住民達が少女らに眼を戻すも、既にエーラは居並ぶ家々の壁を軽やかに蹴って反転していた。


「「「「「…………」」」」」」


「あ……」


「へ……?」


「……こ、こりゃあ」


 魔族がいるとは云え明らかに並を超えた技量。


 まるで闘志を孕んだ突風だ。


 現地住民達が瞠目したのも束の間、先頭を疾駆する者の声が彼らに届く。


「軍の加勢に急ぐので捕縛はそちらに任せます! できるだけ纏まって行動を!」


 まだ若い、だが芯のある青年の声。


「避難所があるのでしたらそちらへ急いで下さい!」


 続いて、隠し切れぬ品の良さとハリのある声が雨音を破って彼らの耳朶を打つ。


 こちらもやはり若い少女の声だった。


 ややあって恐慌(パニック)状態に陥りかけていた住民達の脳が情報を正しく認識し始める。


「へ、あ、あぁ……」


「そ、そうだ避難だ。家族を連れて避難を……!」


「あの武芸者さん方の言ってたように集まって移動しましょう」


「けど、お前火事が! おれら火消しじゃねえか!」


「ばっか野郎! 警鐘が六回だぞ! 街火消しの出番じゃねえ! 軍人の邪魔になんだろが! とっととカミさんとガキ担いで来い!」


「あんたらシャキっとしな! そんで、おかしくなっちまった連中はどうすんだい?」


「どうするったって婆さんよ。見知った連中ばっかだぜ? 憲兵に突き出すにもあっちも大変みてえだしよ」


「起きたら正気に戻るかもしれん。ふん縛ってそこらに転がしとくしかなかろうよ」


「でもザーザー降りじゃないか。水溜まりでも人間ってなぁ窒息するって聞いたよ」


「そりゃあ……寝覚め悪いやな。うちにでも放り込むか?」


「少し心苦しいけど、あの鬼人族の武芸者さんに凍らせられちゃった人はそのままで残りは家に寝かせる?」


「よ、よーし! そんじゃ縛って放り込むぞ! 終わったら避難所だ!」


「よしきた」


「急げ!」


「街こんなになっちゃって、癒院か教会にみんな入れるといいけど……」


 アル達が走り去った数十秒後、年長者の嗄れた胴間声によって尻を蹴飛ばされた住民達は戸惑いながら動き出した。


「ねえ、あれで良かったの?」


 重量級の大剣を担いで駆けているにも関わらず、少しも息が乱れていない凛華が問う。


 ”あれで”とは、アルとラウラが大声で出した指示の内容について。


 凶徒と化すかもしれない不穏分子が紛れ易い集団を作るのは、間違いなく賢策ではない。


「あれくらいしか手がなかった」


 アルとしても苦肉の策だ。


 背に腹は変えられなかった。


 旅行者ならまだしも、地元かつ自宅周辺で武装する一般人などいない。


 精々で便利使いしている小刀くらいだろう。


 それに対し凶徒らは全員が全員、品質に善し悪しこそあれ武装していた。


 ゆえにマトモな住民達に数の利を活かしてもらうしかなかったのだ。


「そ。じゃ、早く軍人達に自分の仕事をしてもらいましょ」


「うん、急ごう」


 真剣さを増した『不知火』の6名は道中の凶徒を吹き飛ばし、凶刃を払い除けながら大河沿いの堤防へと続く街路をひた走る。



 ☆ ★ ☆



 それとほぼ時を同じくして、アル達『不知火』の同級生とその担任コンラート・フックスのターフェル魔導学院一行は旅籠の食堂広間に集合していた。


 既に点呼も済ませ、件の6名を除いて全員揃っている。


 しかし、生徒達の顔は皆一様に不安そうで口数も少ない。


 王国から留学してきた商会の娘と云うにはあまりに身なりの整いすぎている女子生徒とその護衛らしき生徒達、種族も違い少数なれど同じ獣人族で固まっているグループなど警戒心も露わにソワソワと落ち着きがない。


 それ以外の生徒達も、時折うねりのように外から聞こえてくる悲鳴や怒号にビクリと身体を竦ませ、戦々恐々としている。


 無理もない。


 それこそ『不知火』――当時の”鬼火”の一党が解決してきたような大事件はそうそう起きないのだから。


 それらだって国土的に見ればひどく局所的だ。


 生徒達がこんな非常事態に常日頃から慣れているはずもない。


「凛華達、大丈夫だよね……?」


 鉱人族の女子生徒アニス・ウィンストンが小さな手をぎゅうっと握り、ラウラと印象の違う赤毛を不安げに揺らす。


「そう信じたいが――……痛っ! 何をするんだ!?」


 眼鏡を掛けた生真面目そうな顔のヘンドリック・シュペーアが同意するも、隣にいた金髪の男子生徒によって小突かれた。


 肘鉄を食らわせたのはラインハルト・ゴルトハービヒト。


 彼の非難がましい視線がヘンドリックに向けられていた。


 切れ長の瞳が言っている。


 不安を煽ってどうする? このバカ、と。


「あ……すまない! その、彼らならきっと大丈夫だ!」


 ヘンドリックが慌てて下手な慰めを入れる。


「そうだぞ、アニス。さっきのアルクスとマルクの動きを見たろう? 俺達は驚いたが、残りの四人は平然としていた。つまりそれだけの実力が彼女らにもあるんだ。だから安心しろ、あいつらは強い」


 ラインハルトが態度に出過ぎる友人に内心で溜め息をつきつつ、気弱になってしまった鉱人娘の肩に優しく手を置く。


「……うん、ありがとね」


 普段気の強いアニスのしおらしい態度と想像以上に細い肩の感触に思わずラインハルトはドキリとしてしまい、慌てて悟らせまいと口を開いた。


「それより――なんだ、こういう場合、避難とかしないのか?」


「いや、するはずだ。少なくとも僕は避難指示を()()()としてそう学んだ。この街の規模だと魔導伝声管がないかもしれないが、その場合は伝令が回るようになってる」


 答えたヘンドリックの顔色が悪い。


 緊急事態における領軍や国軍の対応を知っているからこそ、事態の深刻さに気付いて血の気が引いてしまったのだ。


「警鐘からすでに二十分近く経ってるぞ」


「じゃあ……軍の方でも何か起きてるってこと?」


 辺境伯家次男の様子からそのことを察したラインハルトが軍刀の鞘を無意識になぞり、アニスが彼の裾をぎゅうっと握りしめた。


 こういう場合、独自で動くよりほかない。


 現にアルとマルクに助けてもらった発掘作業員の男は幾人かと急ぎ足で連れ立っていった。


 その他の宿泊客も似たようなものだ。


 生徒達がどうすれば良いのかわからずザワついている近くでは彼らの担任教授コンラートが受付台(カウンター)を挟んで旅籠の主人と何やら話していた。


 主人の方も焦っているようで、時折受付の奥にいるであろう妻や従業員に何事か叫んでいる。


「では避難所は教会と癒院、それと魔導史博物館なんですね?」


「ああ! 伝令が回ってこないなんて初めてだよ、あんたらも早く逃げな! おれらもこんな状況じゃ客のことまで気に掛けてられんぞ!」


 まくし立てる旅籠の主人に平静を保っているコンラートは頷いた。


「そうします。そちらもお気をつけて」


「ああ、そっちもな!」


 半ば叫ぶように言い返した主人が妻らしき中年女性の背を押して裏口から出ていく。


「先生……」


「私たちどうしたら……?」


 誰かが不安そうに声を上げると、


「これからすぐにここを出るよ。教会に避難するんだ。そこが一杯になってたら癒院、ダメなら魔導史博物館。僕の指示にきちんと従うこと。良いね?」


 コンラートは真剣な眼差しで生徒達をぐるりと見回しながら告げた。


 声音こそ穏やかだが、有無を言わせぬ雰囲気が滲んでいる。


 成人もしていない少年少女らは生唾を呑み下してブンブンと頭を縦に振った。


 元魔導騎士の肩書は伊達ではない。


 と、そんな時だ。


 旅籠の扉が慌ただしく開かれた。


 咄嗟にコンラートが腰の短剣に手を掛けながら生徒達の前に飛び出す。


 果たして入ってきたのは兵士姿の男性2人組であった。


 動きやすそうな軽鎧に桑茶(カーキ)色の簡素な長裾外套(コート)、視界を広く取った鉄兜(ヘルム)を装備しており、息を切らしている。


 腰にはラインハルトのそれとよく似た軍刀。


 帝国の一般的な陸軍兵士だ。


 雨泥で汚れ、軽鎧にはついたばかりと思わしき剣の跡が残っていた。


「伝令の方ですか?」


 コンラートが上着の内襟を軽く見せながら問うと、


「魔導師っ!? と失礼、その通りです。彼らもそちらの関係者ですか?」


 前に居た兵士が驚いたような顔を見せつつ少年少女らの身分を問い質す。


 コンラートが見せたのは魔導師証だ。


 魔力を込めることで登録番号と名前が浮かぶ、武芸者の認識票より上等な仕組みのものである。


「ええ、この子達は〈ターフェル魔導学院〉で私の受け持っている生徒達です。皆、学院の刺繍を」


「え、あ、そっか」


「こ、こう? で合ってる?」


 淀みない担任の指示に生徒達が慌てて学院生の証――紋章付きの刺繍(ワッペン)を縫い付けている服の胸元や肩を引っ張って見せた。


「そうでしたか。とんだ災難で」


 それを認めた兵士が少々肩の力を抜く。


「一体何が起こってるんです?」


「現在、防壁・堤防及び兵舎並びに街のあらゆる地域で突発的な武装蜂起が起こっています。我々も原因究明と事態の打破に動いていますが、率直に言って少々手が足りていません」


 お恥ずかしながら、とでも付け加えそうなほど気まずげな顔の若い兵士。


 その様子から、少なくない数の兵士が蜂起側に回ったことを()()()()()コンラートが理解の意を示そうと――、


「なるほど。生徒達を急がせます。今、避難所の方はどう――なっ!?」


 したところで眼鏡の奥の瞳を大きく見開く。


 なぜなら会話に参加していなかった方の兵士が軍刀の柄に手を掛けていたからだ。


 雨粒を流す顔は人形のようで、しかしやはり眼だけが妙な熱を帯びていた。


「「危ないっ!」」


「え――?」


 アニスの前に出ていたラインハルトと、状況を掴めていない兵士に詰め寄るコンラートの声が重なる。


「何を――ぐあっ!?」


 引っ張られた兵士の左肩にもう一人の兵士の軍刀が刺さった。


「「「「きゃあ!?」」」」


「「「「ひっ!?」」」」


「「「「「「っ!?」」」」」」


 混乱と恐怖を煮固めた悲鳴が生徒達から上がる。


「くっ、よせ!」


 コンラートは腰から短剣を逆手で引き抜き、若い兵士を生徒側へ引っ張りながらおかしくなった兵士に前蹴りを見舞った。


 血のついた軍刀がゴトッと床に落ちる。


(傷は……!? 浅かったか!)


 視線だけで背後を見やったコンラートは内心で冷や汗を拭う。


 あれなら手当すれば問題ない。


 問題があるとすれば蹴りを食らった兵士の方だった。


(アルクス君の言う通りだ。おかしくなったわけじゃない。この兵士は正気だ。正気で同僚に剣を向けたんだ)


 ギラギラと生気のある眼。


 そのくせ熱に浮かされたかのように変化の乏しい表情。


 大凡個人の感情が消え去っているかのような印象。


(まさか……!)


 コンラートはそこに過去を見た。


 蹌踉(よろ)めいて軍刀を失った兵士が外套の懐を探り、()()()()()を取り出す。


「…………」


 それは妙に(ヒルト)柄頭(ポンメル)が太い短剣だった。


 ここにかの特殊魔導技士(レイチェル)がいれば間違いなく鋭い反応を示したことだろう。


 だが、コンラートが反応したのは直方体の薄い(ガード)


 より正確に云えばその()()だった。


 夜空を思わせる深藍(しんらん)の地に、先の尖った針を9本組み合わせて象られた金の()芒星。


「そうか。見覚えがあると思ったよ、君のその表情――……一つ、聞く。それをどこで手に入れた?」


 深い緑青の視線を鋭くしたコンラートが斬りつけるように問う。


 そこに込められているのは明確な怒り。


 状況が掴めない生徒達が思わずビクリと肩を震わせ、傷を押さえていた若い兵士が尋常ならざる怒気に戸惑いを覚える。


「…………」


 しかし凶徒と化した兵士は黙して答えず、真っ直ぐに腕を伸ばして短剣の切っ先をコンラート達に向けた。


 コンラートと若い兵士、そしてラインハルトとヘンドリックを始めとした幾人かの生徒が眉を顰める。


 小剣であればまだしも、短剣に力を十全に伝達するのであれば順手で刺突の構えを執るか、コンラートのように逆手で持って殴りつけるように振るうのが定石(セオリー)だ。


 およそ兵士が執るとは思えぬ素人の構え。


 だが、それで正しかった。


 九芒星を付された短剣の柄頭(ポンメル)が淡く()()()()


「っ!? 皆、伏せるんだ!」


 コンラートが叫ぶ。


 鋭い指示に逸早く反応したのは、倒れ込んでいた若い兵士だった。


 傷を負いながらも近くにいた生徒数人の肩を巻き込むように押さえつけ、次いで反応したラインハルトがアニスを庇うように被さってヘンドリックの腕を思い切り下方向に引っ張る。


 他の生徒達も慌ててそれに続く。


 次の瞬間――――。


 短剣の切っ先でぶくりと紅い炎が膨れ上がり、ゴボッッ!! と、渦を巻きながら放たれた。


「っ! 先生!」


 ラインハルトの焦った声を背中で聞きながら、コンラートは短剣を持つ逆手に右手で糸の束を絡めるような仕草で術式を紡ぎ――魔術を発動。


「『叢雲(むらくも)手甲(てっこう)』!」


 途端、コンラートの両腕に綿毛色をした気流が渦を巻きながら覆い、一気に膨れ上がった。


 彼の数少ない独自魔術。人死すら出る規模の雷を伴った大嵐の再現。


 前世のアル(長月)であれば『ちっこい台風を両腕に嵌めたみたい』だと形容しただろう。


 同時に尾を引く紅い炎弾が衝突。


 炎熱を撒き散らす凶弾とコンラートが突き出した両腕の白渦雲がぶつかり合い、衝撃波が食堂広間の長卓(テーブル)や長椅子を吹き飛ばす。


(術式もなしにこれだけの威力を……!)


 コンラートは正しく驚嘆していた。


 と云っても、元魔導騎士からすれば脅威とは言い難い。


 短剣からほぼ無動作(ノーモーション)で放たれた紅炎弾が、一般兵の放つ『火炎槍』と変わらぬ威力を誇っていたから驚いたのだ。


 術式もなしにそんな真似を可能にできるものと云えば一つしか無い。


「……もしかして魔晶石? ううん、擬似炎晶石?」


 顔を上げたアニスが呟く。


 十中八九それしかないだろう。


 が、分析は後だ。


「これは片付けさせてもらう」


 と、コンラートが左手の親指以外すべての指をバッと開く。


「!?」


 すると『叢雲』の範囲が一気に押し広がり、白渦雲がギュルギュルと回転を増し始めた。


 それにつれていつの間にか紅炎弾が縮んでいき、やがて消え去る。


「炎が、消えた?」


 アニスに釣られて顔を上げていたラインハルトも眼を見開いて呟いた。


「先生!」

 

 そこでヘンドリックが叫ぶ。


 紅炎弾を消されたと理解した兵士が剣身の熔けた短剣をそのままに斬り掛かったのだ。


 が、しかし――――。


「僕の生徒には指一本、触れさせないよ」


 コンラートは冷静にその一撃を逆手の短剣で払い除け(パリィし)た。


 彼の左腕で反時計回りに回転していた白渦雲が、たった一発撃っただけでボロボロになった短剣を冗談のような勢いで弾き飛ばす。


「はッ!」


 続いてコンラートは右足で前へ摺るように体勢低く踏み込み、兵士の腹に流麗な掌底を叩きつけた。


「ぁ、どぶぉ――っ!?」


 次の瞬間、凶徒と化した兵士が螺旋を描きながらまたもや冗談のような吹き飛び方をして旅籠の玄関扉に激突。


「げはっ!?」


 酸欠と衝撃で気を失って床に叩きつけられた。


「先生っ、凄い!」


「助かりました」


「ありがとうございます!」


 逸早く駆け寄ったアニス、ラインハルト、ヘンドリックだったが、


「…………」


 コンラートは難しい――否、忌々しげな顔で拾った短剣に眼を落としていた。


 深藍色の地に、金色で細く尖った角の九芒星が施された(ガード)


「先生?」


「これは……あの外道共の象徴だ」


 低く低く唸るような声をコンラートが上げる。


「フックス先生? えと、あの外道って……?」


「『胎星(たいせい)派』だよ。大陸で最も穏和とされる『八芒教』から唯一破門された異端者宗派。くだらない理念の為だけに多くの犠牲者を出し、十年前に()()()()()()()()はずの亡霊共だ」


 わからない、と言う顔の3人と残りの生徒達を前に元魔導騎士コンラート・フックスは、静かな怒気を散らしながら騒ぎの元凶()の名を吐き捨てたのだった。



 ☆ ★ ☆



 同刻。


 大河を渡す橋と堤防、その近くの兵舎屋外にて。


「四等級一党の『不知火』です! 加勢します!」


 と戦闘に参加したアル達6名もまた険しい顔をしていた。


 戦闘そのものは恙無く終了した。6人と1羽に負傷も一切ない。


 武装蜂起とは云え、実際に同僚の殺害を目論んで凶行に及んだ兵数は全体の2割程度だったそうだ。


 警鐘を聞いて兵舎から飛び出してきた者達も時間が立つにつれて加勢する者が増え、それに呼応して蜂起に途中参加した者が1割ほどいたらしいが、やはり時間の問題だったのだろう。


 現在は防壁側と情報の共有を行って、街へ伝令も出したと聞く。


 だったらなぜアル達が眉根を寄せねばならないのか? と云えば――……。


「アル、やっぱりこれって”霊装”と似たようなやつだよね?」


 エーラの視線の先にはアルが握っている使用済みの()()()短剣。


 勝てそうにないと判断した蜂起側の兵士達が躊躇いもなく使用してきたものだ。


 おまけに属性は雷撃。


 初動が遅れた幾人かは命を落とし、余波で感電した者もいる。


 彼らも当人達も知る由もないが、コンラートらに襲いかかった兵士が持っていたものとまったく同じものだった。


 同形状に同素材。色合いも装飾も瓜二つ。


 ただし、コンラートと『不知火』の6名では着眼点が違った。


 なぜなら見覚えがあったからだ。


「レイチェルがかつての”魔撃銃”と同じ原理だと言ってたな。本来ならここの擬似魔晶石を取り替えて使用する想定のはずだとか」


 ソーニャが短剣の柄頭(ポンメル)を指し、


「うん、でもやっぱり粗悪品みたいだね。割れちゃってる」


 エーラがアルの手元を覗き込む。


 そこには確かに透き通る深い紫色の擬似雷晶石が露出しているが、柄頭(ポンメル)ごと大きな亀裂が入っていた。


「それにもう製造されていない、とも。少なくとも正規の工房のものじゃありませんね」


 ラウラが歪んだ剣身をなぞってこくりと頷く。


 ”魔撃銃”は整備性の悪さや他にも難を抱えていたのでずっと前に製造を中止になっている、と銃工房を実家に持つレイチェルは言っていた。


 だから擬似魔晶石を使わない”魔導機構銃”が開発されたのだと。


 ヘンドリックが持っていた長銃(ライフル)型の”一六式魔導機構銃”とて、弾倉に貯蓄(コンデンサ)型擬似魔晶石の技術は転用されているがそのまま利用されているわけではない。


「列車襲撃事件の時にあの傭兵(くず)共が使ったのと同じ武器ねぇ。まーたきな臭いことになってきたじゃない」


 凜華も濡れた黒髪を振り、厭そうな顔を隠すつもりもない。


「だな。この雨んなかよくやるぜ、ったく。でもま、わかったこともある」


 マルクがぼやきつつ親友に視線を送ると、


「ああ、少なくとも呪いなんかじゃない。この馬鹿騒ぎは人為的、しかもかなり用意周到に計画されてたみたいだ」


 アルは左目を閉じたまま頷いた。


 魔導列車襲撃にも使われた”霊装”もどきを手配し、示し合わせて暴動を起こさせた。


 それもどうやったのか見当もつかないが帝国軍の兵士に。


 この分じゃ暴れていた住民もこの騒動を画策した者の息が掛かっていた、と考えるのが妥当だろう。


「ねえ、アル。言いにくいんだけどさ」


「いや、同じこと考えてると思う。エーラの直感はたぶん正しい。おそらくこの武装蜂起はただの皮切りだ。これで終わりじゃない。本命の何かがあるんだ」


 左眼を開いて黒雲を見上げたアルは、少々申し訳無さそうなエーラに首を振って言葉を引き継ぐのだった。

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